時の流れをさかのぼることができたら...? 時間の流れを逆転しても世界は対称的か? そんなことを考えたことはありますか? Bファクトリーの実験が宇宙の粒子と反粒子の対称性の破れを探る実験であることはこれまでにもご紹介しました。粒子と反粒子の対称性が破れているのであれば、時間の反転の対称性も破れているはず、そう考えて行われているK中間子の崩壊を詳しく調べている実験(PS-E246実験)をご紹介しましょう。
CPT定理と時間反転の対称性
現実の世界では時の流れをさかのぼることはできません。しかし、物理学の世界では時間とは方程式に現れる変数の一つです。素粒子の反応を計算する方程式では、粒子と反粒子を入れ替えて(C)、鏡に映した世界を見る時(P)、時間がさかのぼっている(T)とした方程式と区別することができない、という性質があり、「CPT定理」と呼ばれています。この定理は1955年にパウリとルーデルスによって独立に証明されました。
自然界に存在する4つの力のうち、粒子と反粒子を入れ替えて、鏡に映す、つまり、CPTのうちのCPだけを反転させても対称性はほとんどの場合、成り立っています。
ところがK中間子やB中間子のある崩壊モードでは、このCP対称性が破れていることがすでにわかっています。
CPT定理によれば、CP対称性が破れている時、それを補うようにT対称性、つまり時間反転の対称性も破れているはずです。実際、そのような現象がヨーロッパのCERN研究所の実験などで中性のK中間子の崩壊において見つかっています。
荷電K中間子の時間反転対称性?
K中間子には中性のK0中間子の他にも、正の電荷を持つK+中間子と、その反粒子のK−中間子があります。電荷を持っているK+中間子の崩壊では、時間反転の対称性は破れているのでしょうか?
この疑問に答えるためにKEKの陽子シンクロトロンを使ってK+中間子を詳しく調べるための実験が行われています(図1)。時間反転の対称性の破れを探る方法は幾つかありますが、ここでは時間を反転させた時に符号が変わるような物理量を測定します。
このような量としては、K+中間子が中性のパイ中間子とミュオンとミューニュートリノという3つの粒子に壊れる崩壊で、ミュオンのスピンという量が崩壊面に対して上下どの向きに偏って現れるか(横偏極)があります。すなわち図2のようにミュオンのスピンの向きが上下どちらかに偏っていれば、時間反転対称性が破れていることになります。偏りが無い場合、この崩壊モードは時間反転で対称ということなります。
このミュオン横偏極は小林・益川標準理論以外の原因による時間反転対称性の破れ(すなわちCPの破れ)に敏感です。宇宙の物質と反物質のアンバランスを説明するには、このような未知の原因による破れがあるに違いないと考えられています。
ユニークな形の超伝導磁石
K+中間子は、KEKの陽子シンクロトロン加速器からの陽子ビームを標的に当てて作り出すことができます。このK+中間子を減速させて止まった時の崩壊の様子を詳しく調べるための測定器が作られました(図3)。
K+中間子の崩壊で出てくる中性パイ中間子はさらに二つの光子に崩壊します。この光子をヨウ化セシウム(CsI)を使った検出器で精密に測定します。また、ミュオンは超伝導磁石で曲げられて、運動量が調べられ、偏極測定器でスピンの向きが調べられます。この超伝導磁石は世界に類を見ないユニークな形をしています。
1200万個のK+中間子崩壊事象
この実験は1996年から始まりました。これまでの実験では約1200万個のK+中間子から中性パイ中間子とミュオンとミューニュートリノへの崩壊事象が観測されています。これはこれまでで世界最高の測定結果です。
これまでの観測の結果、この崩壊モードのミュオンのスピンには横偏極が無いことが明らかになっています。このことから、時間反転の対称性の破れを説明するいくつかの理論の試みに制約を与えることができます。研究の最終結果は間もなく発表される予定です。
さらに多くの崩壊モードの観測を
実験の目的である時間反転対称性の破れの直接の証拠が見つからない場合でも、もとの反応が多ければ多いほど、破れの可能性の上限値を精度良く求めることができるので、いろいろな理論模型の計算に対して有益な情報を得ることができます。研究が進展するためにはさらに多くの実験データや崩壊モードのデータが必要なのです。
この実験では他にもK+中間子がミュオンとニュートリノと光子に崩壊するモードの観測を行っていて、上限値が得られています。
J-PARCでの実験に期待
さらに精密なK中間子の崩壊実験をするには、さらに多くのK中間子を生成する必要があります。現在建設の進んでいるJ-PARCではこれまでの約100倍のビーム強度が得られる予定ですので、K中間子崩壊の実験も飛躍的に進展すると期待されます。
ここに紹介した時間反転対称性の破れの探索実験も、さらに高い精度で行うための提案がされています。
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[図1] |
時間反転対称性の破れ探索のためのE246実験装置。陽子シンクロトロン加速器の北カウンターホールK5ビームラインに設置されている。 |
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[図2] |
正の電荷をもつK中間子はこのように3つの粒子に崩壊することがある。3粒子が崩壊する面に対して垂直なミュオンの偏極成分は時間反転の操作で符号が反転するので、破れがある場合の証拠となる。 |
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[図3] |
測定器の断面図。ミュオンは磁場で曲げられ、ストッパーに止まり偏極が測られる。 |
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[図4] |
測定器は超伝導トロイダルスペクトロメータにセットアップされた。このユニークな形状の電磁石は12個の磁極間隙(ギャップ)を持っている。 |
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[図5] |
ミュオンはコマのような性質のスピンを持っている。正のミュオンは陽電子を放出して崩壊するが、この時、陽電子はもとのミュオンのスピンの向きに出やすい。この性質を利用して、ミュオンのスピンの偏り、“偏極”を測ることができる。 |
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