6月18日に行われたKEK公開講座で、「SuperKEKB始動!」と題した講義を行ったのは、KEK加速器研究施設の増澤美佳教授です。増澤氏はKEKで、加速器では欠かせない技術である電磁石の研究に20年間携わってきました。講演に合わせ、増澤氏にこの分野に興味を持ったきっかけなどについてインタビューしました。
KEKB解体時、Belle測定器の前での集合写真(手前中央の女性が増澤氏)
―SuperKEKB加速器へのアップデートは2010年から建設工事が始まり5年半かかって今年2月に試験運転開始に至りました。増澤先生は実際の現場で磁石の設計、設置作業などをされていたのですね。
「SuperKEKB加速器では、数百キログラムから10トン以上の重さの大小2500台以上の磁石を使います。小さな粒子のかたまり同士を3キロの長さの加速器の中で回して衝突させるので、磁石の設置の精度はとても重要です。レーザートラッカーという測定器を使いながら、5000点以上測定のマークをつけ、点検や修正を繰り返しながら一つ一つ磁石を設置していきました。2月9日に無事に(粒子の)ビームが回った時には、肩の力が抜けました。1個でも電磁石の強さや位置がずれていたら回らないですからね」
―それは気が遠くなるような大変な作業ですね。
「測量や設置作業をしていく中で、同時進行していた地上部の工事やPF-AR※1への直接入射路工事の影響を受けて徐々に地盤が沈下したり、電磁石の不具合が発生したりなど、様々な障害がありました。2011年の東日本大震災の時には、それまでにKEKB加速器※2の実績を基に精密測量によって決定したせっかくの測量基準点が動いてしまいました。精密測量網が崩れてしまったわけです。仕方ないので測量網を使って一回で精密に設置するという作戦を変更して、最後は磁石同士の位置関係をスムーズにつなぐやり方に変えました。今回ビーム周回がスムーズに行ったことは私達のグループにとって大きなマイルストーンであったことは間違いありません」
―この分野に興味を持たれたきっかけはどのようなことだったのですか。
「もともと宇宙については漠然とした興味があったのですが、高校2年生くらいの時にたまたまテレビでBBCが制作した『The Key to the Universe』という番組を見ました。KEKなどの高エネルギー実験を行う研究所や研究内容の紹介をしていて、それを見て、宇宙の謎を解くカギに近づける具体的な方法があることを知りました。また、フランスで長年研究され海外で活躍した初の日本人女性物理学者と言われる湯浅年子さんの紹介もされていました。小柄な女性がフランスの大きな男の人たちを動かして実験をされていて、すごいなあと、憧れました。ここから物理を専攻しようと方向がまとまってきました」
SuperKEKBの電磁石を配置する「アラインメント」終了の記念撮影
―そこから大学では物理の専攻に進まれたのですね。
「大学では宇宙空間から降り注ぐ極めて小さな粒子である宇宙線の観測などをやっていました。大学を卒業した後、アメリカに渡りドクター(博士号、PhD)を取得。アメリカの高エネルギー物理学研究所であるフェルミ国立加速器研究所(Fermilab)での素粒子実験にも携わりました」
―大学を卒業されてすぐにアメリカに行かれたのですか?
「紹介状など何もなく、単身で飛び込みました。それまでの海外経験は大学卒業間際に旅行したくらい。英語もあまりわからないし、何もかも初めての厳しい環境でした。Fermilabのハイライズという特徴的な建物があるのですが、それを見たときは『ここまで来たんだ』と感動しましたね。それまでに本で読んだような有名な研究者もカフェテリアで食事していたりして。私が参加した実験グループ(E760というチャーモニウム※3の実験)はイタリア人が半分、アメリカ人が半分という構成で、スポークスパースンがまず女性で、チームの半分が女性でした。当時日本では理系に進む女性は少なかったのですが」
―なぜイタリアは女性の研究者が多かったのでしょう?
「イタリアはお母さんが強いカルチャーであることが関係しているかも知れません。アメリカの女性研究者も多くいましたが、イタリアの女性たちの方が肩ひじ張らず、自然に混じって研究していたように私の目には見えました。Belle II実験のミーティングでその時の仲間の数人(現在はPNNL※4,ハワイ大学、トリノ大学等)に20年ぶりに再会しました。それこそ同じ釜の飯を食い、共に苦労して時には議論してケンカしてPhDをとった仲間です。その後各々ヨーロッパやアメリカの大学や研究所に散らばり、様々な人生を送って来た訳ですが、縁があってBelle II実験で日本で再会しました。再会の時はもう、学生時代の同窓会のような状態ですね。アメリカでの経験は今の私を支える大きな財産です。ただし『若気の至り』で、今となってみればとっても無謀でもあったので、自分の娘が何の保証もないまま家を飛び出して外国へ、なんて言い出したらまず反対します。ダブルスタンダードです」
―アメリカの大学院でドクターを取られてからは、どうされたのですか。
「ポスドク(博士研究員)でスーパーカミオカンデ※5のプロジェクトに2年間、アメリカ側から参加しました。その後帰国してKEKに入りました」
―そこから、加速器電磁石の分野に携わられて、今に至るのですね。この分野の魅力はどのようなところでしょう。
「『なぜだろう』と考えるのが好きで、その理屈に説明がつくとうれしい。この分野に限ったことではないと思いますが。それの積み重ねなのではと思いますね。それが結果として大きなプロジェクトを作り上げていくことになったということですね」
―貴重なお話をありがとうございました。
※1 PF-AR‥‥KEKの二つめの光源加速器。トップクォークの探索が行なわれていたトリスタンの前段加速器を改造し、世界でも類を見ない大強度パルス放射光専用光源に転用したもの。パルス放射光を利用して分子の変化する様子を捉える研究や、高エネルギーX線を利用した地球科学研究など、特徴的な研究が行われている。
※2 KEKB加速器‥‥1994年から建設が始まり、1999年に運転を開始、2010年まで約10年にわたり世界最高の性能で運転を続けてきた加速器。80億電子ボルト(8GeV)の電子と35億電子ボルト(3.5GeV)の陽電子を衝突させ、大量のB中間子やタウ粒子、チャーム粒子を生成した。KEKB加速器を使って大量生産されたB中間子の崩壊現象で粒子・反粒子の対称性の破れなどを発見したのがBelle測定器。世界15の国と地域からの約60の大学・研究機関に所属する約400人の研究者が参加した国際共同チームが、このBelle測定器を建設し、Belle実験としてデータ収集および物理解析を行ってきた。実験チームは、2001年にはB中間子と反B中間子の対称性の破れを発見し、小林・益川理論の検証を行うなどの成果をあげ、2008年の小林・益川両氏のノーベル物理学賞受賞に貢献した。2010年6月にはSuperKEKBプロジェクトに向けた加速器と測定器のアップグレードのため、データ収集を終了した。
※3 チャーモニウム‥‥チャームクオークとその半クオークからなる素粒子。中間子の一種。
※4 PNNL‥‥パシフィック・ノースウェスト・ナショナル・ラボラトリーの略。科学技術、環境、エネルギー、国防などの研究を行うアメリカの国立研究所。
※5 スーパーカミオカンデ実験‥‥東京大学宇宙線研究所神岡宇宙素粒子研究施設を中心に、日本、アメリカ、韓国、中国、ポーランド、スペイン、カナダ、イギリスなど約35の大学や研究機関による共同研究で行われている実験。検出器は、5万トンの超純水を蓄えた、直径39.3m、高さ41.4mの円筒形水タンクと、その壁に設置された光電子増倍管と呼ばれる約1万3千本の光センサーなどから構成されており、岐阜県飛騨市神岡鉱山内の地下1,000mに位置している。1991年に建設が始まり、5年間にわたる建設期間を経たのち、1996年4月より観測を開始した。実験の目的の一つは、太陽ニュートリノ、大気ニュートリノ、人工ニュートリノなどの観測を通じて、ニュートリノの性質の全容を解明すること。1998年には、大気ニュートリノの観測により、ニュートリノが飛行する間にその種類が変化する現象(ニュートリノ振動)を発見し、さらに2001年には、太陽ニュートリノの観測により、太陽ニュートリノ振動を発見した。2011年には人工ニュートリノによって第3の振動モードも発見した。