坂井光夫 元原子核研究所所長ご逝去にあたって

 

KEKの前身である東京大学原子核研究所で所長を務め、やはり前身である高エネルギー物理学研究所の創設を推進された東京大学原子核研究所の坂井光夫名誉教授が、2015年12月に逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

山内正則機構長のメッセージ -坂井先生ご逝去にあたって-

本機構にとりまして、2015年の年の瀬に、大変残念な訃報に接することとなり、悲しみにたえません。

坂井光夫先生におかれましては、1968年から1978年に及ぶ東京大学原子核研究所第四代所長の時代を含めて、数10年間の長きにわたり日本国内における原子核物理研究を一貫してリードし、その発展を支え続けて来られました。特に1967、1977年には、日本初の原子核物理に関する国際会議、「原子核構造国際会議」および「原子核国際会議」の開催に尽力され、同分野の国際化に貢献されました。他方、高エネルギー物理分野の発展にも意を尽くされ、1971年には高エネルギー物理学研究所の創設を支援し、また、1973年の「高エネルギー物理学国際小シンポジウム」開催には組織委員会会長として、その手腕を振るわれました。

所長時代には、当時未開の分野として注目を集めていた高エネルギー重イオンビームによる原子核物理の急速な発展を期して、坂井先生自らが中心になってNUMATRON(高エネルギー重イオン加速器)計画を立案されました。この計画は実現には至りませんでしたが、重イオンビーム科学の重要性を広く世間に知らしめる契機となり、その後の核物質の物性研究、中・高エネルギー核物理、短寿命核ビーム物理などの基礎科学の発展を促がす一方、重粒子線治療という新たな応用研究分野の開拓にも繋がることとなり、世界に先駆けた多様な研究が花開く端緒となりました。

NUMATRON計画により追及された原子核分野のための基幹加速器施設の建設計画は、その後、形を変えて、高エネルギー物理学研究所と原子核研究所の統合によって生み出された現在の高エネルギー加速器研究機構における主要研究施設、J-PARC施設として、その加速器群の中に息づいています。

基礎研究だけではなく多彩な文化活動においても、奥様のフランス文学者、フランソワーズ・坂井・ブロック女史とともに、長年フランスとの文化交流の一翼を担われて来られたことは関係者の間では有名な事実です。その功績はレジオン・ドヌール勲章(シュバリエ章)として、1984年フランス政府より顕彰されました。

坂井先生が先導して開拓してこられた日本の原子核物理研究や加速器科学は、世界に誇る研究拠点や医療拠点の形成にまで至りました。坂井先生の熱意と意志を引き継いで、豊かな土壌に開花したこの基礎科学の文化を更に発展させるため、機構職員が一丸となって邁進してまいりたいと思います。

故人のご冥福をお祈り申し上げるとともに、ご遺族の皆様に心よりお悔やみ申し上げます。

高エネルギー加速器研究機構長
山内正則

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