日本初のホームページはKEKから
#ハイライト今や私たちの生活に欠かせないツールとなっているインターネット。実は、日本で初めてとなるウェブページが世界に発信されたのはKEKからでした。KEKが取り組む研究分野のひとつ、高エネルギー物理学では、一般的に世界各国の研究者が何百人、時には何千人と集まって、巨大な実験装置の建設や、それを使った研究を行います。このため、この分野では早くから積極的に情報交換のためのネットワークが実験に取り入れられてきました。現在では、膨大な数のデータ解析や、研究者間での研究連絡のために、インターネットはなくてはならない存在となっています。
KEK資料室にある日本初のウェブページを発信したコンピューター
現在汎用されている、インターネット上で提供されるWorld Wide Web (WWW)というシステムが誕生する前は、電子メールやファイル転送などを行う世界的なネットワーク「高エネルギー物理ネット」というパソコン通信が使われていました。1980年代中ごろになって、アメリカとヨーロッパで世界中の研究者が参加するような超大型の加速器建設計画が始まります。そのための情報交換は、単にメッセージの交換などだけでなく図面や書類の交換、テレビ会議なども使い、綿密に建設計画を進める必要がありました。
そのような中で、ネットワークをもっと有効に使った情報共有の一つとして「Webの生みの親」として知られるCERNのバーナーズ=リー氏のチームがWWWを開発。1990年には、HTMLや最初のWebサーバー、最初のWebブラウザ兼Webエディタなどを完成させました。1993年、CERNは当時普及しつつあった WWW について、接続規格文書やソフトウェアについて権利を主張せず、誰でも自由に無料で使えるパブリックドメインとすることを宣言。ここから現在までの約23年間の間に、Webの利用は研究分野だけでなく、社会経済、教育から一般家庭にまで、今や欠かせない存在として急速に普及しました
KEKから日本初のホームページを発信したのは当時KEK計算科学センターの助手(現在、沖縄科学技術大学院大学・副学長代理)だった森田洋平氏です。森田氏と、当時計算科学センター長だった渡瀬芳行氏は、1992年にフランスのアヌシーで行われた、高エネルギー物理学分野でのコンピューター活用について話し合う国際会議(CHEP)に参加。会議では、今後実験の進捗状況などの情報をネットワーク上で共有していくことが確認されました。
会議の後、森田氏と渡瀬氏は、スイスのジュネーブにある欧州合同原子核研究機関(CERN)を訪れました。森田氏はさっそくCERNの端末室でHTMLファイルを作り、KEKのサーバー上に置き、このKEKのアドレスをCERNのリンク集のページに加えてもらいました。上図のような英文字で記されたとても簡単なものでしたが、これが日本で初めてのウェブページとなりました。1992年9月30日のことです。当時はWWWサーバーの数も、世界で十数か所程度しかありませんでした。
インターネット黎明期からその歴史を知り、現在もKEK計算科学センターで研究員として研究を続ける渡瀬氏によると、研究のための情報交換には、昔は電話回線で相手を呼び出し、キーを打つと相手の端末に文字が出る「テレックス」を使用していた時期もあったといいます。同氏は、「インターネット(WWW)については、学術上の情報を共有するには便利だとは思っていたが、ここまで一般に広がるとは思っていなかった」と、現在の急速な広がりを、驚きをもって受け止めていると語っています。
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