鏡の中の磁石はどちら向き?
- キラルな「磁気」構造の新たな証拠 - 自然界には右手と左手、あるいは右ネジと左ネジといったように、自身を鏡に映した姿がもとの姿と重ならない(鏡映対称性が破れている)ものがあり、このような性質をキラリティ(chirality、カイラリティ)と呼びます。キラリティがあるものは全て「右手系」か「左手系」に区別されるわけですが、時にこの区別が物質の性質を語る上で極めて重要になることがあります。例えば、生物の代謝に関わる化合物では、キラリティの違いが代謝に大きな差をもたらします。(それらを作り分ける不斉合成の研究で野依良治氏がノーベル化学賞を受けた事は記憶に新しいところです。)また、物質が分子構造のレベルでキラリティをもつと、その物質を透過した光は偏光面が右又は左に回転する(旋光性)ことが知られており、光を物質で制御する(あるいはその逆)という応用的な観点からも大変重要な性質です。実際にはこの光に対する応答の違いから分子構造レベルでのキラリティの有無が議論されています。 ところで上述のような旋光性は磁場の存在によっても引き起こされることが知られています(ファアデー効果など)。そこで舞台として「透明な(光を通す)」磁性体を考え、もし磁性体の磁気構造(原子磁石の並び方)がキラリティを持っていたら同じように旋光性を示すのではないか、という予想のもと、有機化学の手法を用いてそのようなキラルな磁性体を合成する試みが数多く行なわれています。分子の骨格構造と違って磁気構造は外部からの刺激で変化させられる可能性もあり、より広範な応用の可能性も考えられるため、現在ホットな分野の一つになりつつあります。分子研/広島大のグループはそのような磁性体を既にいくつか合成することに成功し、それらについて磁気構造がキラルかどうかを調べるために様々な研究を行なってきましたが、このほど物構研ミュオン物性グループ(KEK)と共同で研究を行い、「グリーンニードル」と呼ばれる有機キラル磁性体(化学式で[Cr(CN)6][Mn(S/R)-pnH(H2O)] (H2O)、GN-(S/R)と略記、その結晶構造自体が既にキラリティをもつのでキラル磁性体と呼ばれる)の磁気構造が本当に右手系/左手系と区別できるものであるかどうかを実験的に調べました。 chiral-1
この実験の鍵は、右手系/左手系のキラリティを持つ結晶構造の格子点に磁気モーメント(この物質ではクロムおよびマンガン原子)を配置した試料を合成し(図1a, b)、それらのすぐそば(原子スケール)で内部磁場の大きさを測定できるミュオンスピン回転法(μSR)を用いて、右手系/左手系の試料中の定位置で内部磁場に違いがないかを確かめた点です。もし図1a), b)のように磁気モーメントの構造が結晶構造と同時に互いに鏡像関係にあれば、磁気構造もキラルであるといってよい訳ですが、試料に注入したミュオンは結晶構造だけで決まる定位置に止まって内部磁場を観測するため(例えば図1でμ+とラベルされた位置)、このときミュオンが感じる内部磁場の大きさは(符号を除いて)同じになります。
cat1_chiral_fig2

ところがもし図1c)のように結晶構造だけが鏡像になっていて磁気構造が変化していないとすると、右手系と左手系で磁気モーメントが作るμ+位置での合成内部磁場が変わってくるため、内部磁場に比例するミュオンスピン回転の周波数が違って見えるはずです。実際の測定結果では図2に示されたように、ミュオンの回転周波数は両者で全く同じであることが示され、この有機キラル磁性体はその磁気構造もキラルである可能性が高い事が示されました。μSRによるこのような比較測定は容易に行なうことができるので、磁気構造のキラリティを評価する手法として更なる応用が期待されます。