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last update:07/05/10  

   image あなたはなぜ重いのか?    2007.5.10
 
        〜 宇宙に埋まった質量の種 〜
 
 
  最近体重が増えてきたと悩む人は多いかもしれません。真の原因は他にあるでしょうが、もっと根本的な疑問に頭を悩ませれば体重のことは忘れられるかもしれません。例えば、そもそも物質に重さがあるのはなぜか?それが今日の主題です。

ジャイロボールと素粒子の質量

物質をどこまでも細かく見ていくと素粒子に行き着きます。クォークや電子といった素粒子の世界にまでさかのぼってみると、物質に質量があるのは素粒子が質量を持っているせいだということになります。それですむのであれば物質の質量の疑問はこれで終わりなのですが、実は素粒子の世界にはこれではすまない事情があるのです。

素粒子は自転しています。野球のピッチャーが投げるボールはたいていどちらかの方向に回っていますが、あれと同じように素粒子も回っているわけです。ただし、ミクロの世界では回転の仕方が限られていて、時計回り(右巻き)に回っているか反時計回り(左巻き)に回っているかのどちらかです。ボストン・レッドソックスの松坂大輔投手は魔球「ジャイロボール」を投げるそうです。ボールの進行方向と回転軸がそろっているのがジャイロボールで、右投げの松坂投手が投げるボールは右巻きになります。

素粒子の世界を支配する4つの力のひとつに「弱い相互作用」というものがあります。中性子のベータ崩壊を引き起こすこの相互作用は、驚いたことに左巻きの粒子にしか働かないことがわかっています。私達の身の回りでは右利きと左利きで自然法則が違うようには見えませんが、素粒子の世界では右巻きの粒子と左巻きの粒子は、別の法則に従っているのです。むしろ右巻き粒子と左巻き粒子は別の素粒子と考えたほうがいいくらいです。

このことと質量とが関係しているのは、アインシュタインの相対性理論から導かれます。相対性理論によれば、あらゆる粒子は光速より速く飛ぶことはできず、光速で飛ぶことができるのは質量ゼロの粒子だけです。光速で飛ぶ粒子を追い越すことはできませんから、もしこの高速で飛ぶ粒子が右巻きに回っていたら、それは誰が見ても右巻きです。ところが、質量をもつ粒子の場合は決して光速で飛ぶことはないので、何とかしてその粒子より速く飛ぶことができれば、その粒子は反対方向に走っているように見え、もともと右巻きだった粒子は左巻きに見えます。質量がある粒子では、このように右巻きか左巻きかがあいまいになってしまうのです。これは右巻き粒子と左巻き粒子が合体したと思ってもいいでしょう。もともと素粒子は右巻きと左巻きが別の粒子だったことを考えると、質量を持つということは素粒子にとっては大事件であることがわかります。

ヒッグス粒子がすべてを解決する?

数ある素粒子の中で、右と左をくっつける役割をしてくれるのはヒッグス粒子だけです。ヒッグス粒子が触媒になって右巻きと左巻きが合体し、素粒子が質量をもつようになる。これですべてが解決するような気がしますが、ちょっと待ってください。ヒッグス粒子はいったいどこにあるのでしょう? 巨大加速器を使った実験でもいまだに見つかっていないのです。見つかってもいないものがすべての素粒子に質量をあたえるという重要な仕事をできるでしょうか?

答えは真空にあります。つまり、真空にはヒッグス粒子がびっしりと埋まっていると考えるのです。他の素粒子は、真空中に埋まったヒッグス粒子を触媒として右巻きと左巻きが合体し、質量をもった粒子になる。これが、現代物理学が予想する質量の起源です。

本当に埋まっているのなら十分なエネルギーを与えれば出てくるはずです。これこそが、これからの加速器実験 LHC と ILC の役割です。真空中の一点に膨大なエネルギーを注ぎ込むことでヒッグス粒子をたたき出してやろうというわけです。果たして本当にヒッグス粒子が出てくるのか?実験の結果が楽しみです。

真空は大入り満員

実はこの話はここで終わってはいません。陽子・中性子を作っているのは3つのクォークですが、ヒッグス粒子によって作られたクォークの質量はとても小さく、陽子・中性子の質量の2%分ほどしかありません。では、残りの98%はどこから来たのか?

答えの鍵はまたしても真空にあります。真空にはヒッグス粒子のほかにも、クォークと反クォーク(クォークの反粒子)のペアがぎっしりと埋まっているのだと考えられています。クォークがこのクォーク・反クォークペアの海の中を進もうとすると、いつもペアにぶつかってスムースに進むことができなくなります。こうしてクォークはもともとの小さな質量よりもはるかに重くなり、これが陽子・中性子、そして物質の質量となるというわけです。質量を作る種は真空に埋まっているのですが、それは1つではなく、まずヒッグス粒子、そしてクォーク・反クォークペアの二幕構成になっているのです。

二幕目の主役は量子色力学

第二幕目では、クォークは他の粒子に手伝ってもらうわけではなく、いわば自分が自分に重さを与えるという、ちょっと手品みたいなことになっています。ここでの主役は、「強い相互作用」の基礎理論である量子色力学(QCD)です。QCDが作る強い力によってクォークと反クォークは互いに強く引き合って、ついには真空中に埋まりこみ、自分自身に質量をあたえるというわけです。

お話としてはそれでいいのですが、QCDはとても難しい理論で、紙と鉛筆を使った計算でこのような真空の状態を導くことには誰も成功していません。でもスーパーコンピュータを使ったシミュレーションならそれが可能になります。それには、QCDを4次元の格子の上で考えた格子QCDと呼ばれる理論を使います。今回、高エネルギー加速器研究機構のスパコンを使った研究グループが、真空中のクォークのエネルギー準位をシミュレーションで計算することで、クォークが確かに反クォークとペアを作って真空に埋まっていることを確かめることに成功しました。

質量を生み出す種は、何もないと思っていた真空に、しかも2種類も隠されていたのです。


※もっと詳しい情報をお知りになりたい方へ

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[図1]
物質の階層。原子は中心の原子核とその周りを回る電子からできている。電子は原子核よりもはるかに軽いので物質の質量を考えるときは無視してもよい。物質の質量のほとんどを担う原子核は、陽子と中性子が塊を作ったような構造をしている。さらに陽子と中性子の中をのぞいてみると、それぞれクォーク3個からできていることが知られている。通常の原子核ではクォークの種類はアップ(u)とダウン(d)があるが、uud の組み合わせでできているのが陽子、udd の組み合わせだと中性子になる。
拡大図(31KB)
 
 
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[図2]
回転する素粒子。クォークや電子などの素粒子は自分自身の周りを回転している。進行方向に向かって時計回り(右巻き)に回る素粒子と反時計回り(左巻き)に回る素粒子があるが、「弱い相互作用」が働くのは左巻きの素粒子だけである。
拡大図(190KB)
 
 
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[図3]
南部陽一郎博士。クォーク・反クォークペアが真空を埋めつくしているというアイデアを提案したのは南部陽一郎博士(シカゴ大名誉教授)で、1961年のこと。南部博士は、超伝導の理論からヒントを得た。超伝導のBCS(バーディーン・クーパー・シュリーファー)理論では、上向きスピンをもつ電子と下向きスピンをもつ電子がペアを作って金属中を埋めつくし、ペアとしての運動では電気抵抗をゼロにするほどスムースに動けるが、個別の電子は実効的に大きな質量をもつようになる。南部博士はこの考えをクォーク・反クォークのペアに置き換え、素粒子の質量の起源になると考えた。後にヒッグス機構が考案された際にも、この考えが応用された。
 
 
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[図4]
格子QCD。QCDは、クォークを4次元時空にくまなく広がる「場」として表し、それらが近くの場と複雑に相互作用する理論。無限個の自由度をもつこの理論を近似することなく解くことはできないが、時空を4次元の格子点で近似すれば自由度が有限個になり、計算機シミュレーションで扱うことができるようになる。
拡大図(24KB)
 
 
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[図5]
クォークのエネルギー準位。研究グループは真空中のクォークのもつエネルギー準位を計算した。これは超伝導状態での電子のエネルギー準位に相当する。図はエネルギー準位の比をプロットしたもの。2/1,3/1 などは、(2番目の準位)/(1番目の準位)等をあらわす。中央が真空中のクォーク・反クォーク対の効果を含む最新の計算結果。クォーク・反クォーク対が真空を埋めつくしたと仮定して得られた理論的予想(横棒)とよく一致している。
拡大図(21KB)
 
 
 
 
 

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