【KEKのひと #2】「科学の"おもしろそう"を伝えたい」広報コーディネータ 髙橋将太さん

 
科学の『おもしろそう』を伝えたい」と話す高橋将太さん

愛知県豊田市出身。 幼いころは、図鑑を開くのが大好きな少年でした。 小学5年生の終わりから中学2年生の終わりまでの3年間には、父親の仕事の都合で海外暮らし。 当時はサッカーやテニスなど、スポーツに熱中していました。

その後、県内の高校へ進み、授業で核融合科学研究所を見学したのをきっかけに核融合の世界に興味を持ち始めました。 大学は京都大学理学部に進学、素粒子物理学との出会いは、大学3年生でたまたま履修した素粒子の実験演習でした。 「核融合は自分が生きている間に完成しないかもしれない。素粒子なら何か歴史的な瞬間に立ち会えそう」と、”おもしろそう”を基準に、素粒子物理を専門として同大の大学院に進むことを決めました。

修士課程を修了し、一般企業へ就職する道もありましたが、「もう少し研究がしたい」と博士課程へ進学。 大学院では、東海村のJ-PARCを利用した「T2K長基線ニュートリノ国際共同実験プロジェクト」にも参加しました。 ところが、博士1年となる直前に東日本大震災が起き、3年目にはJ-PARCのハドロン実験施設で放射性物質漏えい事故が発生。素粒子実験の実験施設が停止してしまう状況が続きました。

それまでは当たり前に動いていた実験施設が使えないという外的な要因で、博士論文を執筆するのにデータが集められない不運に見舞われました。 「先輩を見て、博士論文を書くにはものすごいパワーと気持ちが必要なことが分かっていた。テーマを変えるなど他の方法もあったのかもしれないけれど、そこまでの覚悟がなかったです」と振り返ります。

同大の博士課程を単位取得退学し、2014年5月から素粒子原子核研究所の広報コーディネータ―に。 研究所内では15の研究グループがあり、はじめは次々と出てくるグループごとの研究結果を知らせるのが手一杯でしたが、4年目に入り、「少し先回りをして何をやればいいのかわかるようになってきた」といいます。

サイエンス・カフェも2015年冬に始めた初回はわずか1人の参加者でしたが、徐々に増え毎回20~40人が参加する人気イベントに。 「”おもしろそうだ”というのがいろいろな行動を決める判断基準です」。 これからも、科学の”おもしろそう”を伝えるため、人に向き合い続けます。

TOP