【KEKエッセイ #23】「油が焦げた臭いが‥」プロは五感を使って仕事をする
#KEKエッセイ #共通基盤「なんだか油が焦げた臭いがする」。 2004年9月、私は学会参加のため、新千歳空港からから札幌市内に向かうリムジンバスに乗っていました。空港を出発してしばらくすると、後方からの臭いが気になりました。台風の影響で高速道路が閉鎖され、バスは一般道をのろのろ運転。「あと、どのくらいで着きますか」。隣の乗客に聞くと、「あと30分以上はかかる」との返事。「まずいな」。私は、とある決断をしました。(機械工学センター 山中将)
すぐ立ち上がって、大声で「運転手さん!変な臭いがします。たぶんエンジン故障です。停車してエンジンを点検してください」。車内がざわつきました。臭いはバスの後方で、運転手はまだ気づいていないようです。運転手は黙ってバスを路肩に寄せ、車外に消えました。私も運転手に続きました。後方のエンジンルームからはモクモクとした黒い煙。一緒に降りた乗客も不安そうに眺めています。すぐにバスは運行中止となり、代車が呼ばれました。代車を待っていると遅くなるので、その場でタクシーに乗り換えました。少しほっとした私は、タクシーの中で工作機械メーカーに勤務していた駆け出しの機械屋のころを思い出していました。
「ヤマナカ君、自動車部品製造のS社に納入した機械の調子がよくないので、様子を見に行ってくれ」。それは私が開発に関わった機械でなく、知らない機械でした。課長は「とにかく見てくれ。修理は改めて行くから」と言われ、しぶしぶS社に向かいました。客先で不具合の様子を聞き、問題の機械を眺めました。確かに何か異常なのですが、その原因は判りませんでした。その日は、道具を持たずに手ぶらで行きました。「道具がないのに判る訳ないよなあ。入社2年目の新人には荷が重い」などとぶつぶつつぶやきながら、会社に戻りました。
いかにも「見て来い、と言われたから見て来ました」とも言いたげな風情で、課長に「調子が悪いことは確認しました。原因は判りませんでした。測定器や道具を持って、機械を止めて、じっくり調べないと解決しないと思います」と報告しました。課長は「そうか」と短く言いました。
しばらくすると、課長がぼそっと「ところでヤマナカ君、時計は持っているか」と聞くのです。「はい持っています」と私。「なぜ時計が…」と思っていると、やおら課長は「機械から変な音は聞こえなかったか。音がなければ、振動はなかったか。機械に触れれば振動はわかる。時計を見ながらカウントすれば周波数の見当がつく。そうすればどこを調べればよいかのヒントになる。臭いはしなかったか。こげた臭いとか、油の臭いがおかしいとかは。煙は出ていなかったよね。君はどこを視てきたのかな」。課長はもともと寡黙で口数の少ない人だったので、この長いセリフは衝撃的でした。
「目から鱗が落ちる」とはこういう時のことを言うのだと思いました。大学院卒のハイテクかぶれの若造が、モノゴトの本質を少しだけ理解した瞬間でした。その後、若造の機械屋はさまざまなピンチに見舞われましたが、この言葉に何度も助けられました。あれから30年以上たちましたが、その記憶は未だに鮮明です。
話は、故障したリムジンバスの話に戻ります。実はあの時わたしは、臭いを感じていろいろなことを考えていたのです。シートに座っているので、多くのことはできません。でも、エンジンの異音はないか…なさそうです。変な振動もありません。煙は…振り向いて見ましたがなさそうです。では、この臭いは何だ…排ガスではないし、ガソリンの臭いだったらたいへんだが、そうでもない。ゴムが焼ける臭いか…たぶん違う。それなら潤滑油の臭いか…エンジン本体が原因ならパワーが低下して運転手が気づくはずだが、気づいてないようだ。当時私は車に関連する研究をしていたので、車の知識は豊富でした。だったら潤滑油の種類は何だろう…臭いで判断するならエンジン本体ではなくて、たぶん補機(注:エンジンの動力を使って動かすエアコンや発電機などの機器のこと)のベアリングのトラブルだろう。だったら、このまま何とか行けるか。あと30分ぐらいなら持つかな。でももし急に停止して後ろの車が衝突したらたいへんだな。ここで決断できなければ、車の研究をしているなんて言えない、15年も機械屋をやっているのに失格だと思い、冒頭の決断に至ったのです。
その後、札幌市内に向かうタクシーの中で、相乗りした乗客に聞いたところ、だれも異変には気づかなかったそうです。「すごい嗅覚ですね。よくわかりましたね」と褒められ、「私はトリフュを掘り当てたブタか!」と一瞬思いましたが、ここは敢えて気取って「プロなので」と答えました。
KEKには様々な大型試験設備があり、多くの教職員がこれらの維持、管理、運転に携わっています。設備に異常がないか日々、点検しています。異常の早期発見が事故を未然に防ぐことは言うまでもありません。「昨日とは違う変な音や臭いがする」と少しでも感じたら、あなたの五感を信じて声を上げてください。すぐに止めて、点検しましょう。
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