燃料電池自動車のカギ、水素貯蔵のしくみ
#ハイライト私たちの社会が抱えているエネルギー問題。地球温暖化と化石燃料の枯渇の点からも、新たなエネルギー源の普及が求められています。水素はその新たなエネルギー源の一つとして注目されている物質で、国内外で盛んに研究が進められています。
次世代の自動車、燃料電池自動車
図1 水素貯蔵材料(LaNi5)
水素は酸素と反応して水になると、エネルギーが発生します。このエネルギーを自動車のモーターに利用したものが燃料電池自動車です。燃料電池自動車は化石燃料を使わず、温暖化ガスを排出しないので、ガソリン車と置き代わることができれば、エネルギー問題や環境問題を解決する上で大きな効果をもたらすと期待されています。しかし、その普及には一回のエネルギー補給で連続走行できる距離(航続走行距離)を伸ばすことが課題で、ガソリン自動車の航続走行距離の目安である500kmを燃料電池自動車で実現するには、何と約60000リットル(室温・大気圧)もの水素が必要になります。これは15畳の部屋に相当する体積で、通常のガソリン自動車のタンクが50~60リットル程度である事を考えれば、いかに容積が大きくなってしまうか想像できるでしょう。そのため、より多くの水素を車に積載するために容積の小さなタンクにギュウギュウに水素を詰め込む(高圧化)方法がとられています。現在では、700気圧の水素を充填可能なタンクが開発されており、830kmの走行が可能な燃料電池自動車も開発されています。しかし、水素量を圧力だけで大きく増やすことはできません。例えば、4割上げて1000気圧にしても、水素の密度は2割程度しか増えないのです。 そこで注目されているのが固体中に水素を吸蔵できる水素貯蔵材料です。これを用いることにより、ガソリンタンクと同じ容積で、60000リットル分の水素を貯蔵することができると期待されていますが、水素貯蔵量、重量やコストなど実用化にはまだ多くの課題が残されています。
水素の動きを瞬間写真のように捉えるNOVA
これらの課題を克服するために、水素が金属中に貯蔵される基礎的なメカニズムを理解し、高性能な水素貯蔵材料開発指針を得ることを目的として、平成19年度から平成23年度にNEDO「水素貯蔵材料先端基盤研究事業」(愛称:HydroStar、プロジェクトリーダー:九州大学 秋葉悦男氏)が実施されました。このプロジェクトで、KEKの物質構造科学研究所は高強度中性子全散乱装置(NOVA)を、世界最高強度のパルス中性子ビームを利用できるJ-PARCの物質・生命科学実験施設に建設しました。
図2 高強度全散乱装置NOVAの概形図。
空気により中性子が散乱されるのを防ぐため、巨大な真空槽(15m3)内に試料を設置し、試料を取り囲むように設置された中性子検出器で散乱された中性子を観測します。 物質中の原子の位置を調べる手法として最もポピュラーな実験手法はX線を用いた構造解析です。X線は物質中の電子の分布を調べることができるため、そこから原子の位置を決定することが可能です。ただし、水素は陽子1個と電子1個から成る小さな元素で、電子の数が少ないためX線で捉えることが困難です。特に、水素貯蔵材料のような金属中の水素は、周りにいる金属原子の電子数が多く、電子を1つしか持たない水素は見分けにくくなります。
このプロジェクトで開発されたNOVAは、中性子を用いて物質中の原子の位置を解析する装置です。中性子を用いた構造解析はX線と原理も得られる情報も似ていますが、電子ではなく原子核を直接観測できるという特徴があります。原子核の種類によって中性子に対する見えやすさは異なりますが、水素は中性子にとって非常に見えやすい元素の1つで、水素貯蔵材料に吸蔵された水素の位置を決定する上で有用な手段となります。そこで、NOVAでは水素貯蔵材料を研究するための試料環境として、最高1000気圧(10MPa)までの水素雰囲気下で水素吸蔵・放出過程を中性子ビーム中で実現するためのガス設備を整備しました。これをJ-PARCの大強度中性子ビームと組み合わせることにより、水素貯蔵材料の水素吸蔵放出反応における構造変化を、秒単位のリアルタイムで観測することに成功しています。
図3 全散乱法により観測された水の中での水分子の配置
動径分布関数の解析から、水の中の水分子1個の周りには、平均して約4個の水分子が存在していること、水素結合の距離は約1.8 Åなどといった情報を得られます。
また水素貯蔵材料は、水素を吸蔵したり、放出したりする過程で、数十%の体積膨張が生じたり、結晶から非結晶(アモルファス)に変化したりと大きな構造変化を示します。原子が規則的に並ぶ結晶の場合は、中性子の反射パターンにも規則性があり、パターンを解析することで原子の配置を調べることができます。しかし、規則性を持たないアモルファスや液体は、この方法では解析できません。そこで、NOVAでは全散乱法と呼ばれる方法を用いて、測定されたパターンから、ある原子を中心として半径rの距離にいる原子の種類と数の存在確率を調べ(動径分布関数)原子配置を決めることができます。この方法では、水分子が絶え間なく動いている液体の水の水分子の配置でも、瞬間写真を撮るように調べることができます(図3)。
水素貯蔵合金中の水素を見る
日本原子力研究開発機構の町田晃彦副主任研究員のグループとKEK物構研の大友季哉教授のグループらは、この中性子全散乱とX線回折を用いて希土類金属のランタンが水素を取り込む新たな構造を発見しました。希土類金属は水素との親和性が極めて高く、水素を多量に吸蔵して水素との化合物(水素化物)を形成します。水素原子が金属格子の隙間に入り込むことで、水素が吸蔵され、温度を上げることで容易に水素が放出されるため、水素貯蔵材料の構成元素として注目されています。
NOVAでは、希土類水素化物に10万気圧以上の圧力をかけ、金属原子間距離を狭めたときに、水素がどこに留まるかをSPring-8の放射光X線実験データとあわせ、調べました。その結果、ランタンが1水素化物、2水素化物および3水素化物という3つの状態を形成し、それらの金属格子構造が全て面心立方構造であることを示しました(図4)。このような水素化物の形成が実験的に確認されたのは、全ての金属の中でランタンが初めてです。
この成果は、水素と金属の相互作用の解明につながり、さらには高濃度の水素を吸蔵する希土類合金の開発指針が得られると期待され、現在も研究は続いています。
図4 金属格子が面心立方構造で、水素濃度が異なる3つの水素化物の構造。
黄色が金属原子、水色が八面体サイトの水素、青が四面体サイトの水素を表しています。左から八面体サイトのみを占有している1水素化物、四面体サイトのみを占有している2水素化物、両方のサイトをすべて占有している3水素化物です。八面体サイトのみを占有している構造は岩塩(NaCl)構造で、本研究では希土類金属で初めて岩塩構造の1水素化物の形成を観測しました。
この他にも、水素放出反応過程でアモルファス化を起こす水素化合物の構造変化に関する研究や、微量の触媒添加により水素吸蔵放出反応が促進されるメカニズムを解明する研究が行われています。HydroStarプロジェクトは終了しましたが、平成24年度には、NEDO「燃料電池自動車用水素貯蔵材料に関する調査研究」が実施される等、水素貯蔵材料の研究はNOVAの重要テーマとして継続※しており、今後さらなる成果が期待されています。また、水素貯蔵材料以外にも、リチウムイオン電池材料を始めとするデバイス材料、様々な液体やアモルファスの構造解析等の研究が展開されています。
※物構研中性子共同利用S型実験課題「高強度全散乱装置による水素貯蔵機構の基本原理解明」として実施中。
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関連サイト
BL21:高強度全散乱装置NOVA
KEK中性子科学研究系 KENS
高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所
J-PARC 物質・生命科学実験施設
独立行政法人 日本原子力研究開発機構 量子ビーム応用研究部門
SPring-8
国立大学法人 広島大学 先進機能物質研究センター
新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)水素貯蔵材料先端基盤研究事業
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