【KEKエッセイ #24】偉大な博士の「最後のイチジクの葉」

 

最近のニュースで毎回トップ報道の新型ウイルス。その「正体」についてはいろいろ取り沙汰されていて、「武漢郊外の市場で発生」「野生生物からの感染」っていうまでは、まあ、わかるんですが、「コウモリの持つウイルスに酷似」(2月報道)となると、「え、そんなことまで、こんなに早くわかるの?」と思いませんでした?そのゲノムに対して各国の研究者が薬の開発に取り組んでいるのって、みんなそのゲノムは把握しているってことですよね。(監事 北村節子)

そんな素朴な疑問に答えをもらったのが 2月7日に都内にある筑波大学東京キャンパス文京校舎で開かれた「宇宙と地球、生命の謎を解き明かし、人間、社会の課題に挑むデータサイエンス」という長いタイトルのシンポでした。情報・システム研究機構主催、KEK共催とのことで、これは勉強しておかなくては、とはせ参じたのですが、そこで聞いた国立遺伝学研究所の有田正規先生のお話が「そうだったのか!」満載でした。しかもその話には、「女性に悪評高い、バイオサイエンス界のあの、大物スター」がからんでいて、二重にびっくり!だったのです。

お話のタイトルは「生命科学を支える日本DNAデータバンク」というもの。あらましは、現在、さまざまな生物のゲノムはかなり明らかになっていて、その内容は、判明と同時に登録・公開されることになっていること。そのデータを管理している機関は米・欧・日本の三か所にあること、などでした。

え~、だって生物ゲノムを表すDNAの存在が明らかになって以降、ヒトゲノムの読み解きは膨大な人手と時間とお金がかかる大事業って言われてましたよね。実際、その作業には1990年から2000までの年月がかかったと聞いるんですけど・・・。まして、正体不明の新登場生物のゲノム配列解読ってすごく手がかかりそう?そんな貴重なデータがオープンになっているなんて!?

有田先生のお話によれば、ゲノム解析の手法は年々洗練されてスピードも驚異的にアップされ、今では多くの生物のゲノムが解明されている由。さらにそれらのほとんどは「人類共通の知的財産」として、(商業目的も含めて)だれでもアクセスできる状態でプールされてるんですって!その「プール」は世界に三か所。欧州のEMBL(欧州分子生物学研究所)、アメリカのGenBank(米国生物工学情報センター)、そして日本のDDBJ(日本DNAデータバンク)なんですって。そしてそれら貴重なデータの「公開性」を主張したのが、あの、二重らせん発見者、ジェームズ・ワトソン博士なんですって!

実はワトソン博士、ちょっと事情通の間では「あの困ったおじさん」という評価もあるのですよね。もちろん、二重らせんは生物学に大躍進をもたらした大発見でした。が、1962年のノーベル賞ゲットに至るあの偉業自体、ライバルでもあった女性研究者、ロザリンド・フランクリンが撮影した写真を無断引用した上で書かれた論文であったこと、それを指摘された後も「あれは変な女だった」等、37歳の若さで病没したライバルをあしざまに言ったこと、が、「女性をだまして見下した卑劣漢」という評価につながっているのです。

しかし、その彼が「ゲノム情報は人類全体の財産だ」との意見で、その無償公開を主張した、というのですね。なかなか太っ腹な発想で、もちろん当時、研究者や製薬会社などの間では議論百出となったと言います。

この提言に、まず同調したのが、有力科学誌の編集者たちでした。「データベースをきちんと紹介しない論文は掲載しないよ」と。これはある意味、編集者としてもっともな見解でした。さらにNIH(米国立衛生研究所)は「ウチの予算で行った研究は、すべてオープンデポジットに登録するように」とのルールを打ち出します。これまた、公的資金投入の成果なのですから、研究者の独占は許されないでしょう。

そんな中で、ワトソン博士はなんと、自身のゲノム配列を全部、公開したというのです。究極の個人情報ですよ。世界で初めてですよ。いわば自分が率先してすっ裸になって見せたのでした。

やるなあ。ワトソン君(どうも、ホームズ的セリフになってしまいます・・・)。

ところが、その先にまた大変個性的な言動が。2007年、彼は自分の研究がもたらしたゲノム配列を根拠に「サブサハラ(アフリカ南部)の人々は、他人種に比べて遺伝的に劣っている」と発言。さすがにこれは世間・学会の大ひんしゅくを買い(一部に「科学は社会道徳とは別だ。そういう発言も科学者としてはありうる」という擁護論もありますが)、彼は多くの社会的地位を失います。

結果、彼は経済的に困窮し、2014年、なんとノーベル賞メダルを売却するに至ります。そのお値段、当時の日本円で5億4700万円!ノーベル賞大好き日本人には考えられない奥の手でした。さらに蛇足ですが、それを落札したのはロシアの大富豪で、その人物は、落札直後、「お返しします」って、メダルを本人に返したんですって!

そんな「奇人ぶり」を知ると、彼をくさしていいのか仰ぎ見たらいいのかよくわからなくなります。が、以上の話の中で興味深いのは、彼は自身のゲノム配列を発表した際、ごく一部だけは伏せていたという事実です。最後のイチジクの葉みたいに?

それは「認知症の発症に関連すると思われる部分」だったのだそうで、これはなかなか意味深い。彼は「認知症予備軍と思われたのではレームダックだ」と考えたのか。しかし、発症の可能性が見られない配列だったらさっさと発表すればいいだけの話。隠したというのは「あぶない」と判断したのか、それとも「実は平気だが、あぶないと見せておこうか」と考えたのか。彼のような奇想天外というか、軌道から飛び出したというか、お騒がせおじさんには、なにかいたずら心があるのかもしれません。

新型肺炎のウイルスの弱点はいつ、見つかるのでしょうか?もしも正体が明らかになって防御策が講じられるようになったら、「変な人だけど、ワトソン博士のおかげ、もあるな」と思いをはせることにいたしましょう。

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