根岸英一教授×ERL 21世紀のサイエンスを語る(後編)

 

3月14日に開催されたERLシンポジウムにて特別基調講演をされた、2010年ノーベル化学賞受賞者の根岸栄一教授(米国パデュー大学)に、21世紀のサイエンスについて伺いました。聞き手はERL計画推進室長の河田洋教授。物質科学をリードしてきた根岸教授に、測定、分析開発の立場からお話を伺います(後編)。前編はこちら

ERLができること、人にしかできないこと

河田:ERLシンポジウムですので、ERLに関することを。ERLというのは、時間的なダイナミクス、そして、空間的にこの場所で分子がどのように反応していくかを見たい、という要求のもとで、プロジェクトを進めています。根岸先生のお立場、主に合成の反応機構という分野から、ERLに対する期待はどのようなものがありますでしょうか?

根岸英一教授(左)と河田洋ERL計画推進室長(右)

根岸:我々の分野も含めて化学変化を扱う分野全てにおいて、当然行くべき、そして突き抜けてさらに上へ行くべきと言うか。リアルタイムで構造を見たい、動きを見たい、これは多くの分野の基礎的な要求だと思いますので、これが発達していくということは非常に重要だと思いますね。仮に初期投資額が高かったとしても、必ずやそれが発達すれば、後は使い道なども深く、広く、高く(笑)なってくるでしょうからね。私は非常に期待しています。
それはそれとして、私どもが人工光合成を考える場合に、(ERLとの)接点はいくらでもあるわけですが、やはり、非常に素朴な、基礎的な、簡単なことを頭の中で使ってゲームをして、そこから出て来るものが当分の間さらに重要だと思いますね。
河田:頭の中でゲームをする、ですか?
根岸:例えば、リボソームの構造などは頭の中では構築できませんよね。まあ、見た絵をそこはかとなく覚えていることはできますけれども。で、例えばここの距離がいくらだということを使ってとか..そういうリファインされたレベルではなくて..。
河田:ああ、そういうことですか。例えばアダ・ヨナットさん*5のリボソームの場合、mRNAがこう入ってきて..のようなアニメーション的なものがあるわけですが、そういうことですね。
根岸:そうですね。ヨナットさんのお仕事などはかなり生化学的ですね。一口に言って、生化学的に突っ込んでいこうとすると、すぐ構造の問題が出てきますね。かなり複雑な。その次に、その構造がどういうメカニズムを使って働いているか..と考える。
我々の場合は、構造とメカニズムは非常に簡単なものにとどめて、こうだとすればこういうことが起こるのではという、まあ悪く言えばゲームみたいなもので、基礎的なことをしっかりと踏まえて、予想を立てて。予想を立てるということは結局アイディアですので、必ずしもうまくいくとは限らないんですが。
河田:それは僕もすごく共感するところがあります。自分が研究していて、実験結果を見た時に、「どういうことが原因だとするとこれが起こるか」という仮説をいくつも立てられる、その能力が非常に重要ですよね。

一番のマシンは・・・


根岸:実は最も生化学らしくない仕事が生化学で一番重要になっているんですね。例のクリック・ワトソンです。クリックさんやワトソンさんは、(DNAの)構造のことはほとんどおやりになっていない。構造は他の方が解かれたわけですから。構造はこうわかってきた、ところがいったいこの構造が何なんだろうかということを、あの2人は、お酒を飲みながらかどうかわかりませんけど(笑)、まあ何年かかかったか知りませんが、頭の推理力で、遺伝の原理まで行ってしまった。これが生化学を全部根底から組み直して、さらには犯罪学にまで応用されているし、今では遺伝の原理に基づかない医学というのはほとんど考えられないですね。化学と生化学にはそういう違いを感じますね。生化学は、構造、それに基づいたメカニズムという、非常にリファインされたところから入る。合成化学や有機化学は、なんかもうゲーム感覚ですね(笑)
河田:僕は合成化学は素人なのですが、触媒がある反応を起こしたときに価数がこう変わるとか、そのようなことは放射光を使って、あるいは何らかの分光学的な手法で得られると思うんですよね。
根岸:得られるんですが、そこに頼っていたら間に合わないんですね。例えば0から1になるのか、2になるのか、3になるのかというようなところが出てきた場合、初めてそういうもの(分光学的手法)が必要になってくるわけです。だから、現実に見たりお話を聴いたりして、ああ、ずいぶん毎日の仕事の内容には違うものがあるだろうなと、そう思いますね(笑)
ですから、分析が進んでいるものについては、やはり、装置の性能を上げて、それによって構造解析をさらに精密に、速くする、ということだろうと思います。生物学になるとそのへんが非常に難しくなってくるでしょうね。複雑だから。私の分野では、とにかく簡単だからやってみるというか、こういうふうにやったらこうなるんじゃないかとか、アイディアとか発想のようなもの、そこには基礎的な量子力学とか、分子軌道理論とか、そういう非常に簡単なものが効くんですよね。そこは(サイエンスは)多種多様で、それらが集まって全体のサイエンス体系ができているんだなあということを感じますね。


河田:根岸先生は、21世紀のサイエンスの広がりを考えたときに、社会的な問題、例えば今回のERLシンポジウムは「持続可能な社会に向けて」という副題を付けていますが、どういう分野にもっと我々後輩が力を入れるべきとお考えでしょうか?
根岸:やはり生物学でしょうか、今日の浅島先生のお話*6を聞いていても、素晴らしいことがわかってきてはいるけれども、わからないことがまだかなりあるなあと。あんな複雑なものを扱っておられるわけですから当然だと思うんですね。まだまだ進歩の余地が膨大にあるということを感じますね。
河田:もう少し抽象的な言い方をすると、生物に限らず、複雑系、不均一系の反応、あるいは動きや機能、そういうものを見て行くということですね。
根岸:広い意味での分析のテクニックがどんどん、少しずつ伸びて行くことですね。それと同時にやはり、その基礎の我々の一番いいマシンがここ(頭を指さす)にあるわけですから(笑)
河田:後に続く我々やもっと下の世代の人間に対して、ちゃんと頭を磨いて、基礎的な洞察力を磨けよ、という非常に大きなメッセージだと受け取りました。今日は、非常に楽しく、先生のレクチャーを聴かせていただいたような気がしています。どうもありがとうございました。


柔らかな物腰の根岸教授ですが、サイエンスの話題となると身振り手振りを交えて語り始めます。同じ物質科学という分野の研究者でありながら、分析装置を利用する側と開発する側の対談は、視点こそ違うものの、21世紀のサイエンスをしっかりと見据えていました。

脚注

*5 アダ・ヨナット。イスラエルの結晶学者。「リボソームの構造の研究」で2009年にノーベル化学賞を受賞。1980~90年代にフォトンファクトリーで研究を行った。
*6 「生命科学における課題と次世代放射光への期待」浅島 誠(産業技術総合研究所)

関連サイト

第2回ERLシンポジウム
ERL計画推進室
ERL情報サイト
放射光科学研究施設フォトンファクトリー

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