2021年3月26日:論文情報を更新しました。
茨城県東海村にある大強度陽子加速器施設J-PARCでは、メインリングと呼ばれる加速器で30GeVまで加速された陽子を金の標的に衝突させ、そこから得られる種々の粒子を活用して様々な実験を行なっています。今回はその中のKOTO(コト)実験をご紹介します。KOTO実験(K0 at Tokaiの略)はJ-PARCのハドロン実験施設で行われている、日本、米国、台湾、韓国の研究機関の約60名の研究者が参加する国際共同実験です。電気的に中性なK中間子(注1)の稀な崩壊パターン:KL→π0νν(νはニュートリノ(注2)、νは反ニュートリノ、)が起こる割合を調べることで、素粒子の標準模型を超える新しい物理を探索しています。(注3)KL→π0ννの崩壊は標準模型による予想では非常に稀に、約300億分の1の割合で生じますが、新しい物理に起因する物質と反物質の違いがあれば、数倍あるいは数十倍多く崩壊する可能性があるのです。
KOTO実験が用いる大量の中性KL中間子(注1)は金標的で作られ、長さ20mのビームラインを通って、KOTO測定装置(図1)に導かれます。KL→π0ννという反応で生じるπ0中間子(注1)は2つの光子に崩壊します。それらの2つの光子のエネルギーや位置をKOTO測定装置内の電磁カロリメータ(注4)で測定します。ニュートリノは物質との相互作用がとても小さいので、検出することができません。KOTO測定装置では同時に、電磁カロリメータ以外の検出器の情報から、光子以外の粒子がないことも確認します。これらの情報を用いてKL→π0νν崩壊を探索するのですが、KOTO実験では「ブラインドアナリシス」と呼ばれる、崩壊の信号が観測される領域を最後まで隠して解析する手法を採用し、解析の途中で意図せず人間の恣意が入ってしまうことを防ぐことで、解析結果の信頼性を向上させています。
KOTO実験グループは2016年から2018年にかけて取得したデータを解析してきました。「ブラインドアナリシス」によりKL→π0νν崩壊を選び出す条件を決定し、2019年の夏、運命の日がやって来ました。「ブラインドアナリシス」で隠していた領域を確認したところ、なんとKL→π0νν崩壊を選び出す条件を満足する事象が、4つも出て来たのです。この時点の測定データ量では、標準模型による予想からは0.04個、背景事象(データ解析の邪魔となる、信号の偽物)でも0.05個信号が見られる見込みでした。つまり、「きっと今の実験感度では信号は出てこないだろう」と予想するのが自然でした。直後の同年9月に行われた国際学会で発表されたこの解析結果は、関連分野の研究者の間で話題になりました。
KOTO実験グループは解析に間違いが無いか、特に、背景事象が残っていないか、装置に不具合が無いか等を引き続き隈なく検証しました。その結果、荷電K中間子が引き起こす背景事象が存在する可能性に辿り着きました(図2、Phys. Rev. Lett. 126, 121801)。(注5)そこで、荷電K中間子を除去するために新たな検出器「Upstream Charged Veto (UCV)検出器」を開発することになりました。UCV検出器は荷電K中間子の存在を検証するための1号機と、荷電K中間子による背景事象をより効率的に除去するための高性能な2号機を製作しました。
UCV検出器の開発に取り組んだ清水信宏 助教(現 千葉大学ハドロン宇宙国際センター、当時は大阪大学特任研究員)と小寺克茂 特任研究員(大阪大学)、白石諒太さん(大阪大学大学院理学研究科博士前期課程2年)に当時を振り返ってのお話を聞きました。清水助教と小寺特任研究員は1号機をほぼ2人で製作し、白石さんは2号機の読み出し回路を製作しました。
清水助教「UCV検出器は、荷電粒子がシンチレーションファイバー(注6)を通過したときに生成するシンチレーション光をMPPC(高感度で光を計測する半導体素子)で読み出す形になっています。設置する場所はビームラインを通って来た粒子がKOTO測定装置に届く入口の部分です。UCV検出器最大の特徴は、検出器をビーム中に設置することです(図4)。この構造を採用するのは非常に挑戦的で、勇気のいる判断でした。なぜなら、ビーム中の粒子が検出器にあたり、散乱したり別の粒子を作ることで、それが背景事象になってしまうことも起こり得るからです。」
小寺研究員「UCV検出器1号機はその原理を検証するための検出器で、2号機で初めて本格的な性能になる計画でした。それでも実験の予定上、1号機を実質1月程度という極めて短期間で作る必要がありましたが、2020年4月終わり〜5月頃にUCV検出器を入れた新しいデータを取得できました。」
清水助教「完成したUCV検出器1号機を使用して、まず本当に荷電K中間子が解析結果に影響するほど存在するのか確認しました。解析後の測定結果とシミュレーションを比較した結果、予想通り荷電K中間子が存在することが分かりました。しかし、測定データの内、30%程度は荷電K中間子を検出出来ていないことも明らかになりました。荷電K中間子を除去しきれていないので、測定感度を上げることができません。原因は3つありました。1つ目は、UCV検出器が小さくKOTO測定装置に入るビームの全領域を覆えなかったこと、2つ目はシンチレーションファイバー同士の間には隙間があり、またシンチレーションファイバー外層部はシンチレーション発光しないので、こういった領域に飛来した粒子は検出できなかったこと、そして3つ目は、1号機で試験的に使用したMPPCから生じるノイズ(不要な情報)の影響が無視できない程であったことです。」
これらの問題を改善した2号機を作るプロジェクトが直ちに始まりました。
清水助教「1つ目の原因を解決するため2号機はとにかく大型化し、荷電粒子を排除する範囲を広げることを目指しました。具体的には、1号機ではシンチレーションファイバーを縦84mm、横92mmの薄い長方形状に並べていましたが、2号機ではシンチレーションファイバーを縦157mm、横175mm(最大で検出可能な値)と、より広域に並べました(加えて、1号機では直径1mmのファイバーを使用しましたが、2号機ではさらに細い直径0.5mのファイバーを使用しました)。MPPCは1号機で12個使用しましたが、2号機では24個使用しました。同時にUCV検出器の設置作業は狭い場所で行うため、簡単に設置できるようにUCV検出器を入れる真空容器のふたと検出器が一体化した構造にしました(図6)。」
小寺研究員「シンチレーションファイバーの隙間やファイバー外層部で粒子を検出できない問題は、ファイバーを並べた板状の構造を斜めに傾け、粒子が入射する正面からは隙間が直接見えないようにすることで、解消しました(図7)。後からでも傾き具合を調整出来るように、0度から45度まで5度刻みで傾きを変えられる構造にしました。一片0.5mmと小さく、かつ壊れやすいファイバーを壊さないように注意しながら、縦157mm、横175mmの領域に極力隙間がないように並べて板状にする作業は大変でしたが、学生の皆さんと協力して良いものを作ることが出来ました(図8)。3つ目のノイズが影響する問題に対しては、できるだけ小さなMPPCを使うことにしました。MPPCは、大きいほどノイズが多く出ます。1号機では6mm×6mmのMPPCの表面の2割をファイバーが占めていましたが、2号機では3mm×3mmのMPPCを使用し、その表面の4割をファイバーが占めるようにして、ノイズの削減を図りました。さらに、MPPCをビームから遠ざけることでビーム付近の中性子によるMPPCの劣化を抑制し、劣化によりMPPCから生じるノイズ増加を抑えました。」
これらの改良点を盛り込んだ2号機の開発は学生中心で行われました。
白石さん「地道な作業が多く、また回路を製作した経験があまり無かったため、周りの人に聞きながら基板に部品を一つ一つハンダ付けしていく作業は苦労しました。回路のデザインを擦り合わせる中で、他の部品の担当者と大きさを何ミリ削れる/広げられると議論した点や、24個の信号を読み出す基板を1人で製作する作業も大変でした(図10)。回路を読み出せないとデータを取ることが出来ないため、初めての作業ながら責任は大きかったですが、グループの皆さんの力を借りながら完成することが出来ました。苦労しましたが皆さんには感謝しています。」
1号機と大きさや形が大幅に異なる2号機の開発でしたが、清水助教が「学生の皆さんは自慢できるくらい効率的な仕事をしてくれました。」と語るほど1号機と同様、迅速に進みました。2号機の開発は2020年の8月に開始し同年12月には東北大学で性能試験を行い、シミュレーション通りのデータを取得可能なことを確認しました。その月の末にはKOTO測定装置に設置し(図11)、そして2021年2月8日からUCV検出器2号機を使用したデータ取得を開始しています。
清水助教「KOTO実験はVeto実験と呼ばれる、検出器に余計な粒子が入らないことを要求する実験です。そのため24個の信号読み出しラインの内、1個の信号が見えないだけで実験自体が進められなくなる可能性があり、非常に高い信頼性を要求します。検出器のデザインや操作には責任を持ち、いかなるミスやロスもないように注意しました。」
UCV検出器開発を主に担当した皆さんに、UCV検出器を完成させての感想や今後の目標を聞きました。
清水助教「1号機は非常に時間が限られた中、小寺さんとほぼ2人で開発することになってしまった一方で、2号機は学生の皆さんを巻き込んで良い開発ができました。時間の制限があるなか、手を動かしてモノ造りをする過程で学生の皆さんが非常に逞しくなり、とても満足しています。
KOTO実験の当面の目標は、標準模型の感度(標準模型が正しかった時に1事象測定することができる感度のことを指します)での新物理の検証を行うことです。2021年秋から2022年秋にかけて予定されている、J-PARC陽子加速器の電源強化のためのシャットダウンの後は、これまで蓄積したノウハウを駆使して、現在の感度をもう一桁上げていく予定です。さらにその後は、ステップ2と題して、感度を100倍上げるアップデートを計画しています。現在のデータ量では、仮にKL→π0ννの事象が観測されたとしても、その数事象の統計で結果が左右される状況になります。そこで、データ量をいままでよりも二桁上げることで、統計的に優位な結果を得ることを目標にしています。もっと感度をあげるのですから、当然そのためには、今のKOTOで、背景事象を深く理解し、対処する力を育むことが必要です。今回、荷電K中間子を通じて得られた経験は、若い研究者を、集め、育て、議論し、結果をだすことに貢献しました。背景事象がKOTOを強くしたのです。今後も、逆境にもめげず、さらなる高みをめざしていきたいと思います。」
白石さん「自分達で作った検出器を設置したのは初めてでしたが、現場で作業中に意見を求められる事もあり、(設置作業は)開発の時よりもさらに責任を持って行う必要があると感じました。今後は、新しい検出器開発や解析において若い世代、特に我々学生が引っ張っていくことでコラボレーションに貢献します。」
小寺研究員「KOTO実験には約4年前から参加しましたが、物、時間、人に制限がある中で、確実に実験を進めている素晴らしい集団だと思いました。職人気質で何でも自分達で作り上げてしまう精神で、実験の全てを把握していなければならないのでとても勉強になります。データ解析としては、標準模型を超える新しい物理が見つかるのではないかというかなり面白い結果に近付いているので今後のデータ取得に期待しています。 そして今回一番嬉しかったことは、白石さんが「自分達がKOTO実験をリードしていく」と表明してくれたことです。KOTO実験にとって力強いです。」
Lim Gei Youb准教授(KEK素核研)「皆さんのおかげで良い検出器が開発出来ました。ビームラインの中に入れたものですが、長く活躍できることを期待しています。 最初の物理データ取得から8年を経たKOTO実験はまだまだ改善の余地があり、Veto実験の難しさを痛感しました。ですが我々は今、KL→π0ννという信号が見つかったと言える直前にいると期待しています。これから新しい物理現象の探索を開始する段階になり、KOTO実験は学生や若手研究者の皆さんが力量を発揮できる良い環境だと思います。」
その後の解析により、事象の数は3つに訂正されました。現段階では、この3つの事象は、主に荷電K中間子の崩壊による背景事象と考える方が妥当というのがKOTO実験グループの見解です。UCV検出器の導入により、背景事象の量がかなり変わるとKOTO実験グループは期待しています。KL→π0ννの稀な崩壊を通じて標準模型を超える新しい物理の兆候が見える日まで、あと一歩かもしれません。今後のKOTO実験の成果が楽しみです。
用語解説
注1. 中間子
クォークという素粒子と反クォーク(クォークの反粒子)が結合した粒子。中間子には様々な組み合わせがあり、例えば第二世代のクォークであるストレンジクォークを含む中間子はK中間子と呼ばれます。KL中間子は寿命の長い中性K中間子で、寿命が短い中性K中間子はKS中間子と呼びます。他にも、第一世代のアップ、ダウンクォークとそれらの反クォークで主に構成されるπ中間子などがあります。中でもπ0中間子はアップ、ダウンクォークとそれらの反クォークを全て含んでおり、自分自身が反粒子となるπ中間子です。
注2. ニュートリノ
物質を構成する素粒子の1つで、電子とともにレプトンと呼ばれますが電荷を持っていません。物質を通り抜けやすい性質があるため、地中を通っても、さらには宇宙から降り注いできてもほとんど相互作用しません。
注3.
KL中間子はCP対称性(物質・反物質対称性)がマイナスという性質を持っています。一方π0中間子と2つのニュートリノの組み合わせはCP対称性がプラスの性質です。そのため、KL→π0ννの崩壊は、その前後でCP対称性の性質が入れ替わることになり、CP対称性を破る崩壊になるのです。このCP対称性の破れがどの程度の大きさなのか、現在の宇宙には物質しか存在しないことを説明する程の破れがどの粒子に含まれているのかは現在も謎に包まれています。KOTO実験ではCP対称性の破れがクォークのうち、これまで測ることができなかった小さい値(しかし標準模型の予想値よりはずっと大きな値)で見つかるのではないかと考え、実験を進めています。
注4. 電磁カロリメータ
ガンマ線の入射位置、時間そしてエネルギーを測定する装置。KOTO実験の電磁カロリメータは、直径2メートルの円筒の中に長さ50センチメートル、断面が2.5センチメートル角と5センチメートル角の二種類のヨウ化セシウム(CsI)の結晶を合計で2716本積み上げて作りました(図12)。米国のフェルミ国立加速器研究所で1990年代に行われたK中間子崩壊実験(KTeV実験)に使用されていた結晶を、日米科学技術協力事業のもとで日本に移設しました。ガンマ線のエネルギーはCsI結晶の発光に変換され、発光は光電子増倍管(高感度で光を検出する装置)により電気信号となり、その信号波形をシカゴ大学で開発された高速の電子回路とミシガン大学で開発されたデータ収集システムで読み出しています。
2018年秋には、中性子とガンマ線を識別する能力を向上させるために、カロリメータの前面にMPPCを4080個取り付ける改良工事を行いました。
注5.
KOTO測定装置には、磁石で荷電粒子が排除されたのち中性KL中間子と中性子(共に電気的に中性)のみが入ってくると考えられていました。ところが、KL中間子がビームラインを通る途中で、ビームラインの壁を構成する物質とKL中間子が反応して荷電を持つK中間子を作ってしまう可能性があるのです。
注6. シンチレーションファイバー
シンチレーターと呼ばれる物質を利用した放射線検出用の光ファイバー。シンチレーターは放射線が入射して発光する物質で、高エネルギー物理学分野で素粒子の検出器として用いられているだけでなく、医療分野などでも活用されています。この時生じる光はシンチレーション光と呼びます。シンチレーターにはヨウ化セシウム結晶など無機シンチレーターと呼ばれるものと、プラスチックなどの有機シンチレーターと呼ばれるものがあります(プラスチックは水素と炭素でできているのでここでは有機という括りになります)。UCV検出器のシンチレーションファイバーにはプラスチックが使用されています。プラスチックシンチレーターには入手しやすい、発光量が必要十分である、放射線によりエネルギーを受けてから光に変換されるまでの時間(時定数、プラスチックシンチレーターは数ナノ秒)が小さく、平均的に発光するまでの時間の精度が良くなるといった利点があります。さらに、無機シンチレータと比べて小さい物質量は、ガンマ線や中性子などとの反応を最小限に抑えつつ、荷電粒子を効率的に検出することに適しています。
関連リンク
- KEKK中間子稀崩壊の研究
- KEKKLビームライン
- J-PARCE14 KOTO実験 Webページ
- J-PARC webサイト
- J-PARC ハドロン実験施設(一般の方向け)
- J-PARC ハドロン実験施設(研究者の方向け)
論文情報
雑誌名: Physical Review Letters
タイトル: Study of the KL→π0νν decay at the J-PARC KOTO experiment
著者: KOTO Collaboration: J. K. Ahn, B. Beckford, M. Campbell, S. H. Chen, J. Comfort, K. Dona, M. S. Farrington, K. Hanai, N. Hara, H. Haraguchi, Y. B. Hsiung, M. Hutcheson, T. Inagaki, M. Isoe, I. Kamiji, T. Kato, E. J. Kim, J. L. Kim, H. M. Kim, T. K. Komatsubara, K. Kotera, S. K. Lee, J. W. Lee, G. Y. Lim, Q. S. Lin, C. Lin, Y. Luo, T. Mari, T. Masuda, T. Matsumura, D. Mcfarland, N. McNeal, K. Miyazaki, R. Murayama, K. Nakagiri, H. Nanjo, H. Nishimiya, Y. Noichi, T. Nomura, T. Nunes, M. Ohsugi, H. Okuno, J. C. Redeker, J. Sanchez, M. Sasaki, N. Sasao, T. Sato, K. Sato, Y. Sato, N. Shimizu, T. Shimogawa, T. Shinkawa, S. Shinohara, K. Shiomi, R. Shiraishi, S. Su, Y. Sugiyama, S. Suzuki, Y. Tajima, M. Taylor, M. Tecchio, M. Togawa, T. Toyoda, Y.-C. Tung, Q. H. Vuong, Y. W. Wah, H. Watanabe, T. Yamanaka, H. Y. Yoshida, L. Zaidenberg
DOI: 10.1103/PhysRevLett.126.121801