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ミュオンビームの発生に成功 2008.11.13 |
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〜 いよいよ始動、超巨大顕微鏡MLF 〜 |
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「ほっとして気が抜けた、というのが、その時の正直な気持ちですね」 ジャンボジェット機が2台は楽に収納できるという巨大な実験ホールのなかで、KEK研究機関講師の河村成肇(かわむら・なりとし)さんは、そう語ってくれました。茨城県東海村に建設中の大強度陽子加速器施設J-PARCの物質・生命科学実験施設(MLF)で、初のミュオンビームの発生に成功したときの気持ちを尋ねた時のことです。 目の前には、J-PARC初のミュオンビーム発生を検出するというひと仕事を終えた検出装置が、メンテナンスのためにケーブルを外され、一休みしていました(図1)。 素粒子ミュオンとは News@KEKではすでに幾度となく話題に上っている、茨城県東海村に建設中の大強度陽子加速器施設J-PARC。MLFは、KEKと日本原子力研究開発機構が共同で運営するJ-PARCに建設された、物質・生命科学研究のための実験施設です。MLFには、物質・生命科学研究のための重要かつ強力な道具のひとつとなる、ミュオンビームの発生装置が備えられています。 陽子や中性子など原子を構成する粒子に比べて知名度は低いかもしれませんが、ミュオンは、実は今この瞬間にも間断なく私たちに降り注いでいる素粒子です。高エネルギーの一次宇宙線(陽子)が大気分子の原子核に衝突して発生するパイ中間子という粒子が崩壊して、二次宇宙線であるミュオンが生まれます(図2)。宇宙線の正体は、地上付近では実はほとんどがミュオンなのです。 このミュオンを人工的に作り出し、ビームとして物質に照射することで、物質内部のさまざまな情報を得ることができます。 ミュオンセクションの任務 MLFに建設されたミュオン実験施設は、これまで国内で唯一人工的にミュオンを発生させて実験に利用することが可能であった、KEK・物質構造科学研究所のミュオン科学研究施設(MSL)の後継にあたります。建設を進めてきたJ-PARCのミュオンセクションは、物質構造科学研究所ミュオン科学研究系と原子力機構・先端基礎研究センターのスタッフにより構成されています。 MLFでは、RCSという加速器で光速のおよそ97%まで加速した陽子を施設内のトンネルに入射し、トンネル内に設置した黒鉛でできた標的(ミュオン生成標的)に衝突させることで、ミュオンをつくり出します(図3)。しかしミュオンセクションの使命は、それだけではありません。ミュオン生成標的の33メートル先(陽子ビームから見て下流)には、同じく陽子ビームを利用して中性子ビームを得るための、別の標的が設置されているのです(図4)。研究に必要なミュオンビームをつくり出すと同時に、陽子ビームをミュオンの標的から中性子の標的まで無事に輸送することも、ミュオンセクションの重要な任務なのです。 更地からの出発 海風の中にそびえるように立つ巨大なMLF(図5)。しかし5年前には、ここは松林を切り開いただけの更地でした。ミュオンの標的から中性子の標的に至る、総重量一万トンを超える鉄やコンクリートで遮蔽された陽子ビームの通り道を造り上げるために、更地に用意された基礎の上に鉄を積み上げることから、彼らの仕事は始まりました。 「台風が近づく中、風にあおられる鉄の塊を配置してまわるなんて、めったにない経験でした。その後もめったにない経験の連続でしたけど…」と当時を振り返る河村さん。ご本人は控えめな口調で語られましたが、鉄を積むに始まったこの5年間は、ミュオンセクションの面々にとっては戦いの連続だったようです。 水との戦い 限られた日数の中では、建屋の建設と精密な装置の作成や据え付けは、同時並行で進められました。陽子ビームの通り道となるトンネル建設の終盤では、少しでも時間を有効に活用するため、一部開け放し吹きさらしの状態の土木工事のただなかに、精密機械であるミュオン生成標的や電磁石を配置していくことになりました。振動や土埃などの大敵から精密機械を守る作業も、研究者らの仕事となったのです。 当時最も大変だったのは、水との戦いだったといいます。真新しいコンクリートから染み出す水分や、海から吹きつける湿気の多い気候が、結露となって精密機械を襲ったのです。だからといって、標的や電磁石は簡単に据え付けや取り外しのできるものではありません。何しろ桁外れに重いのです。陽子ビームの出す放射線を遮蔽するため、数十トンもある鉄の塊がそれらの装置と組み合わさっています。組み上げ、移動すること自体が大仕事なのです(図6)。0.1〜0.2mmの精度で水平に保たれた床面には水の逃げ場はなく、対策がひと段落するまでに、メーカーの技術者も研究者も総出で水の排出にあたり、装置のメンテナンスに尽力しました。 陽子ビームの通り道であるトンネルが完成し、その上面に厚い遮蔽壁が乗せられてトンネルが全て閉ざされたときが、この5年間で一番ほっとした瞬間だった、と河村さんは振り返ります(図7)。 DIYそしてリユース 2007年初夏に建屋が出来上がり、ミュオンの標的から中性子の標的に至る陽子の通り道であるトンネルがすべて完成してから、ようやくミュオンビームを実験装置に向けて輸送するためのビームラインの建設が始まりました。予算を有効に活用するために装置の大部分をリユースで賄い、MSLで活躍していた電磁石や超伝導ソレノイド電磁石などを移送して活用したり、さまざまな情報を駆使して部品を集めて装置を組み上げながら、ビームラインを造り上げていきました。 初ビームはスタートライン 「これをもちまして、ミュオンビームの発生を宣言します。」 平成20年9月26日12時10分、ビームラインの脇に集まった関係者の一同の前で、ミュオンビームの発生が宣言されました。現場は大きな拍手に包まれました(図8)。 この5年にわたる建設の努力はひとえに、まだ誰も見たことのない未知の世界を覗くためのものです。私たちの目の前にあるすべての物質の奥深くには、ナノスケールの世界というフロンティアがあるのです。そしてその世界は確かに現実世界とつながっていて、物質のある種の性質や特徴、生命体のある種の病気や変質の源は、その世界のどこかにあるように思われます。 ならば、見極めたい。解き明かしたい。研究者たちのその思いが造り上げたミュオン実験施設であり、MLFなのです。これまでも、科学と技術は互いに切磋琢磨し、進歩を促しあいながら発展してきました。初ビームは、新たな世界に挑むための巨大な顕微鏡技術が完成したことの証であると同時に、それにより新たな科学のフロンティアが開かれようとしていることの証とも言えるのではないでしょうか。 そして今後に向けて 今後は、12月以降の調整運転及び試験的利用を経て、平成21年4月より本格的なミュオンビームの利用が開始される予定です。ミュオンセクションの研究者らは現在、更なる精度や安定性向上のための努力を重ねています。 今後の目標は「とにかくミュオンをいっぱい出す!ということです。」と語る河村さん。「ミュオンに限らず、中性子ビームなどをふくめて実験手法を渡り歩いて効率的に使い分けるユーザーが増えてほしい。海外ではミュオンと中性子両方のビームを使いこなしている人も多いし、道具を十二分に使いこなし、また使い分けることで開かれる研究分野というのもあり得ると思うからです。」と続けてくれました(図9)。 同じMLFにある中性子実験施設も、5月に初ビームを成功させ、12月から試験的利用が始まる予定です。すでに研究課題の採択も終わり、まもなく共用がスタートします。 こうして中性子とミュオンの二つのビームが揃い、物質・生命の奥に広がるフロンティアを覗くためのMLFという名の超巨大顕微鏡が、いよいよ始動を開始します。 この先MLFが私たちに垣間見せてくれるのは、果たしてどのような世界なのでしょうか。皆さんとともに、その成果を楽しみに待ちたいと思います。
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