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last update:08/11/06  

   image 居心地のいい真空の話    2008.11.6
 
        〜 自発的対称性の破れとは 〜
 
 
  南部陽一郎先生、小林誠先生、益川敏英先生の受賞で日本中が沸いた2008年度ノーベル物理学賞。身近な先生が受賞されたということで、KEKもお祝いムードに包まれました。

受賞理由は「対称性の破れ」。このうち小林・益川理論は、すでにご紹介したように、粒子と反粒子の間の対称性の破れ、つまり素粒子とその反粒子の性質にはわずかに違いがあることを説明したものでした。では、南部理論の「自発的対称性の破れ」とは何でしょうか。言葉を聞いただけでは何のことかわからないと思います。ノーベル財団のホームページにはこんな説明がありました。鉛筆のとがったほうを下にして立てようとしても、手を離すと倒れる(図1)。これが自発的対称性の破れの一例だと。「えっ? 南部先生は、そんな当たり前のことでノーベル賞? じゃあ私も」、と思ったそそっかしい人はちょっと待ってください。本当は鉛筆ではなくて「真空」の話なんです。

素粒子はさざ波

水を張った水槽を想像してみてください。揺らさないようにしばらく静かに置いておくと、水面は平らになります。そこで横から壁をたたくと、波が立って反対の壁に向かって進んでいくでしょう。では、壁をたたく力をもっと弱くして、立てる波を小さくしてみたらどうでしょう。次はもっと弱く、もっと小さく。どこまで小さくできるでしょうか。実は、量子論によれば、波にはそれより小さくなれない最小単位があります。1つ、2つと数えられる極小の波。ひとりでに消えたりすることなく、ぶつかったり跳ねかえることもある。まるで小さな"粒子"みたい。そう。物理学者はこの小さな波のことを粒子と呼ぶのです。

波には伝わるものがあるはずです。ここまで考えたのは水面を伝わる波でした。空気を伝わる波は音ですね。では、光のように、空気のないところでも伝わる波はどうでしょうか。この場合、波は「真空」を伝わっていきます。光の波の最小単位は「光子」といって素粒子のひとつですが、他の素粒子もすべて、真空を伝わる小さな小さな波だと考えられています。

現代の素粒子論は、「場の量子論」と呼ばれるものでできています。難しそうですね。実際、大学の物理学科の学生ですら、4年間の講義を終えて大学院に入ってからようやく場の量子論を学びます。でも簡単に言うとこういうことです。素粒子には、その種類に応じて「場」がある。「場」は水中には水がどこにもあるように、そして空中には空気がどこにもあるように、空間のあらゆる場所に広がっています。電子には電子場、クォークにはクォーク場があって、これらが水や空気のような役割をして波を伝えます。「場」に立った最小のさざ波。これが素粒子なのです。

真空でリラックス

さて、今日の本題は真空についてです。真空といわれて普通に思い浮かぶのは、宇宙空間のように空気も「何もない空間」ですね。でも、何もないように見えるのは単に気づいていないだけかもしれません。

水槽にバケツの水をぶちまけたところを想像してみましょう。最初は泡立ったり大きな波や渦ができます。小さな嵐です。でも、水槽をそっとしておくと、そのうち落ち着いてきます。水面が静かになり、やがて水平になって動かなくなります。これは、エネルギーがもっとも低い状態に落ちついたせいです。他から力(エネルギー)を加えないと、もうこれ以上は動きません。波がひとつも立っていない、こういう状態を、物理学者は「真空」と呼びます。そこにはまだ水があることに注意しましょう。何もない空間、ではないのです。

素粒子の世界の真空も同じです。超高温で生まれた宇宙の初期には、電子場やクォーク場など、すべての「場」がめちゃくちゃに波打っています。宇宙が冷えるにつれて、場もエネルギーのもっとも低い状態に落ち着いていきます。場も一番居心地のいいところに落ち着くんですね。これが現在の真空です。

真空での「場」とはどんなものか。本当に何もない、すべての場がゼロになった状態か。それとも?

いよいよ対称性の破れ

場が持つエネルギーは自然法則によって決まります。例えば、場のエネルギーが図3のようになっていたとしましょう。この図の真ん中の盛り上がった部分が「場がゼロ」の状態です。しかし場がゼロになった状態よりも、その周辺のゼロでない状態のほうがエネルギーが低くなっています。エネルギーの低い状態に落ち着きたい「場」はそちらに落ちていきます。どっち向きに落ちるかは運次第。でもとにかくどこかには落ちつくのです。

こうやって自然に真空が決まることを、「自発的対称性の破れ」と呼びます。真中にいれば回転しても変わらない(回転対称性がある)けど、落ちた先ではそうはなっていない(回転対称性が破れた)からです。最初の鉛筆の例も、まさにこれと似た状況ですね。あの場合は1本の鉛筆が、倒れてよりエネルギーの低い状態になりました。「場」の場合は、これと同じものが空間のあらゆる点にあるわけです。

その結果起こることは?

水槽の水面が高くても低くても、波は立ちます。波だけ見ていても水面の高さはわかりません。この場合は、「真空」がどうなっているか(水位が高いか低いか)を考えてもあまり意味はなさそうです。ではなぜ、素粒子の世界の自発的対称性の破れには大きな意味があるのでしょうか?

もう一度、図3を見てみましょう。「場」が落ちていって真空になった場所を見てみると、円周方向には坂がなく、余分なエネルギーなしで動けることがわかります。これは、質量ゼロの粒子があることを意味しています。現実の素粒子では、湯川秀樹博士が予言したパイ中間子がそれにあたります。パイ中間子の質量は、現実にはゼロではありませんが、他の粒子(陽子、中性子など)の質量に比べるとずっと小さいことがわかっていました。南部理論は、その理由を説明することができたのです。この同じ理論は同時に、その他の粒子の質量が大きくなることも説明します。素粒子が質量をもつ仕組みを明らかにすることになったわけです。

パイ中間子は、その質量だけでなく他の性質も自発的対称性の破れをもとに予測することができます。現在では、パイ中間子はクォークと反クォークの結合状態(そのことも南部理論が初めて指摘した)であることがわかっており、より基本的な素粒子であるクォークは、量子色力学(QCD)という法則にしたがいます。QCDは極端に難しい理論で、それを解くのは数値シミュレーションに頼るほかありません。KEK素粒子原子核研究所の野秋淳一研究員らの最新の計算によれば、自然界のパイ中間子は、確かに自発的対称性の破れによって生じた粒子であることが、パイ中間子の詳細な量子効果も含めて確認されました(図4)。

素粒子から時空と真空へ

自発的対称性の破れの発見には、ここで見たよりも深い意味が潜んでいます。それはむしろ、対称性の破れの発見ではなく、自然界では破れてしまって見えない、隠れた対称性を発見したことにあります。現代の素粒子論の基本原理は、おおざっぱに言えば、対称性が決まると素粒子の法則が決まるというものです。隠れた対称性の発見は、より根源的な素粒子の法則の発見につながります。南部理論の当初の対象は、クォークのもつ「カイラル対称性」の破れでしたが、その後ヒッグスらがこれを別の「(弱い相互作用の)ゲージ対称性」に応用し、ヒッグス機構を考案しました。これを組み込んだのがグラショウ・ワインバーグ・サラムの電弱統一理論で、現代の素粒子標準理論の大きな柱となっています。

アインシュタインは時空が平らではない可能性を考えて重力の理論(一般相対性理論)を作りました。南部先生は、真空が「空っぽ」でない可能性を考えて素粒子理論に突破口をひらきました。素粒子の基本法則を追い求めることで、人類は時空と真空の成り立ちにまで迫ることになったのです。



※もっと詳しい情報をお知りになりたい方へ

→KEK大型シミュレーション研究のwebページ
  http://ohgata-s.kek.jp/
→2008年ノーベル物理学賞のwebページ(英語)
  http://nobelprize.org/nobel_prizes/physics/laureates/2008/
→解説ページ(英語)PDF
  http://nobelprize.org/nobel_prizes/physics/
            laureates/2008/info.pdf

→解説ページ(日本語)PDF
  http://nobelprize.org/nobel_prizes/physics/
            laureates/2008/press_jap.pdf


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[図1]
自発的対称性の破れの一つの例。とがったほうを下にして鉛筆を立てるとどちらかに倒れる。鉛筆が立っている状態は軸の周りに対称になっているが、自発的に倒れた(一つの方向に偏った)状態になる。身の回りで起こるありふれた現象の一つだが、実は同じことが「真空」でも起こっている。
拡大図(360KB)
 
 
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[図2]
水面にできた波はとどまることなく動いていく。量子論では、波の最小のかたまりを粒子とみなすことができる。波と粒子の二重性と呼ばれる。
拡大図(183KB)
 
 
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[図3]
「場」がもつエネルギーはその値によって変化する。その形は場合によってさまざまだが、図のような形のときは、場の値がゼロ(図の中心)ではなく、周辺の底になっている場所に落ち着く。中心にいれば回転対称(回しても動かない)だが、周囲の点は回転対称性をもたない(回すと移動する)。このことを自発的対称性の破れと呼ぶ。
拡大図(75KB)
 
 
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[図4]
量子色力学(QCD)の数値シミュレーションで得られた最新の結果。図の上はパイ中間子質量の2乗をクォーク質量で割ったもの、下はパイ中間子の崩壊定数。いずれもパイ中間子質量(の2乗)に対する依存性には曲がりが見られる。これは量子効果を表しており、その大きさは自発的対称性の破れをもとにした理論と詳細な一致を示している(図中の線)。カイラル対称性を厳密に保ったQCDシミュレーションを行うことで、あいまいさのない初めての検証につながった。KEK素粒子原子核研究所の野秋淳一研究員らのこの研究成果は、Physical Review Letters 誌に掲載予定。
拡大図(8KB)
 
 
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[図5]
図4のシミュレーションに使われたKEKのスーパーコンピュータ IBM Blue Gene Solution。
拡大図(53KB)
 
 
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[図6]
南部陽一郎先生。2007年6月にKEKを訪問して講演された。
拡大図(62KB)
 
 
 
 
 

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