ブラックホールを記述する新理論をコンピュータで検証
#プレスリリース大学共同利用機関法人 高エネルギー加速器研究機構
国立大学法人 京都大学
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【概 要】
大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構(KEK)素粒子原子核研究所の西村淳准教授は、京都大学の花田政範特定准教授、伊敷吾郎特任助教、茨城大学の百武慶文准教授と共同で、ブラックホールで起こる力学現象を厳密に記述できる新理論を、コンピュータによって数値的に検証した。
ブラックホール※1は、一度中に落ち込むと光の速さをもってしても外に出られないという、宇宙空間にぽっかり開いた「黒い穴」である。これに対して1974年、英国のホーキング博士は、ブラックホールの周りで粒子と反粒子が対をなして生成したり消滅したりする微視的な効果を考慮することにより、ブラックホールが輻射を出しながらゆっくりと蒸発していくことを理論的に導いた。このことからホーキングは、ブラックホールが一定の「温度」※2を持った物体と見なせることを示した。一方で、このようなブラックホールの性質を、ブラックホールの内部から精密に理解することは、これまで困難と考えられてきた。それは、ブラックホールの中心に近づくにつれ、時空の曲がり具合が大きくなり、一般相対性理論※3に基づく重力の記述が破綻するためである。
この問題を解決する新しいアプローチとして、1997年米国プリンストン大のマルダセナ教授は、ブラックホールの中心を含めて正しく重力を記述する理論を提唱した。この理論によれば、ちょうどホログラムが立体図形の情報を平面上に記録できるのと同様に、ブラックホールのように曲がった時空で起こる力学現象を、平坦な時空上で精密に記述できる。
今回の研究では、マルダセナの理論を用いてブラックホールの質量と温度の関係をコンピュータで数値的に計算。様々な大きさのブラックホールに対して計算した結果が、従来の超弦理論※4に基づく重力の量子力学的な効果※5の近似計算(別の研究)の結果と一致することを確認した。これまでの多くの検証は重力の量子力学的な効果が無視できる状況下で行われてきたが、本研究の検証はそれらを越える結果を与えるものである。マルダセナの理論は、従来の超弦理論に基づく近似計算よりも適用範囲が広いと考えられ、本研究によって確立された数値的な手法をさらに発展させることにより、ブラックホールの蒸発に関連した様々な謎の解明につながるものと期待される。
この研究成果は、2014年4月17日(米国東部時間)付の米国科学誌「Science」のオンライン版に掲載された。
【背 景】
一般相対性理論は、重力の起源を時空の曲がり具合に由来するとする、アインシュタインの理論であり、重力にまつわる巨視的な現象の記述において、大きな成功をおさめてきた。この理論により、宇宙が膨張していることや、宇宙にブラックホールなるものが存在しうることなどが理解されてきた。一方、宇宙の始まりやブラックホールの蒸発などを考えるには、重力の量子力学的な効果を取り入れた微視的な記述が必要である。そのため、一般相対性理論を超えた理論が探求されてきた。
ブラックホールを含む重力理論について、「ホログラム」のような見方を最初に議論したのは、1993年トホーフトと1995年のサスカインドの論文である。マルダセナは重力の量子力学的な効果を取り入れた微視的な記述方法として最有力候補である超弦理論の研究に基づき、「ホログラム」に相当する物理系を具体的に予想したのである。マルダセナの理論の正しさは、ここ十数年にわたる研究により、様々な角度から検証されてきた。しかし、これまでの解析的な研究は、ブラックホール周辺の重力の量子力学的な効果が無視できる状況下のものが中心であり、この制約を越えてマルダセナの理論が正しいかどうかについては、ほとんど手がかりが得られていなかった。コンピュータを用いた数値的な手法は、こうした制約を越えてマルダセナの理論に関する具体的な計算を可能にするものであり、重力の量子力学的な効果を含めた検証というブレークスルーが期待されていた。
【研究内容と成果】
マルダセナによれば、ブラックホールの「ホログラム」に相当する理論を用いることにより、ブラックホールの質量と温度の関係をはじめ、ブラックホールの様々な性質を調べることができる。
そこで本研究では、この理論に基づいてブラックホールの質量をコンピュータで計算し、重力の量子力学的な効果を正しく含む、従来の超弦理論に基づいて近似的に計算して得られた結果と比較した(図1)。
図1 ブラックホールの質量と温度の関係
縦軸、横軸は、それぞれブラックホールの質量と温度に相当する量を表し、通常の質量や温度を表すkgや℃といった単位とは異なる単位を用いている。□、○、♢のシンボルはそれぞれ、ブラックホールの構成要素の数Nが3、4、5の場合について、マルダセナの理論によりブラックホールの質量を計算した結果を温度に対してプロットしたものである。一方、一点鎖線、破線、実線の3種類の曲線は、やはりブラックホールの構成要素の数Nが3、4、5の場合について、従来の超弦理論に基づいて重力の量子力学的効果を近似的に取り入れて計算した別の研究(Y. Hyakutake, Prog.Theor. Exp.Phys.(2014) 033B04)からの結果である。両者は異なる理論計算に基づくが、よく一致していることがわかる。
ブラックホールを構成する要素の数をNとすると、先行研究では主に、Nが十分大きく、重力の量子力学的効果が無視できる場合の解析がなされており、Nが小さい場合にこの理論が本当に正しくブラックホールを記述しているかどうかは、未解決の問題であった。
図1では、ブラックホールを構成する要素の数をNとし、N=3、4、5の場合について結果を示した。Nが小さいほど小さなブラックホールを表し、ブラックホール表面での時空の曲がり方が激しくなるため、重力の量子力学的効果が顕著になる。この効果によりブラックホールが不安定になるため、計算が困難になることが知られていたが、今回、新しい計算法を考案することにより、計算上の技術的な困難を克服し、質量の値を求めることに成功した。
2つの異なる理論計算が一致したことにより、マルダセナの理論の計算から得られた結果が、従来の超弦理論と同様、重力の量子力学的効果を正しく含んでいると結論づけられた。
【本研究の意義、今後への期待】
この研究では、「ホログラム」を用いたブラックホールの新しい記述法に関するマルダセナの理論を検証した。これまでの研究では、重力の量子力学的効果が無視できる状況下で様々な検証がなされてきたが、今回の研究ではこれをさらに一歩進めて、重力の量子力学的効果を含めた検証に成功した点において、大きな意義がある。従来の超弦理論に基づく計算は、量子重力的効果がさらに顕著になるような状況には適用できないことが知られているが、マルダセナの理論を用いた計算手法は、そのような状況にも適用可能と考えられており、今後、本研究をさらに発展させることにより、ブラックホールの蒸発に関連した様々な謎が解明できるものと期待される。
例えば、ホーキングが用いた近似の範囲内では、ブラックホールから発せられる輻射から、そこに落ち込んだ物体の情報を読み取ることはできない。これはブラックホールの蒸発に伴う「情報喪失問題」と呼ばれ、20世紀に確立した現代物理学の二大柱である、一般相対性理論と量子力学の間の深刻なパラドックスと考えられてきた。マルダセナの理論によるブラックホールの新しい記述法は、ブラックホールが時間的に変化していく状況にも適用できると期待され、この「情報喪失問題」の解明につながる可能性がある。
本研究は多くの先行研究を受け継いたものであり、その研究の流れの中で得られた研究成果の一つである。また「ホログラム」を表す物理系を具体的に実現するマルダセナの理論は、重力の量子論の最有力候補である超弦理論に対する新しい研究手法の一つと見なすこともできる。今回の研究成果を契機に、マルダセナの理論あるいは超弦理論の研究がさらに進展し、重力の量子力学的な効果が重要となる、宇宙の始まりや宇宙の成り立ちについても新しい知見が得られることが期待される。
なお、本研究で使用した計算機は、KEKが保有するPCクラスターならびに、HPCI一般利用課題「スーパーコンピュータで解き明かす超弦理論の物理」(一般財団法人高度情報科学技術研究機構(RIST)神戸センター 課題番号hp120162、課題代表者:花田、副代表者:伊敷)により提供された大阪大学のPCクラスターである。
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【お問い合せ先】
<報道担当>
大学共同利用機関法人 高エネルギー加速器研究機構
広報室報道グループリーダー 岡田 小枝子
TEL: 029-879-6046
FAX: 029-879-6049
E-mail:press@kek.jp
国立大学法人 京都大学
渉外部広報・社会連携推進室
TEL: 075-753-2071
FAX: 075-753-2094
E-mail:kohho52@mail2.adm.kyoto-u.ac.jp
国立大学法人 茨城大学
広報室
TEL: 029-228-8008
FAX: 029-228-8019
E-mail:koho-prg@ml.ibaraki.ac.jp
【用語解説】
※1 ブラックホール
大きな質量を持った物体が、非常に小さな領域に押し込められたときに形成される時空構造。重力の起源を時空の曲がり方とする一般相対性理論から、その存在が予言された。ブラックホールを直接的な観測により確認することは難しいが、様々な間接的な証拠により、宇宙にはたくさんのブラックホールが存在することがわかっている。生成過程としては様々なものが考えられているが、例えば、太陽の30倍以上の質量を持った星が超新星爆発を起こした後に生成すると考えられる。天の川銀河の中心部にも巨大なブラックホールが存在すると考えられているが、その生成過程は明らかになっていない。
※2 ブラックホールの温度
ホーキングの研究により、ブラックホールはすべての物を飲み込んでしまうだけではなく、少しずつ粒子などを放出することが理論的に示された。放出される粒子などのエネルギー分布は、熱せられた黒体(電磁波を完全に吸収するような物体)から発せられるものと一致しており、その黒体の温度が何度の場合に一致しているか、ということをもって、そのブラックホールの温度を定義することができる。ホーキングの計算は、ブラックホールの表面で起こる粒子・反粒子の対生成、対消滅という量子力学的な現象の考察に基づいており、ブラックホールの内部に存在する物体の温度と解釈できるものかどうかは明らかでなかった。これはブラックホールの内部を正しく取り扱うために、量子重力的な記述が必要不可欠であるためである。マルダセナの理論においては、ブラックホールの温度は、「ホログラム」を表す物理系の温度と同定できる。
※3 一般相対性理論
アインシュタインが提唱した重力の理論。それまで重力の理論としては、ニュートンの万有引力の法則が知られていた。アインシュタインは光の速度が、どのような速さで動いている人から見ても一定であることを原理として、いわゆる特殊相対性理論を構築。時間と空間を完全に独立した概念とする従来の考え方を修正した。さらにこれを11年かけて発展させ、重力を時空の曲がり方によって記述する一般相対性理論を構築した。重力が十分弱い状況では、ニュートンの万有引力の法則が再現されるが、重力がある程度以上強い状況では、違う結果を予言する。そのような状況で、一般相対性理論の方が正しい予言を与えることは、水星の近日点移動などの観測から確認されている。また重い天体によって時空が実際に曲がることは、その重い天体の背後にある天体の像が二重に見える「重力レンズ効果」によっても確認されている。一方、重力が極端に強くなる状況下では、一般相対性理論に基づく時空の描像が破綻することが知られている。
※4 超弦理論
素粒子を大きさのない点ではなく「弦」、すなわち紐状の広がりを持ったものと考える素粒子の理論。その原型は、核力を微視的に記述する模型として、1970年前後にベネチアーノ、南部、後藤をはじめとする研究者によって提唱された。一般相対性理論を越えて、重力を微視的に記述する理論の候補として考えられるようになったのは、1980年代前半頃からであり、これにはグリーン、シュワルツ、ウィッテンをはじめとする多くの研究者が貢献した。1990年代半ばになると「Dブレーン」と呼ばれる「弦の凝縮状態」がポルチンスキーによって解明され、これが超弦理論におけるブラックホールに相当することがわかった。マルダセナの理論は、このDブレーンの研究に基づいて提唱された。
※5 重力の量子力学的効果
量子力学とは、20世紀初頭に確立した新しい力学法則。量子力学においては、一般に物理量は不確定性を持っており、どのような確率でどのような測定結果が得られる、といった確率的な予言しかできない。巨視的な現象においては、こうした不確定性が無視できるほど小さく、従来の古典力学が近似的に再現されることがわかるが、微視的な現象の記述においては、正しく量子力学的な効果を取り入れる必要がある。一般相対性理論は、重力の古典力学的な記述のしかたを与えるものであり、量子力学的な効果は取り入れられていない。従って、重力が極端に強くなり、その結果として時空の曲がり方が極端に大きくなると、量子力学的な効果が無視できなくなり、一般相対性理論に基づく時空の記述のしかたは破綻する。超弦理論は、重力の量子力学的効果を正しく記述する理論の最有力候補として40年以上にわたり研究されてきたが、現時点で確立している超弦理論の計算手法では、重力の量子力学的効果が比較的小さいときに、これを近似的に取り入れることしかできない。これに対して、超弦理論から発展したマルダセナの理論は、重力の量子力学的効果を完全に取り入れることができると予想されており、そのような効果が非常に大きい状況にも適用可能な計算方法として期待されている。
関連サイト
高エネルギー加速器研究機構 素粒子原子核研究所 理論センター
京都大学 白眉センター/基礎物理学研究所
茨城大学 理学部
高度情報科学技術研究機構(RIST)
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