5月9日にKEKBのルミノシティのピーク値が、設計値 (1×1034/cm2/s) に到達しました。今日は、この記録達成の意味と、研究者がどのようにしてこの記録を達成したのかについてお話しましょう。
ルミノシティについては、以前にもお話ししたことがありますが、KEKBでは電子と陽電子の衝突反応が起こる頻度を高めることがとても重要です。この反応が起こる頻度を与える量がルミノシティと素粒子反応の断面積と呼ばれる量との積でした。前にお話したように断面積は素粒子反応の起こりやすさを表す量ですが、これは自然法則だけで決まっていて人間の変えることのできない量です。KEKBを用いた実験では、非常に稀にしか起こらない(つまり断面積の小さな)素粒子反応を調べることが眼目です。そこで、稀にしか起こらない反応をできるだけたくさん調べるには、人間の努力で向上させることのできるルミノシティを可能な限り高くすることが極めて重要なわけです。
大ざっぱに言ってルミノシティは二つのビームが衝突する場所でのビームの断面積に反比例し、また単位時間当たりに衝突点を通過する粒子(電子、陽電子)の数に比例します。後者はビーム電流と呼ばれる量で表現できますから、ルミノシティを上げるには(1)衝突点でのビームサイズを小さくする、(2)ビーム電流を高くする、この二つの方法しかないことになります。これらは、一見簡単そうに見えるかも知れませんが、実際は色々な困難に直面することになります。これらの困難については、後でお話しします。
さて、今回達成された1×1034/cm2/sというルミノシティの記録にどういう意味があるのかをお話しましょう。この設計値ルミノシティは、Bファクトリーで行う物理実験で必要になる衝突事象の総数で決められています。KEKBがまだ計画段階であった約10年前を振り返ってみると、このルミノシティを達成できると信じている加速器研究者は、あまり多くありませんでした。経験を積んだ研究者であればあるほど、この目標の難しさを認識していたからです。図1は、過去約30年の世界の衝突型加速器のルミノシティの向上の歴史です。10年前というと、当時、世界最大のルミノシティ記録を持っていたコーネル大学のCESRと呼ばれる加速器が、今のKEKBの約50分の1しかありませんでしたから、1×1034/cm2/sという設計値が途方もなく高いハードルに見えたのは、無理もなかったのかも知れません。しかし、ルミノシティを制限する色々な要因について詳細に検討した結果、1034/cm2/sのルミノシティは実現可能であるという結論に至りました。この目標に合わせて、KEKBの各パラメータの設計値を決め、またこの設計値に合わせて加速器の各構成要素の設計や開発を行いました。それまでの加速器にはなかった色々な新しいアイデアなども提案され実現しています。
このように、KEKBは当時としては非常に高い目標を掲げて出発し、色々なチャレンジを行ったわけです。これに対して、KEKBのライバルである米国のスタンフォード線形加速器センターのPEP-IIでは、あまり大きな冒険はしないで確実に性能を出すという方針で設計が行われました。PEP-IIの設計値は、3×1033/cm2/sと、KEKBの約3分の1です。図2に、KEKBとPEP-IIのルミノシティの変遷を示しますが、KEKBの方が約2倍近く高いルミノシティを実現しています。この差は、初期の設計方針の差に由来すると考えられます。また、中国の次期計画であるBEPC-IIでは、KEKBで成功した超伝導空洞や衝突点付近の設計を取り入れることが予定されています。また、PEP-IIの将来計画でもKEKBで実績のある衝突点付近の設計やKEKBと同じタイプの常伝導空洞を採用することが検討されています。
しかし目標は高ければ高いほどよいというわけではありません。むやみに高い目標を設定すると、装置の開発の重点がずれてしまう可能性があります。未知の領域に入った時、初めて問題点が見えてくる場合もありますし、またどれが本当の問題なのかがはっきりする場合もあります。KEKBは計画の初期の段階で適度に高い目標を掲げたといえるでしょう。今回のKEKBの成果は、世界中の加速器研究者から注目されています。KEKBの成果にもとづいて、より高いルミノシティの加速器の実現を目指す確かな土台ができたといえるのです。
さて、KEKBでルミノシティを上げるには何が重要であったかを簡単にお話しましょう。図3は、KEKBの運転が始まって以来のルミノシティとビーム電流の履歴です。ルミノシティに関しては、ピーク(瞬間)ルミノシティ以外に、1日当たりのルミノシティの積分値と全積分ルミノシティも示されています。ルミノシティを上げるには、三つのポイントがありました。第一のポイントは、当然ですがビーム電流を上げることです。図3から分かりますように、ビーム電流は非常にゆっくりとしか上がっていません。これは、高い電流のもとでは真空系の色々なコンポーネントが、破損したり、壊れないまでも発熱して電流を上げられないという状況がしばしば起きたからです。これらの発熱や破損は、ビームの作る電磁場やビームそのものがコンポーネントにぶつかることなどによって起きるのですが、問題が起こるたびに発熱対策などを行って少しずつ電流を増やすことに成功したわけです。
第二のポイントは、以前お話したことがある電子雲の問題です。これは、二つのビームのうち陽電子ビームでしか起きないのですが、ビーム電流がある程度以上高くなるとビームの垂直方向のサイズが大きくなってしまうという問題です。こうなると、当然ルミノシティも下がってしまいます。この問題を解決するために、陽電子リングのいたるところにソレノイドを設置しました。図3の一番下に設定したソレノイドの長さが示されていますが、全周約3000mのリングの内で電磁石などがある場所を除いてほぼ全ての場所に設置した結果、約2300mにソレノイドが設置されています。これらのソレノイドは、ルミノシティ向上にとって非常に効果がありました。
第三のポイントは、ビーム・ビーム効果という問題です。これは二つのビームがぶつかる時に起こる現象の総称ですが、ここで問題になるのは、ビーム・ビーム効果によってどちらかの(または両方の)ビームの垂直(または水平)方向のサイズが大きくなってしまうということです。こうなると、ルミノシティは下がってしまいます。この問題は、衝突型加速器ではかなり普遍的な問題ですが、KEKBで進展があったのは、「ベータトロン振動数」と呼ばれる量の水平方向の成分を半整数の非常に近くに持っていったことです。このことによりビーム・ビーム効果によるビームサイズの増大をある程度抑制することができました。このことを可能にするには、電磁石等の設計値からのわずかなずれの効果の補正を行うことが重要でした。この補正の有効な方法を開発したこともKEKBの成果の一つです。
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[写真1] |
世界最高性能の電子・陽電子衝突型加速器KEKB |
[拡大図(55KB)] |
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[図1] |
過去約30年の世界の衝突型加速器のルミノシティ向上の歴史 |
[拡大図(30KB)] |
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[図2] |
KEKBとPEP-IIのピークルミノシティの変遷 |
KEKBは2001年4月に当時の世界最高ルミノシティ3.4/nb/s(インバースナノバーン/秒)に到達。2003年5月9日(金)午前7時26分設計値(1×1034/cm2/s =10/nb/s)を達成した。 |
[拡大図(25KB)] |
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[図3] |
KEKBの運転が始まって以来のルミノシティとビーム電流の履歴 |
[拡大図(70KB)] |
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