電気伝導性と磁性が切り替わる純有機物質の開発

 

―重水素移動が握る物性変換の鍵―

平成26年8月26日

国立大学法人 東京大学
大学共同利用機関法人 高エネルギー加速器研究機構
一般財団法人 総合科学研究機構




1.発表のポイント: 

水素結合(注1)を制御することによって電気伝導性と磁性が同時に切り替わる純有機物質を初めて開発しました
・この切り替えは、熱による水素結合部の重水素(注2)移動と電子移動の相関に基づく新しいスイッチング現象であることを明らかにしました
・(重)水素移動と連動したスイッチング機能を有する新しい低分子系純有機素子・薄膜デバイスの開発につながると期待されます

2.発表概要: 

水素結合は、水や氷、DNA(デオキシリボ核酸)やタンパク質中などに存在し、私たちの生命や生活にとって必要不可欠な役割を果たしています。この水素結合を利用して分子やイオンを物質中で上手に連結させると、その物質の誘電性(注3)やイオン伝導性を制御したり、ある温度で切り替えたりすることが可能となります。このような水素結合を用いた物性・機能の制御や切り替えは、基礎学術的な観点だけではなく、応用・実用的な観点からも大変興味深いものです。しかし、水素結合を用いた切り替えの成功例はこれまでのところ誘電性など、ごく一部の物性に限られていました。

今回、東京大学物性研究所の上田 顕助教、森 初果教授らの研究グループは、水素結合ダイナミクスを用いて電気伝導性と磁性を同時に切り替えることができる純有機物質の開発に初めて成功しました。そして、高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所の村上 洋一教授、熊井玲児教授、中尾 裕則准教授、総合科学研究機構の中尾 朗子副主任研究員、岡山理科大学応用物理学科の山本 薫准教授、東邦大学理学部の西尾 豊教授らと共同で、この物性の切り替えが熱による水素結合部の重水素移動と電子移動の相関に基づく新しいスイッチング現象であることを解明し、さらに、重水素を水素の代わりに導入したことがこのスイッチング現象の実現の鍵であることを突き止めました。

本研究の成果は、水素結合を基にした新しいタイプの低分子系純有機スイッチング素子・薄膜デバイスの開発につながると期待されます。本成果の詳細は、アメリカ化学会誌「Journal of the American Chemical Society」オンライン版Current Issueに近日掲載予定(詳細未定)で、また、同誌のSpotlights(編集者が選ぶ注目論文)に選ばれています。

3.発表内容:

① 研究の背景
水素結合は、物質を構成する最も重要な化学結合の一つであり、古くからその実験的および理論的研究がさまざまな分野で盛んに行われています。水素結合が示す興味深い現象の一つに、水素結合を介した水素(イオンあるいは原子)の移動現象があります。この現象は、生体系における各種の化学反応や、さらには誘電体やプロトン伝導体(注4)といった機能性物質においても重要な役割を果たしています。例えば、ある種の誘電体においては、水素結合内の水素の位置がある温度で変化することで、物質全体の極性(正負の電荷の偏り)が切り替わり、常誘電状態と(反)強誘電状態(注5)が入れ替わります。このような水素結合ダイナミクスを用いた物性・機能の切り替えは、基礎学術的な観点だけではなく応用・実用的な観点からも大変興味深いものです。しかし、水素結合を用いた切り替えの成功例は、これまでのところ誘電性などごく一部の物性・機能に限られていました。

誘電性に加え、電気伝導性や磁性もまた物質が示す代表的な物性です。上記の水素結合型誘電性とは異なり、これらの物性は原子や分子の「電子」が起源であることから電子物性とも呼ばれます。これらの物性のスイッチング現象もしばしば見られますが、その起源は電子自身にあり、水素結合ダイナミクスを用いた誘電性の切り替えとは原理的に全く異なるものです。その一方で、上述の生体系における各種の化学反応では、水素結合を介した水素移動と分子間の電子移動が連動して起きていることが知られています。そこで物質科学分野の研究者は、水素結合と電子物性を共存させた物質を設計・開発し、水素結合による電子物性の制御や切り替えに挑んできました。その結果、電子物性の制御についてはある程度可能となってきましたが、その切り替えには至っておらず、ブレークスルーとなる新物質の開発が求められていました。

② 研究内容
東京大学物性研究所の上田 顕助教、森 初果教授らの研究グループは、独自のアイデアを基に、水素結合ダイナミクスを用いて電気伝導性と磁性をある温度で同時に切り替えることができる純有機物質の開発に初めて成功し、この切り替えが熱による水素結合部の重水素移動と電子移動の相関に基づく新しいスイッチング現象であることを明らかにしました。

今回開発した純有機結晶物質は、κ-D3(Cat-EDT-TTF)2と表され、図1左において緑色で囲んだCat-EDT-TTFと呼ばれる2個の有機分子が [O...D...O] 型の重水素を介した水素結合により連結されたユニット構造のみから構成されており、金属や無機元素を含んでいません。この物質の電気抵抗率を室温から温度を下げながら測定したところ(図2a、青丸)、185 K(-88 °C)付近で急激に上昇しました。この結果は、この物質が半導体から絶縁体(注6)に変化したことを意味しています。同様に磁化率も測定したところ(図2b、青丸)、やはり185 K(-88 °C)付近で急激に変化し、常磁性状態から非磁性状態(注7)に変化していることが分かりました。低温から高温へと加熱した場合(図2a,b、赤丸)には、逆の変化が185 K(-88 °C)付近で見られ、この温度で電気伝導性と磁性が同時に切り替わっていることが明らかとなりました。一方で、この物質の水素結合部の重水素(D)が水素(H)である類似物質(同研究グループが2013年開発)では、このようなスイッチング現象は全く観測されておらず、量子スピン液体状態(注8)であることが明らかとなっています(図2a,b、黒丸)。水素結合部の水素と重水素の違いでこのような電子物性の大きな違いが起きたということは、この物質において水素結合と電子物性が密接に相関していることを示唆しています。

このスイッチング現象の起源を明らかにするため、高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所において、放射光を用いて各種の温度における結晶構造を調べました。その結果、大変興味深いことに、図1に示したように、物性が切り替わる温度185 K(-88 °C)の前後で [O...D...O] 水素結合部の重水素 (D) の位置が変化し、これに連動して2個のCat-EDT-TTF 分子上の電荷のバランスが(+0.5 対 +0.5)と(+0.06 対 +0.94)で切り替わっていることが分かりました。すなわち、熱による重水素移動を引き金とした電子移動がこのスイッチング現象の起源となっていることが実験的に明らかとなりました。さらに、スイッチング現象を示さない水素体と結晶構造を比較したところ、水素を重水素に置き換えたことによって水素結合構造がわずかに変化していることが分かり、この変化が重水素移動そしてスイッチング現象を可能としていることを突き止めました。以上より、今回開発した純有機物質において、水素結合中の重水素移動と連動した電気伝導性と磁性の熱による切り替えが初めて実現しました。

③ 今後の展開
今回開発した物質は水素移動と電子移動が動的に相関した真に新しい機能性純有機固体であり、今後、本物質の詳細な物性測定や理論計算が進むことで、これまでほとんど知られていないかった固体中における水素移動と電子移動の相関現象の基礎的な理解、そして固体化学・固体物理分野の学術的な深化につながる可能性が高まります。さらに、本物質のさらなる化学修飾・機能化により、水素結合を基にした新しいタイプの低分子系純有機スイッチング素子・薄膜デバイスの開発が期待されます。

4.発表雑誌:

雑誌名: Journal of the American Chemical Society オンライン版 Current Issue 近日掲載予定(詳細未定)
論文タイトル:"Hydrogen-Bond-Dynamics-Based Switching of Conductivity and Magnetism: A Phase Transition Caused by Deuterium and Electron Transfer in a Hydrogen-Bonded Purely Organic Conductor Crystal"
著者:A. Ueda*, S. Yamada, T. Isono, H. Kamo, A. Nakao, R. Kumai, H. Nakao, Y. Murakami, K. Yamamoto, Y. Nishio, and H. Mori*
DOI番号: 10.1021/ja507132m
JACS Spotlights(編集者が選ぶ注目論文)に選出されています。

5.問い合わせ先: 

東京大学物性研究所 助教 上田 顕
e-mail: a-ueda@issp.u-tokyo.ac.jp
Tel/Fax: 04-7136-3410

東京大学物性研究所 教授 森 初果
e-mail: hmori@issp.u-tokyo.ac.jp
Tel/Fax: 04-7136-3444

大学共同利用機関法人 高エネルギー加速器研究機構 広報室
報道グループリーダー 岡田 小枝子
e-mail: press@kek.jp
TEL: 029-879-6046 FAX 029-879-6049

一般財団法人 総合科学研究機構
東海事業センター 利用推進部 浅井 利紀
e-mail:t_asai@cross.or.jp
TEL: 029-219-5300 FAX: 029-219-5311

6.用語解説: 

(注1) 水素結合、水素結合ダイナミクス
酸素(O)や窒素(N)などの電気的に陰性な元素と電気的に陽性な水素の間の静電的な引力によって形成される化学結合。[OHO] や [NHN] が代表的で、構成する元素や周囲の環境により多彩な結合様式をとる。温度変化により水素結合中の水素の位置が変化(水素移動)することもあり、このような動的な振る舞いを水素結合ダイナミクスと呼ぶ。

(注2) 重水素
水素(H)の同位体の一つで、元素記号はD。陽子および電子の数は水素と同じ(1個)であり、電子状態は同様であるが、水素と異なり中性子を1個有しているため、質量は水素の2倍である。この大きな質量差に由来して、原子間の結合エネルギーは異なっており、例えば、化合物中のHをDに置換すると、反応・解離速度や振動数、結合長などのパラメータに違いが生じる(重水素同位体効果)。

(注3) 誘電性
物質が、物質全体として正負(プラス・マイナス)の電荷の偏りを示すこと。

(注4) プロトン伝導体
プロトン(水素陽イオン、H+)がキャリア(担体)である伝導体のこと。金属などの通常の電気伝導体では電子(または正孔)の移動によって電気が流れるのに対し、プロトン伝導体ではプロトンの移動によって電気が流れる。

(注5) 常誘電状態と(反)強誘電状態
物質に電場を加えることによって、正負の電荷の偏りが現れる状態が常誘電状態。電場を印加しない状態で、自発的に電荷の偏りを示す状態を強誘電状態、部分的な正負の電荷の偏りを有するがそれらが物質中で打ち消しあい全体として自発的な電荷の偏りを示さない状態を反強誘電状態と呼ぶ。

(注6) 半導体、絶縁体
半導体とは、電圧をかけるとある程度電気を流す物質のこと。一方で、電圧をかけても電気を(ほとんど)流さない物質を絶縁体と呼ぶ。半導体は絶縁体よりも低い電気抵抗率を有している(一般的に、半導体の電気抵抗率は10-3~106cm、絶縁体は106Ωcm以上と言われる)。

(注7) 常磁性、非磁性
ともに物質の磁気的性質を表す用語。物質に外部から磁場を与えたとき、応答を示すのが常磁性、応答を示さないのが非磁性。

(注8) 量子スピン液体状態
物質中の電子のスピンは通常、低温下では規則的に整列するのに対し、限られた一部の物質においては、スピンの向きが極低温まで定まらず、ふらふらしていることがある。この状態のことを量子スピン液体状態と呼ぶ。


【参考図】

図1 今回開発したκ-D3(Cat-EDT-TTF)2における電気伝導性・磁性の熱による切り替えと化学構造・電子構造の変化
純有機物質κ-D3(Cat-EDT-TTF)2は、左図において緑色で囲ったCat-EDT-TTF分子が [O...D...O] 水素結合でつながれたユニット構造から構成されている。185 K (-88 °C) で [O...D...O] 水素結合部における重水素 (D)が移動し、これに連動してCat-EDT-TTF 分子間での電子移動が起きることで、2個のCat-EDT-TTF 分子上の電荷のバランスが変化し[(+0.5 対 +0.5)⇔(+0.06対 +0.94)]、結果として電気伝導性(半導体⇔絶縁体)と磁性(常磁性⇔非磁性)が切り替わる。

図2 電気伝導性(電気抵抗率, a)と磁性(磁化率, b)の熱による切り替えを示すグラフ
青丸、赤丸は今回開発した重水素(D)体 κ-D3(Cat-EDT-TTF)2のデータ。高温から低温へ冷却した場合、低温から高温へ加熱した場合の結果をそれぞれ表している。黒丸は本グループにより2013年に開発した軽水素(H)体κ-D3(Cat-EDT-TTF)2のデータ。量子スピン液体状態を示すH体とは異なり、D体は185 K (-88 °C) 付近で電気伝導性と磁性の大きな変化(スイッチング現象)を示す。

関連サイト

東京大学物性研究所
東京大学物性研究所 森研究室
高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所(IMSS)
放射光科学研究施設フォトンファクトリー
高エネルギー加速器研究機構 構造物性研究センター(CMRC)
総合科学研究機構(CROSS)
総合科学研究機構 東海事業センター

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