ハイライト

2010年、J.J.Sakurai賞

2010年8月12日

米国物理学会は毎年、重力物理学に関わるアインシュタイン賞や、人権を支持する活動を行った科学者にあたえられるサハロフ賞など、30に上る賞を授与しています。そのうちのひとつ、素粒子理論物理学への貢献で与えられるJ.J.Sakurai賞がヒッグス粒子に関わる6名の物理学者に授与されました。

その6名は、ロチェスター大学のC.R.Hagen氏、ブリュッセル自由大学のF. Englert氏、ブラウン大学のG. S. Guralnik氏、エジンバラ大学のP.W.Higgs氏、ブリュッセル自由大学のR. Brout氏、インペリアルカレッジのT.W.B.Kibble氏です。いずれもヒッグス機構と呼ばれる仕組みを学術論文で発表したのが受賞理由です。

現在の高エネルギー物理学で最も注目を集めている話題のひとつが、米国シカゴ近郊にあるフェルミ国立加速器研究所(Fermilab)で行われているテバトロン(TEVATRON)実験や、スイス・ジュネーブにある欧州合同原子核研究機関(CERN)で行われているLHC実験で未発見のヒッグス粒子を発見できるかどうかです。

ヒッグス粒子は、標準理論の中で他の素粒子に質量を与える役割を担っており、他の素粒子に質量を与える仕組みをヒッグス機構と呼びます。ちなみに「ヒッグス」は、上記の6名のうち、3人目にあたるエジンバラ大学のP.W.Higgs氏にちなんでいます。

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図1

標準理論の中で唯一見つかっていないヒッグス粒子


先日パリで開かれた2010年高エネルギー物理学国際会議(ICHEP10)においてもTEVATRON実験により、ヒッグス粒子の質量領域にあらたな制限が加わったとの報告がありました。

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図2

画像提供:米国フェルミ国立加速器研究所より

オレンジの領域が今回排除されたヒッグス粒子の質量領域


このヒッグス機構は、2008年のノーベル物理学賞の受賞理由となった南部陽一郎氏の「自発的対称性の破れ」と素粒子の理論の基盤である「ゲージ場の理論」とが組み合わさったとても複雑な仕組みです。この複雑な理論が、1964年の夏から秋にかけ、まったく独立に3か所で考案され、3本の論文として発表されました。

まず、F. Englert氏とR.Brout氏による論文が、Physical Review Letters誌13巻 の9号、8月31日付け(論文受付は6月26日)に公表されました。そして、Peter W. Higgs氏の論文が同誌 13巻16号、10月19日付け(論文受付8月31日)で公表。G.S.Guralnik氏, C.R.Hagen氏, T.W.B.Kibble氏の論文が 同誌13巻20号、11月16日(論文受付10月12日)に立て続けに公表されました。標準理論にとって、1964年は記念碑的な年となったのです。

このJ.J.Sakurai賞は、日本生まれの物理学者、桜井純氏に由来します。1933年生まれの桜井氏は高校生で渡米し、ハーバード大学とコーネル大学大学院で学び、シカゴ大学や、カリフォルニア大学ロサンジェルス校で研究をされました。素粒子物理学の論文を119篇執筆し、当時論文でしか学べなかった最新の理論物理学をいち早く学生たちが学べるように「不変性原理と素粒子」、「上級量子力学」、「現代の量子力学」を著わしました。これらは今でも標準的な教科書として世界中で読まれています。

まだ大学院生であった時に、弱い力の基礎となる理論を提唱しました。またクォークが認識されていなかった当時、スピン1の「ベクトル中間子」と呼ばれる粒子を方程式の対称性を保つための量子場(ゲージ場)と解釈する考えを示しました。この考えはその後の、力をゲージ場とみなし力の統一を図る、といった方向性に大きな影響を与え、弱い力と電磁気力を統一する標準理論に引き継がれています。しかし、残念ながら1982年に早世されました。

第1回目の賞は1985年、益川敏英・小林誠両氏に贈られました。1994年には南部陽一郎氏も受賞されています。その他にも日本人としては、1990年の木下東一郎氏、2004年には三田一郎氏、2005年に大久保進氏が受賞されています。



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