元加速器研究施設長の生出 勝宣氏がロルフ・ヴィデレー賞を受賞
KEKの元加速器研究施設長の生出 勝宣(おいで かつのぶ)名誉教授が、ロルフ・ヴィデレー賞 (Rolf Wideröe Prize) を受賞しました。この賞は、加速器科学分野で卓越した業績を達成した研究者に授与されるものです。今年、この分野で最も大きな国際会議である国際粒子加速器会議 (IPAC’23) がイタリア・ベニスで開催され、生出氏のヴィデレー賞受賞記念講演が行われました。中でも「汝(なんじ)のビームを愛せよ、そうすればビームは必ずそれに応えてくれるであろう」という話は聴衆の喝采を浴びました。生出氏は、国内外の多数の加速器計画に関わり、他の研究者が思いつかないような洗練された提案を行ってきました。生出氏のこれまでの研究業績を振り返ってみたいと思います。
授賞式で講演する生出氏。IPAC’23の厚意により提供。Pics by Mazzola and Padovani
1980年代、生出氏は、衝突型の電子加速器の衝突点ビームサイズには、最終収束電磁石による放射光発生に伴う原理的な限界、いわゆる生出リミットがあることを見いだしました。また、進行方向に傾いたビームバンチを利用して、交差角がある蓄積リングのビーム衝突が衝突効率を失わずに実現可能なことを示し、後にKEKB 加速器で採用されることになります。
1990年代に生出氏は、Bファクトリー加速器*1であるKEKB加速器の設計チームを率いて、先進的なビーム光学設計や有限交差角衝突*2などの斬新なアイデアにより、ライバルとなったSLAC (Stanford Linear Accelerator Center。現在のアメリカのSLAC 国立加速器研究所)のPEP-II加速器より3倍以上高いルミノシティ(衝突性能)を目指す野心的な設計を完成させました。KEKB加速器はこの設計に基づいて建設されました。
KEKB加速器はBelle測定器とともに1999年から電子ビームと陽電子ビームの衝突実験を開始しました。生出氏はKEKBビーム運転グループを率いて、率先してビーム調整にあたりました。その途中で、真空チェンバー内に発生した電子が陽電子ビームにまとわりついてビームの大きさ(厚さ)を大きくしてしまうという想定外の問題(電子雲不安定性)にも直面しました。しかし、生出氏のリーダーシップのもとで、加速器チームがこの問題を克服し、運転開始から約4年半でルミノシティの設計値に到達し、当時の世界最高のルミノシティを達成しました。これは、KEKBの設計のアイデアやコンセプトが全て成功したことを意味します。
KEKBやPEP-IIでの物理実験で、B中間子の崩壊における大きなCP対称性の破れが観測され、2008年の小林氏と益川氏のノーベル賞受賞を後押ししました。これは KEKB加速器における高いルミノシティ達成によるところが大きかったと言えます。
さらに生出氏らは、クラブ空洞と呼ばれる装置の導入も提案していました。クラブ空洞は、ビームを進行方向に傾けるための特別な装置で、有限交差角衝突を維持しつつ正面衝突させることができます。このクラブ衝突がさらにルミノシティを向上させる*3可能性が示されたことから、クラブ空洞の開発に拍車がかかり、2007年、世界に先駆けてクラブ空洞をKEKB 加速器に導入しました。その後、世界初のクラブ空洞の実用運転は成功し、ルミノシティ向上をもたらすとともに世界の同様のクラブ空洞使用計画を勇気づけました。
KEKBレビュー委員とビーム調整について議論する生出氏(2007年。KEKB制御室にて)
KEKB加速器の成功には、生出氏が中心となって開発した加速器設計プログラムSAD (Strategic Accelerator Design) も大きく寄与しました。生出氏らは、優れた設計プログラムの必要性を感じて TRISTAN加速器*4の運転の後期からSADの開発を続け、KEKB加速器の運転を開始する頃には、ビーム運転中にもSADを使用できるようにさまざまな拡張を行いました。ビーム測定・ビーム力学解析・ビーム条件最適化・機器制御などの繰り返しが容易になり、日々のビーム性能向上が可能になりました。
加速器運転では、新しいアイデアがあっても、機器の性能限界などのために、実際の加速器でビーム性質や衝突性能の向上に結びつくかどうかわからない場合も多く、素早く試験運転を行えることが重要でした。毎朝の打ち合わせで新しい提案があると、関係者が検討して午後にはその試験運転が行われ、夜には通常の運転の一部に加えられるということも少なくありませんでした。加速器の試験運転時間は限られているので、このような性能向上の積み重ねが世界最高のルミノシティを達成する一つの要因になりました。
日本の素粒子物理学研究は、湯川 秀樹、朝永 振一郎らによって理論的基盤が作られました。そして、KEKのTRISTAN加速器において電子陽電子衝突の当時の世界最高エネルギーを達成たことにより、高エネルギー加速器による実験的・技術的基盤が形作られました。さらに、KEKB加速器では、SLACのPEP-II加速器との厳しい競争がありました。連日お互いの成果を比較し合い、またしばしば開催された研究会において新しいアイデアを交換しながら、お互いを高め合いました。KEKBでは生出氏をリーダーとして、国際的な高性能加速器の設計指針や運転指針が構築されました。今後の高エネルギー加速器は、一つの国で建設・運転することは困難となると考えられており、このような国際協力体制はますます重要になります。
そして2000年代にはKEKB加速器の次の計画として、生出氏を中心としてSuperKEKB計画が提案されました。ビーム衝突点とその近傍の設計を最適化することによって、大幅な性能向上が期待できます。2019年から本格的な物理実験を開始したSuperKEKB加速器とBelle II測定器は、すでにKEKBの2倍以上のルミノシティに達し、国際的な注目を集めながらさらなる性能向上を目指しています。
記者の質問に答える生出氏(2011年、SuperKEKB開始記念式典にて)
生出氏は、長きにわたってリニアコライダーの発展にも尽力しました。SLACのSLC (Stanford Linear Collider) *5のダンピングリングのビーム力学解析やFFTB (Final Focus Test Beam Facility) の光学設計、KEKのATF (Accelerator Test Facility) のダンピングリングの光学設計などにおいて数々の貢献を行いました。また、2004年の ITRP (International Technology Recommendation Panel) の委員として、国際リニアコライダーの常伝導加速と超伝導加速の技術選択にも貢献しました。
生出氏は、2015年にKEK加速器研究施設長を退いてからは活動拠点をCERN(欧州合同原子核研究機関)に移し、将来計画である FCC (Future Circular Collider) *6に参加しました。FCCは、最初に電子陽電子衝突加速器 FCC-eeを建設してHiggs粒子などの精密測定実験を行い、その後、陽子衝突加速器 FCC-hhとしてこれまでにない高いエネルギーでの衝突実験を目指す計画です。このFCCについて、さまざまな困難な条件を同時に満たすという他の研究者が解けなかった課題を、生出氏は鋭い洞察力からビーム光学設計を提案し解決しました。
現在、生出氏はジュネーブ大学の客員教授として FCC-ee計画のビーム光学設計グループを率いています。また SuperKEKBを含む国際的な複数の加速器に助言を続けるなど、さらなる加速器科学の進展に貢献しています。
*1 Bファクトリー加速器:KEKBやSuperKEKB加速器は、電子と陽電子の衝突によりB中間子と反B中間子の対を大量に作り出します。このことから「Bファクトリー加速器」と呼ばれています。生成されたB中間子と反B中間子が崩壊する際のわずかな違いを注意深く精密に観測することにより、「CP対称性の破れ」の証明やさらに新しい物理法則を探索する研究が行われています。
https://www.kek.jp/ja/research/fa_accl/kekb/
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*2 有限交差角衝突:電子ビームと陽電子ビームが正面衝突ではなく少し角度を付けて衝突する方式です。従来よく使われていた正面衝突と比較して、衝突前後で二つのビームを分離しやすいなどの利点があります。
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*3 クラブ衝突によるルミノシティ向上:2004年にKEKの大見氏のビーム・ビームシミュレーションによりその可能性が示されました。
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*4 TRISTAN加速器:トリスタン(Transposable Ring Intersecting STorage Accelerators in Nippon)計画の電子陽電子衝突型円形加速器。KEKB加速器の前に1986年から1995年まで運転されていました。当時世界最高である重心系500億電子ボルト(50 GeV)のエネルギーで電子陽電子の衝突実験に成功しました。KEKBやSuperKEKBでは、TRISTANで使われた地下のトンネルを今も利用しています。
https://www2.kek.jp/kek50/ja/top5/acc/pdf/04.pdf
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*5 SLC : アメリカSLACで1980年代から90年代にかけて運転された世界で初めての電子陽電子衝突型リニアコライダー。
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