「加速膨張する宇宙」2011年ノーベル物理学賞の意義・後編

 
2001年にNASAが打ち上げた観測衛星WMAPは、宇宙の背景輻射を20万分の1度という精度で測定し、ビッグバンから約40万年後の「宇宙の晴れ上がり」と呼ばれる時代の宇宙の温度分布を精密に測定した/画像提供:NASA/WMAP Science Team

前編では、「遠方の超新星爆発の観測による宇宙の加速膨張の発見」について解説を行いました。後編は、「その加速膨張を引き起こすダークエネルギー」に関する解説です。

加速膨張を引き起こすためには、宇宙項もしくは宇宙定数と呼ばれる、通常の物質とは違う性質を持つエネルギーが宇宙に満ち満ちている必要があります。 加速膨張の発見とは、そうした宇宙定数の存在を示唆するものです。通常の物質のエネルギー密度の性質として、宇宙膨張により宇宙の大きさが2倍になると、エネルギー密度は半分になります。 それに対し、宇宙定数のエネルギー密度は全く変化しません。米シカゴ大のマイケル・ターナー教授は、このようなエネルギーの形態の事を、宇宙定数を含むより広い概念に拡張して、ダークエネルギーと名付けています。

宇宙定数は歴史的にはアインシュタインにより初めて導入されました。 古来より、宇宙は静的で、変化しないという先入観がありました。 そのため、彼自身の一般相対性理論の方程式が予言する宇宙が、重力で収縮しないよう、宇宙を静的に保つためだけに人為的に宇宙定数を方程式に付け加えたという経緯があります。 一方、フリードマンとルメートルにより、独立にアインシュタイン方程式には宇宙膨張の解が含まれる事が発見されていました。 当時、アインシュタインはフリードマン達の結果を認めていなかったそうです。 しかし、とうとう1929年にハッブルによる遠方銀河の後退速度の観測により、膨張宇宙の証拠が発見されました。 アインシュタインが人生最大の過ちだったと、ずっと後になって話すように、彼は宇宙定数の必要性を取り下げることになります。 確かに静的宇宙を作るためだけに導入した宇宙定数は、宇宙が膨張することが確定した時点で、必ずしも必要とは限らないものになっていたのです。 しかし、現代になり、加速膨張の原因としての宇宙定数が再発見されたことは、たいへん皮肉な事です。

現在では、他の観測、例えばNASAのWMAP衛星による宇宙マイクロ波背景放射(CMB)の非等方性の観測などを組み合わせることにより、宇宙全体における各々のエネルギー密度の量を詳しく測定することができます。 ダークエネルギーは約73%、ダークマターは約23%、原子などの普通の物質はたったの約4%です。 ダークエネルギーは1ccあたり10-30g程度のエネルギー密度であることになります(10の肩に乗っている数字のルールとして、例えば、1000を103と表し、0.01のことを10-2と表します)。

宇宙の成分表。ダークエネルギーは約73%、ダークマターは約23%、原子などの普通の物質はたったの約4%です。

問題は、宇宙定数の正体が何かです。 宇宙定数とは真空のエネルギー密度の絶対値のことを意味しており、その値がゼロではないという観測結果となっています。 重力が問題にならないような、宇宙論以外の物理学の過程では、真空のエネルギー密度の絶対値は、ほとんど影響がありません。 現代の素粒子論では、理論的に真空のエネルギー密度は観測された量の1056倍から10120倍大きくなってしまうことが知られています。 そこで、観測に合うためには、未知の対称性などにより、それをほぼゼロにする何らかの仕組みが働いていると予想されています。 しかし、なぜ完全にゼロではなく、1ccあたり10-30g程度残っているのかを同時に説明しなければなりません。 正直なところ、宇宙定数の大きさの起源について、全く理解されていないのが現状です。 重力に関わる問題なので、未完成である量子重力理論の将来の完成を待たなければ、答えが出ないのかもしれないとも推測されています。

この1ccあたり10-30gの宇宙定数というのは、たいへん不思議な意味を持ちます。 もし、この値より1000倍でも大きければ、つまり1ccあたり10-27gより大きければ、宇宙は加速膨張に転じる時期が早すぎて、銀河のように、物質が固まって作られる天体が生まれないことが知られています。 当然、太陽や地球は作られず、そのような宇宙には人間も生まれないのです。 なぜ、理論的に1ccあたり1026gでもあり得る宇宙定数の値がそれより1053倍以下の小さい値になっているのか、とても不自然な事です。 この値は偶然なのか必然なのか。そもそも、それが科学的に明らかになるのか?という疑問がわきます。

ここで、17世紀に活躍した哲学者ルネ・デカルトの提唱した”人間原理”という考え方が重要になるかもしれないという話を紹介します。 人間原理とは、宇宙物理学・宇宙論の観点から言うと、”宇宙の物理法則がこうなっているからこそ、この問いを発する人間が必然として生まれて来た”という原理です。 もっとかみ砕いて言うと、 “間違った物理法則の宇宙には、このような問いを発する人間は生まれないので、そもそも、このような問いは発せられない。問いを発する人間が生まれるような宇宙になるように、その宇宙の物理法則が丁度良くなっているのだ” というものです。

コペルニクス以来、旧来の天動説を捨て、人類の存在する地球は太陽系において特別な位置にはいないという地動説を信じるという、パラダイムシフトを迫られました。 また、さらに現代宇宙論では、太陽系やそれを含む天の川銀河は、一様等方の宇宙において、特別な位置にいるわけでははないという”宇宙原理”を受け入れる事となりました。 それは、人類が住んでいる場所はべつだん特別でも何でもなく、人類の存在自体と宇宙の性質は一見無関係のようにも思えます。 しかし、このような小さな宇宙定数の発見を受けて、解釈は大きく変わるのかもしれません。 人類のような観測者を生み出す可能性のある条件を揃えた宇宙のみが、その存在を観測されるという、人類の存在が宇宙の性質や存在に特別な意味を持つという描像に切り替えなければならない事態になってきているのかもしれません。 物理学により、その小さい宇宙定数の理由が将来明らかになるのか、それとも、本当に人間原理による説明のみが正しいのか、今後の研究の進展が待たれます。

KEK素粒子原子核研究所では、ダークエネルギーを含む宇宙論に関する研究を勢力的に行っています。 CMB実験グループでは、宇宙初期に激しい加速膨張を引き起こしたとされるインフレーションの証拠を、CMB観測を通して直接検出する事を目指しています。 理論センターの宇宙物理学研究室では、究極理論に基づく宇宙のモデル作りを、素粒子と宇宙の両方の観点から行っています。 我々の近傍宇宙の非一様性が、有効的に宇宙定数のように振る舞う宇宙モデルの研究、ニュートリノの質量のスケールが自然に宇宙定数のエネルギー密度のスケールを与える宇宙モデルの研究などです。 素粒子物理学と宇宙物理学の分野横断的な雰囲気の下、活発な活動が続けられています。

左より、パールムッター氏(Saul Perlmutter)、シュミット氏(Brian P. Schmidt)、リース氏(Adam G. Riess)/写真提供:ノーベル財団
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