【KEKエッセイ #22】ラドンの娘は寂しがり

 

KEKつくばキャンパスの放射光実験施設 フォトンファクトリー(PF)には数十のビームラインがある。ビームラインとは、放射光源から各実験装置につながる「放射光の通り道」のこと。
今日はみなさんをPFで最もディープなビームラインにご案内しよう。そして、そこで出会ったラドンの娘をご紹介したい。(物質構造科学研究所 深堀協子)

Ohshima Hiroko

フォトンファクトリーのビームライン群

ここはPF BL-27、放射性試料用実験ステーション。PF実験ホールの正面扉から入って左奥、このままいくと外に出てしまうんじゃないかと思うくらい進んだところに入口がある。PFの建物は楕円の一部を直線で切りとったような形をしているが、そこはちょうど直線部にあたる。他のビームラインは許可された者なら自動ドア1枚で入れる実験ホールにあり、ビームライン群は一望できるほど開放的なのに対し、BL-27だけは他のビームラインと異なる許可が必要で、さらに扉の中に「ゲートモニター」がある。

ゲートモニターとは、放射線モニター付きのゲートのことで、放射性物質の持ち出しを防ぐためにある。入るときは入域が許可されたIDカードをかざせば開くが、出るときには身体全体や持ち物がスキャンされ放射線が検出されないことが確認されなければ開かない。 これほど厳重な理由は、BL-27が「非密封RI管理区域」に指定されているからだ。RIとはRadioisotope(ラジオアイソトープ)の略語で放射性同位元素という意味である。医療や原子力発電など、私たちの生活の中では様々なRIが利用されているが、その保管や移動はとても厳しく管理されているから、研究のための場も限られている。PF BL-27は放射線生物学あるいは原子力科学の研究者にとって、非密封のRIを使った放射光実験ができる貴重な実験エリアと言える。

ゲートモニターを通過すると、地下室のような雰囲気の漂う廊下に出た。放射線防護のために厚いコンクリートで囲まれて、窓がないせいだろう。廊下に沿って生物試料準備室が並ぶ。中を覗くと冷蔵保管庫やドラフトが見える。机の上には薬包紙、薬さじ、シャーレ。X線照射実験の前処理を施設内で行うことができるというわけだ。

廊下の突き当たりに放射光の実験装置が収められた部屋があった。放射光は分岐され、照射できる波長の異なる2つの実験ステーションBL-27A(軟X線)と27B(X線)が稼働している。例えばどんな研究が行われているのか、最近のBL-27Bの成果をご紹介したい。

2019/9/30 量子科学技術研究開発機構・Queen’s University Belfast・横浜市立大学・KEK共同プレスリリース:「ストライプ照射」だと放射線の影響は軽減される ~放射線の当たり方が一様でない場合、従来の単純な予測は当てはまらない~

これはX線をとても細いビームに絞って照射することができるPFならではの成果で、この共同研究には、BL-27の装置担当者である宇佐美 徳子(うさみ のりこ)講師が参加している。

ビームラインに設置されたマイクロビーム細胞照射装置で試料を観察する宇佐美 徳子 講師
ここから宇佐美さんにご登場願おう。今回のPF BL-27紹介は、宇佐美さんについて行って装置の写真撮影をしたときの実話に基づいている。

用事を済ませ、そろそろ戻りましょうか、という段になって、私はこのビームラインに興味を持ったもう一つの理由を思い出すことになった。それは、ここで出没するという「ラドンの娘」の噂である。

持参したバッグを電子レンジのような放射線検出器に入れ、汚染がないことを確認する。そして、2人でそれぞれ、件のゲートモニターを通る。…と、2人ともゲートを通過できなかった。私たちの身体に放射性物質が付着しているということだ。もちろん、少なくとも私は放射性物質に触れたつもりはない。

宇佐美さんがつぶやく。
「う、ラドンのむすめかくしゅが…」
つ、ついに現れたか、ラドンの娘。

ラドンというのは怪獣ではなく、ラドン温泉で知られる元素ラドンRnのことだ。常温常圧で無味無臭無色の気体である。しかし、ラドンは安定して存在はできず、いずれ崩壊して他の元素になっていくのが定めだ。崩壊した後の元素は「娘核種」と呼ばれる。

宇佐美さんが、近くに置いてあった掃除機を手にした。
ウィ~ン、ウィ~ン。
その場に似つかわしくない音が響く。衣服に付着したラドンの娘を吸い取っているのだ。私も真似をして、さぁ、これで出られる!と思ったが、やはりゲートは開かない。もう一度、自分たちに掃除機をかける。3度目のスキャン。…やはり開かない。

奥に洗濯機が見えた。棚には誰かの洋服が畳んであった。もしや今着ている服を洗濯しないと帰れないってこと? 着替えを持ってくるべきだった?

「どの辺に付いているものなんでしょうか?」
「下の方、足元かな」
確かに、宇佐美さんは実験室では白衣を着ていた。足元は露出していたはず。

私はこのとき、ラドンの娘が寂しさのあまり足元にすがって自分を引き止めているように錯覚した。コンクリートで囲まれた人気のない廊下は、さぞ心細いことだろう。しかし、いつまでも彼女に付き合っているわけにもいかない。私は手近にあった転がすタイプの粘着テープを手にした。
コロコロ。コロコロ。足元を重点的に。
今度はどうだろうか、もう一度ゲートモニターに立つ。すると、開かずの扉が開いた。2人そろって無事生還。ラドンの娘に想いを馳せていたせいか、とても長い時間閉じ込められていた気がした。

ところで、なぜ「娘」と呼ぶのだろうか。その子はまた崩壊して「母」となるからかな。では、なぜラドンなのか。ラドンは一体どこから来るのだろうか。ラドンの娘と別れてから疑問が次々湧いてきた。

自然放射線という言葉を耳にしたことがあるだろうか。また、私たちの身の回りには多くの放射性物質があることをご存知だろうか。 例えば、ウランUやトリウムThを微量に含む岩石は地球上のあらゆる場所、しかも地表付近に多いという。ウランやトリウムは常に一定の割合で放射線を出して崩壊し、最終的には安定な鉛Pbになる。その途上でできるいくつもの元素の一つがラドンである。ここで登場する元素たちのほとんどは固体に潜んでいるが、ラドンだけは気体で、大気中に出ることができる。そして、ゲートモニター付近にも漂っていたと考えられる。

私たちが出会ったラドンの娘の先祖がウランだとすると、家系図は以下のようになる。放射線を出して私たちを引き止めたのは、どうやら娘(ポロニウム218Po)だけではないようだ。孫娘もひ孫娘も加勢していたらしい。

ウランを先祖とするラドンの家系図: ウランUから崩壊してできたラドンRnは何回もの崩壊を繰り返して最終的に安定な鉛Pbになる。 α崩壊はα粒子(陽子2個、中性子2個)を放出する崩壊、β崩壊は電子を放出する崩壊。 娘たちの下に書かれた時間はおおよその半減期(その元素が半分になるまでの時間)。
ラドンの子孫は固体なので、塵などに付着して床付近に溜まっているという。ゲートモニター付近は建物の構造上、空気の流れが良くない。そのため、発生したラドンやその娘核種などが外に出にくい。私たちは歩いているうちにそれらの元素を衣類に付着させてしまったのだろう。つまり、BL-27ゲートモニター事件は、「空気の流れがあまり良くない場所で放射線を計測した」から起きたとも言える。原因になったラドンは、実験に使うため持ち込んだ放射線源や高エネルギー加速器とは無関係の、自然界からやってきた放射性物質だ。具体的には、壁のコンクリートに僅かに含有されるウランやトリウムが自然に変化したものと思われる。

一般的にラドンは、条件さえ整えば蓄積されて高濃度になる。締め切った気密性の高い部屋や地下室、石造りの家屋などは、自然に放射性物質がたまる可能性があるということだ。東日本大震災後、外気から放射性物質が入ることを恐れて換気をしなかった家の放射線量が、ラドン濃度上昇により高くなっていたという皮肉なケースもあったという。居住スペースの二酸化炭素濃度上昇を防ぐためにも、ラドン濃度上昇を防ぐという意味でも、適度な換気を心がけたい。

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