2015年 年頭のご挨拶 -9年間を振り返る-

 

あけましておめでとうございます。 次年度より機構長が交代しますので、新年の抱負に替えて、機構長に就任した2006年からの9年間を振り返って、鮮明にまたはふと思いだされることの幾つかを年代順に紹介いたします。

2006年春の就任直後は、KEKの中を回って各研究グループと話し合い、前機構長から引き継いだ進行中の研究プロジェクトを確認することから始めました。 これらのプロジェクトについては実現性と年次計画を吟味し、機構のロードマップとしてまとめなければなりません。 そこで、各研究分野からの提案をも加味して、 (1) 2008年から大強度陽子加速器J-PARCにおける実験開始、 (2) 電子・陽電子衝突加速器KEKBの高度化、 (3) 次世代放射光源を目指すエネルギー回収型ライナックERLの実証器コンパクトERLの完成、 (4)国際リニアコライダーILCの技術開発の推進、の4本柱で構成するロードマップを2007年に作成しました。 そして、2008年3月に開催された国際評価委員会での議論を基に最終版にまとめました。

素粒子原子核関係の学術計画
物質構造・生命科学分野の学術計画

2008年には、KEKB高度化としてのSuperKEKB計画と、同一の研究を目指すイタリアのSuperB計画が将来計画として浮上してきました。 この時、双方の話し合いによる一本化は無理と考え、戦略を練りました。 一般には、初期の時点で他に対して圧倒的な優位を得て生き残る、いわばダーウィン進化論が思い出されます。 しかし、経済の世界で見られる最初の僅かな市場占有率の優位が、徐々に拡大して最終的に市場を独占する反ダーウィン進化論もあります。 よく引き合いに出されるのが、ビデオテープのVHSとβの例です。 ここでは、後者の立場をとることにし、僅かな優位とはプロジェクトの早期予算化と考え、努力しました。 幸いにも2010年夏に予算が認められ、プロジェクトが進行するにつれて国外からの共同研究者が急速に増加し、今ではSuperKEKBのみが現存するプロジェクトとなりました。

左から南部氏、小林氏、益川氏

また、この年は、スイス・ジュネーブにある欧州原子核研究機構(CERN)で大型ハドロン加速器LHCが完成。 10月には南部陽一郎博士、益川敏英博士、小林誠博士がノーベル賞を受賞。 またロードマップの記載通りに、J-PARCのビーム運転が開始するという慶事が続いた年でもありました。

2009年には、世界の加速器研究所の所長をメンバーとする国際将来加速器検討委員会の議長を2011年までの3年間任され、国外にも目を向けなければならなくなりました。 この年にCERN所長が交代し、CERNの地理的・学術的拡大を指向するという理事会の新方針が打ち出されました。 しかしながら、私達の分野にとっては世界で複数の活発な研究機関が並立し、それぞれが特色を持って競っていることが重要です。 ひとつの研究所に研究が集約されるのでは回避すべきリスクが大きすぎると考え、「多国籍研究所構想」を提唱しました。 これは、各領域における研究所の発展と同時に、そこからの分室の集合体でグローバル・プロジェクトを遂行するというものです。 この構想の具体化のために、まずはアジアの研究所間でJAAWS(アジア統合加速器ワークショップ:Joint Asia Accelerator WorkShop;現在はAFAD(Asian Forum for Accelerator and Detector)に発展)を立ち上げました。 今年の1月には台湾で5回目の研究集会が開催されます。 なお、この年に機構の放射光施設で1980年代に10年に及ぶ研究生活を続けられたアダ・ヨナット博士がノーベル賞を受賞されました。

時の政府による「事業仕分け」が行われたのもこの2009年でした。 国家予算を論じるにあたり「国民の目線」と「無駄の排除」を重視することは大事なことですが、それだけに留まっていて良いものか、と強く感じ、「世界への目線」、「育てる目線」の必要性を唱えて、KEKから社会一般の皆様に対してのご意見募集を行いました。 大多数の方々から賛同をもらいましたが、一方で「機構の活動をより広く国民に紹介してほしい」との要望も多く寄せられました。 そこで、KEK自前で授業講師を派遣する「KEKキャラバン」活動を開始しました。 現在も年間50件を超える派遣を行っています。 特に近年、小学生の受講が増加していることを嬉しく思っています。

2011年3月の震災においては、幸いにしてKEKでは人的被害はありませんでした。 しかし、多数の装置、設備が損傷し、電力使用制限とあいまって全ての加速器施設の運転は停止しました。 これに対して政府や世界から多くの援助をいただき、さらに全職員が一丸となって復帰作業に取り組みました。 その結果、停電が続く中の4月末に、目視による調査のみで策定した復旧計画に従い、入射加速器、放射光、J-PARCと順次立ち上げ、共同利用実験を予定通りに開始することができたことは、特筆すべきことと今も思っています。

2012年12月には、9年間に及ぶ国際共同チームによるILCの技術開発に基づく技術設計書が完成し、いよいよ建設に向けての準備段階に入りました。

2013年には、ロードマップ改訂版を発表しました。 2014年から2018年をカバーするこのロードマップにより、KEKは今や、加速器科学研究の世界センターとして、また、電子、陽電子、放射光、中性子、ミュー粒子、K中間子、ニュートリノと多種類の粒子ビームを用いて幅広い研究分野を展開する世界で唯一の研究所であると認知されるようになりました。 LHCが前年にその存在を確認したヒッグス粒子を理論的に予測したフランソワ・アングレール博士とピーター・ヒッグス博士が、この年にノーベル賞を受賞されたのは記憶に新しいことです。

素粒子物理の分野では対称性の破れ、という概念が繰り返し出てきます。 これは一体どういうことなのでしょう。 完全な対称性がまずあって、それが何かのきっかけによって破れる、ということなのか。 あるいは、そもそも完全な対称性といったものはこの世界にはなく、世界はもともと近似的にしか対称ではない、ということなのか。 謎です。 いずれにせよ、対称性の破れが起きる舞台としての「真空」に鍵が隠されていると感じます。 ヒッグス粒子の発見によって「真空」を探る「窓」が開けられ、謎の解明が進むことを期待しています。

2013年5月に発生したJ-PARCハドロン実験施設での放射性物質漏洩と作業者の被爆では、機構外の多くの皆様に大変なご迷惑とご心配をお掛けいたしました。 このことについては、全機構一丸となって安全と信頼回復に努めていますが、この決意と努力は毎年新たにしていかなければならないと強く感じております。

CERN-KEK分室の発足;KEKでの署名式の様子

2014年に、次世代放射光源実証器コンパクトERLが完成し、2008年に作成したロードマップがほぼ完成しました。 11月にはCERN-KEK分室を発足しました。 2009年来提案してきた「多国籍研究所構想」がCERNとの日欧間研究所としてスタートしました。 今後は、他の研究所とも協力して多国間に発展することを期待しています。

2015年の干支は羊です。 牧場にいるのどかな羊の姿に象徴されるような精神的ゆとりを持ち、一方で、羊毛刈りで一皮剥けて新たな挑戦を試み、隊列を組んで移動する羊の群れのチームワークを持って、仕事に励みたいものです。

本年もよろしくお願い致します。

KEK機構長 鈴木厚人

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