「尾崎敏先生追悼記念シンポジウム」を開催しました

 

高エネルギー物理学研究所(現KEK)とアメリカ・ブルックヘブン国立研究所(BNL)において日米両国における高エネルギー物理学実験の推進に多大な貢献をされた尾崎敏博士(KEK名誉教授)が、昨年7月に逝去されました。尾崎博士のお人柄を偲び、ご業績を振り返るため、4月20日に東京都千代田区の学士会館でKEK主催の「尾崎敏先生追悼記念シンポジウム」を開催しました。両国の関係者100人が参加し、故人を偲びました。

東京都千代田区の学士会館で開かれたシンポジウム

冒頭、山内正則機構長が開会のあいさつをされ、尾崎博士の多岐にわたる業績を紹介し、「私は若いころ尾崎先生に指導を受けました。フレンドリーでオープンな雰囲気の長時間の議論は、私の視野を大きく広げました」と振り返りました。

続いて、菅原寛孝元機構長が「尾崎敏教授のKEKでの日々」という題で講演されました。セピア色の写真を使い、尾崎博士がわが国最初の大型高エネルギー衝突型加速器であるトリスタンの建設の指揮を執り研究をリードした業績について紹介。尾崎博士がいまのKEKの国際共同研究の基盤を築いたことを強調しました。また、尾崎博士が海外の著名な音楽家を次々とつくば市に招き、同市を”音楽会の街”にしたエピソードにも触れました。

アメリカ・シンシナティ大学のケイ・キノシタ教授は、ご幼少のころから尾崎博士をご存知とのことで、ポスドク時代に尾崎博士の示唆によりトリスタンでの磁気モノポール探索(SHIP)実験を提案・実施することになり、当時のKEKが国際化に向かって成長していく過程を目の当たりにしたそうです。講演の最後に、尾崎博士が日米の高エネルギー物理学に残した足跡を「多様な文化が協力し合う時、それが力となり、混乱にもなる。混乱をしっかり見据え、よりよい方向を見出し、そして発見を成し遂げるのだ」という言葉で表現しました。

理化学研究所 BNL Research Centerの秋葉康之実験グループリーダーは、BNLの重イオン衝突型加速器RHICの建設とPHENIX実験の実施に尾崎博士が果たされた功績を、多数のカラー写真を使って紹介。尾崎博士はトリスタンの完成後に再びBNLに戻り、RHICの建設を指揮されました。日米科学技術協力事業をベースに日本の多数の研究者がPHENIX実験に参加しました。秋葉博士は当初から実験に携わり、現在は国際コラボレーションの代表者を務めておられるそうです。

高橋嘉右名誉教授は、尾崎博士が写った一枚の写真を大写しにし、トリスタンプログラム諮問委員会での尾崎博士との思い出を懐かしむように語りました。 シンポジウムの最後に、BNLのドゥーン・ギブス所長が尾崎博士の日米両国での業績に触れながら、「彼は仕事を通じて我々を成長させてくれただけでなく、刺激を与え続けてくれた」と称えました。

シンポジウムに引き続いての懇親会では、釜江常好氏(東京大・スタンフォード大名誉教授)、バーント・ミューラー氏(BNL原子核素粒子物理担当研究所長)、政池明氏(京大名誉教諭)が尾崎博士へのそれぞれの思い出を語り、日米協力事業・トリスタン・RHICに関わった研究者たちが故人を偲びながら時を過ごしました。

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