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黄金の小判を壊さず検査 2009.1.22 |
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〜 いよいよ稼働、「崩壊ミュオン」 〜 |
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昨年の9月26日にJ-PARC初のミュオンビームの発生に成功した物質・生命科学研究施設MLFのミュオンセクションでは、その後も着々と装置の調整・施設の拡張が進み、12月末には負の電荷をもつミュオンビームの発生に成功しました。非破壊検査に威力を発揮する負ミュオンのビームの実力を示すべく供せられたサンプル第一号は、なんと、金色に渋く輝く”天保小判”でした(図1)。 前進し続けるMLF KEKと日本原子力研究開発機構が共同で建設を進めている、大強度陽子加速器施設J-PARC。その中ほどに建つ物質・生命科学研究施設MLFには、物質の構造と機能を探るための強力な道具となる、中性子とミュオンのビームの発生装置があります。中性子やミュオンの粒子を人工的に作り出し、ビームとして物質に照射することで、物質内部のさまざまな情報を得ることができるのです。5月30日に中性子が、9月26日にミュオンが、それぞれ初のビーム発生に成功し、今後の本格利用に向けて整備や調整が進められています。 ミュオンという粒子 ミュオンは、宇宙線として日夜絶え間なく私たちに降り注いでいる実は身近な粒子なのですが、人工的につくり出すのはかなり大変です。J-PARCでは、陽子を光速近くまで加速し、黒鉛でできた厚さ約2センチメートルのミュオン生成標的に衝突させることで、ミュオンを発生させています(図2)。高エネルギーの陽子が標的の原子核に衝突すると、原子核の一部が壊れ、そのすさまじいエネルギーのなかで様々な粒子が生まれます。その一つであるパイ中間子がおよそ5000万分の1秒で崩壊し、ミュオンに生まれ変わるのです。ミュオン自身もおよそ50万分の1秒程度の時間で崩壊して電子とニュートリノに変化してしまいます(図3)。 同時に生まれる他の粒子と同じように、ほとんどのパイ中間子は衝突点からあらゆる方向に飛び散りますが、一部に標的中に留まるものも生じます。これらの速度をもたないパイ中間子からつくられるミュオンを”表面ミュオン”と呼びます。9月に発生に成功したミュオンの初ビームは、このような表面ミュオンからなるビームでした。高速で飛び散るパイ中間子からミュオンビームを作るよりも、最初からミュオンになっているものを集めてビームにする方が簡単です。 さらに高エネルギーのミュオンを求めて 高速で飛び散るパイ中間子を集め、よりエネルギーの高い”崩壊ミュオン”と呼ばれるミュオンのビームを生み出すには、更なる前進が必要でした。 超伝導ソレノイドは、標的からのパイ中間子を捕獲し、パイ中間子からミュオンへの崩壊を待ち、そのミュオンを集め方向を揃えて、実験施設のあるビームラインへ誘導する装置です。MLFの超伝導ソレノイドは、MLFのミュオン施設の前身ともいえるKEKの物質構造科学研究所のミュオン科学研究施設(MSL)のものを移設し再利用したもので、コイルの全長6m、地磁気のおよそ10万倍にあたる5テスラという強い磁場を形成することができます。パイ中間子はこの中を運ばれながら、その間にミュオンに変化するのです(図4)。 KEK物質構造科学研究所 研究機関講師の下村浩一郎さんや助教の幸田章宏さんらが中心となり、KEK超伝導低温工学センターの協力を得て、ミュオンセクションでは初ビーム以降も引き続き超伝導ソレノイドの調整を進めました。超伝導ソレノイドの性能をフルに引き出し、”崩壊ミュオン”のビームを得ることに成功したのは、初ビームからおよそ3ヶ月後、ちょうどクリスマス・イブの夜のことだったそうです(図5)。 崩壊ミュオンで調べる物質の内部 正の電荷のみの表面ミュオンとは違い、崩壊ミュオンは正負どちらの電荷をもつビームでも発生させることができます。負の電荷をもつミュオンは、質量は電子の約200倍と重いものの、多くの点で電子と同じ性質を示します。そのため、電子の代わりに負ミュオンが原子核の周りをまわる、”ミュオン原子”を作りだすことができます。 物質に電子を照射すると、含まれる元素の種類や状態によって異なる特性X線という光を放ちます。この特性X線を解析することで、物質の組成を知ることができます。この仕組みはすでに様々な物質の組成分析に広く活用されており、分析手法として確立されています。 ミュオン原子でも、同じ現象を観測することができます。特性X線は、原子の周りを回る電子がより内側の軌道に落ちるときに発する光であり、原子の周りをまわるミュオンも、より内側の軌道に落ちる時には元素や原子の状態に即した光を放つのです。ミュオン原子が放つ特性X線は普通の原子が放射する特性X線に比べてエネルギーがとても高く、透過性が高いのが特徴です。普通の原子から放射される特性X線は透過力が弱いため、物質の表面付近から放射されたものしか観測することができませんが、ミュオン原子の特性X線を利用すれば、場合によっては数ミリメートルから数センチメートルの物質の内部の組成を、非破壊で調べることも可能なのです。 崩壊ミュオンを制御できるようになったことで、ミュオンセクションは新しい物質科学研究の技を手に入れたのです(図6)。 MLFでの非破壊検査の第一号に選ばれたのは、国立歴史民俗博物館・齋藤努さん提供の天保小判でした(図7)。渋い金色に輝くこの小判は純金ではなく、金56.8%、銀が43.2%の比率で作られたものであることがデータからわかりました。 時代劇では、登場人物が小判をかじってその純度を見極める場面があるようですが、現代ではミュオンビームの方が断然正確です。小判に歯形もつきませんしね。 非破壊検査の手法は、今後も前進を続けます。過去にはMSLでも負ミュオンのビームを用いた非破壊検査が行われていましたが、下村さんによれば、MLFのビームラインは強度や精度が格段に向上しているとのことです。より厚みのある資料の内部分析も可能であるだけでなく、直径3センチメートル程度のビームの径を小さくしても非破壊検査に十分なビーム強度を確保できることや、光源と分析機器との距離がMSLより遠いためデータにノイズが少ないことなどから、今後の開発により更に細かく試料を調べることが可能になるとのことです。J-PARC本格稼働の後、将来的にはMSLの数百倍のビーム強度が実現する予定なので、その頃にはMLFのビームラインは強力な非破壊分析装置として活躍していることでしょう。今後は産業利用や学際的研究にも力を入れたいと語りつつ、次々と開発のアイディアを披露して下さる下村さんの頭には、さらなる前進のためのプランがたくさん詰まっているようでした。 核融合から天体まで また、負ミュオンのビームは、物理科学の基礎的な研究への活用も期待されています。ミュオン原子では、原子核とミュオンの距離が、通常の原子における核と電子の距離に比べて200分の1ほど小さくなります。そのため、例えば電子をミュオンで置き換えたミュオン水素分子では、水素原子核同士がぐっと近づくのです。このことを利用したミュオン触媒核融合という現象がすでに知られており、各地で研究が進んでいます(図8)。 とはいえ、基礎的な過程についてはまだわからないことが多いようです。「今はまだ、ミュオン原子がミュオン分子になる過程も分かっていないところがあります。」と、KEK物質構造科学研究所 研究機関講師の河村成肇(なりとし)さんは語ります。特にMLFでは、低温でミュオン原子が分子を作る過程を解明するための、実験的研究を行いたいと考えているそうです。基礎的な研究が、ひとつぶのミュオンを触媒として効率的に働かせることにつながり、さらにはミュオン触媒核融合実用化の道を開く礎になるはずだと、熱く語ってくれました。 また、ミュオン原子を利用すると原子核を構成する陽子の分布を見ることができることから、この手法を利用して、不安定な同位体の原子核の大きさや形を調べる試みが始まろうとしています。寿命があり、壊れてしまう不安定な同位体と、安定な同位体では、原子核は本質的にどう違うのか。「太陽などの恒星の歴史は、核融合の歴史でもあります。星の歴史や寿命について詳しく知るためには、原子核の形という基本的なことについてきちんと知ることが必要なのです」同じく研究機関講師のパトリック・ストラッサーさんは語ってくれました。 本格稼働に向けて 今年4月からの本格稼働を目前に急ピッチで建設が進むMLFの内部は、いつ見てもどこかが変化しています。まるで、深く基礎研究へ、広く応用へ、身近なエネルギー問題へ、遠い宇宙へと、自ら作った装置を介してどんどんと育ち伸びていく、研究者の探究心や思いを映しているようです。でもそれは決して無計画に伸びているわけではなく、表面ミュオンの発生を成功させたら次は崩壊ミュオン、というように、一つ一つ段階を踏んで成果を重ねたものなのです。MLFの、またJ-PARCの完成した姿はどのようなものになるのか、その後どのように進化をとげ姿を変えていくのか、楽しみです。
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