【KEKエッセイ #26】タンパク質の対称性の破れは宇宙起源?

 

生命における対称と非対称のお話をしたいと思います。生物の体を作っているタンパク質の原料であるアミノ酸について、「アミノ酸における鏡の対称性の破れの起源は宇宙にある」という仮説があります。実は、この非対称性を生み出す対称性の破れというテーマは、KEKで行われている研究と深い関係にあります。この仮説について、天文学・宇宙物理学の立場から現在わかっているところまでお話しします。(理論センター 郡和範)

右手、左手のような立体的な構造の関係を「鏡像対称性」と呼ぶ。

左手の形と右手の形はよく似ていますが、手の甲を並べて見ると、右手と左手は決して重なり合いません。でも左右の手の間に鏡を置いて、左手を鏡に写すと、左手と右手が同じ形に見えます。このような左手と右手の立体的な構造の関係を「鏡像対称性」といいます (上図参照)。鏡像対称性は、有機化学や生物学などの世界では「鏡像異性体」もしくは「光学異性体」と呼ばれます。素粒子物理学でのパリティー対称性と同じ考え方です。

対称性は、科学のいろいろな場面で現れます。例えば、惑星が太陽の周りを回る公転軌道はだいたいまんまるですね。これは、ニュートン力学が距離について、だいたい対称だからです。恒星や惑星の形がだいたい球の形をしていることも、この対称性が背後にあります。ちなみに、自然界では完全な円軌道は稀で、初期条件に依存して楕円になることが多いです。また潮汐効果や一般相対論的な効果から、厳密には軌道がどんどんずれて円運動をしないことも知られているのですが、今回の話では、だいたい無視してかまいません。

対称性が高いと、人は感覚的に美しいと感じるようです。多様性の中から発生し、適者生存の原理で独自性を追い求めて進化してきた我々生物が、よりシンプルで対称性の高いものを美しいと感じるのは、何か皮肉にさえ感じます。対称な造形で有名な日光の陽明門には、逆柱(さかさばしら)とよばれる、わざと対称性を破る逆の文様の柱を、3本組み込んであるそうです。「満つれば欠ける世の習い」の諺により、わざと不完全にしてあるそうです。

逆柱が組み込まれている陽明門

このことは人間が(そしてきっと神様も)持っている、完全に対称な形は美しいという普遍的な概念を表した例だと思います。私は数学科と物理学科の両方を卒業しましたが、私の周辺の数学者と物理学者には、対称性が高い性質を持つ方程式を見ると、「美しい」と感じる人が多いように感じます。しかし、この世の中は対称ではないことの方が圧倒的に多いので、宇宙の誕生と進化の歴史は、対称を破ってきた歴史だとも言えます。

特に素粒子物理学など基礎物理学の基本法則には、あたかも最初から対称性ありきで、全知全能の神様が数式を作り出したかのような雰囲気があります。逆に、基本法則において対称性がないものから始めようとすると、とても複雑になり、基礎的な理論とはならないに違いありません。

アミノ酸の対称性の破れの話題に入る前に、ここで準備のための話をします。

「原子の数の保存」という対称性があります。素粒子物理学では原子のことをバリオンと呼びます。バリオンの数が、その対称性により保存されるとするならば、宇宙が誕生する前はバリオンがなかったので、永遠にバリオンは生まれない、つまり宇宙には、正味の原子がないことになります。つまりバリオンの数の保存という対称性は、この宇宙ではわずかに破れているのです。

その対称性の破れの結果、非対称の産物である我々が存在するのです。その非対称を現在まで保つためには、小林-益川理論にも登場するCP対称性の破れが必要です。クォークのCP対称性の破れはKEKのBelle実験により確認され、2008年にノーベル賞が南部洋一郎さんと共に小林誠さんと益川敏英さんに贈られました。その破れは観測的にも実験的にもとても小さいことが確認されていて、宇宙のバリオン数を説明するには、実はまだ足りないのです。しかし、小さいことには変わりのない宇宙初期に作られたバリオン数の非対称な成分は、その大部分の対称な成分と比較して約10億分の1という微々たるものでした。その後、その約10億倍多い対称な部分の正と負のバリオンが同時に消滅した(対消滅)ことで、微々たる非対称な正のバリオンのみが残されました。このため、「なぜ宇宙には正のバリオン(原子)しかないのか」という疑問が生まれました。言い換えると、宇宙誕生時に未知のバリオン数の破れとCP対称性の破れが、わずかながら存在したおかげで、対消滅の危機を逃れ、正のバリオンは今日まで存在することができたのです。対称性の破れは、我々の起源なのです。

これからが、本題のアミノ酸の非対称性の話です。

生物の身体はタンパク質でつくられており、その素になるのが20種類の必須アミノ酸です。実は、3次元の複雑な構造を持つアミノ酸にも左手型と右手型の違いがあるのです。面白いことに、生物の身体のタンパク質は、ほとんど全て左手型のアミノ酸でできているのです。旨味成分であるグルタミン酸ソーダの原料のL-グルタミン酸も左手型で、その右手型のD-グルタミン酸には旨味がほとんどありません。例外的に、おいしい日本酒には右手型のアミノ酸がたくさん含まれているそうですし、糖も右手型です。しかし、生物の体に含まれる右手型アミノ酸は、左手型アミノ酸に紫外線などが当たって壊れてできた結果などであるとされています。このため、生体における右手型アミノ酸の増加は、細胞の老化と関係があるとも言われます。

生体ではなぜ左手型アミノ酸ばかりが存在するのか、という非対称性が支配的となるメカニズムについて、生物学でのとらえ方は、基礎物理学のバリオン生成の場合とは大きく異なるようです。研究スタイルが全く違うのです。多くの場合、光学異性体の左手型と右手型の間の違いは、初期になんらかの理由により小さいけど存在したと仮定し、その非対称性が増幅、現在の大きな非対称が生じたと考えるスタイルが多いようです。生物学の分野では、この(自己)増幅のメカニズムはよく研究されてきたようですが、「なぜ最初に小さな非対称性が必然的に生じたのか」を問う、初期条件の起源の研究はあまりされていないようです。

一方で、物理学や天文学では、その小さな破れの起源は、素粒子の相互作用の非対称性が積み重なったものであるとか、天体の周りの円偏光の影響であるなどとする研究が発表されています。着眼点が大きく違います。

そのアミノ酸の非対称性が生じるシナリオの一つ「円偏光説」についてお話しましょう。

宇宙から来る電波をとらえる電波観測で、我々の銀河内の恒星と恒星の間の空間(星間空間)にアミノ酸の一つのグリシンの前段階物質(前駆体)と考えられるメチルアミンが発見されました。加えて、実験室でこの前駆体を水に溶かした溶液中で容易にアミノ酸ができることが確認されています。アミノ酸があればたんぱく質は自然に合成されます。また、そのセットアップで、どちらか一方の光学異性体だけが増殖することが、多くの実験で確認されました。つくられた一方の型だけが、それ自体触媒となって次々コピーをつくるというものです。初期条件として、左手型アミノ酸のわずかな非対称性さえ水の中に存在すれば、このような自己増殖機構が自然に起こるのです。

また特筆すべきこととして、前駆体の右手型と左手型が等量存在する水溶液に実験的に円偏光した光を通すと、その偏光の回転の向きによって右手型か左手型の一方が残され、他方が壊されることが実験で確かめられています。これは、円偏光を持つ光に照射される環境は、初期条件としてのわずかな左手型と右手型の間の非対称性を生み出す起源となり得ることを意味します。つまり非対称のタネが、星間空間で円偏光する光にさらされることによって作られるということなのです。

実際、猫の手星雲からの赤外線の円偏光が、オリオン大星雲などからも電波の円偏光が観測されています。そうした環境では、きっと左手型に偏る場合があって、左手型アミノ酸が多く作られる環境があるに違いありません。それが隕石や彗星などに乗って、地球圏に運び込まれ、水が豊富な地球の環境で自己増殖を繰り返し、必須アミノ酸がすべて左手型となっても不思議ではないでしょう。もちろん、これも仮説の段階です。この場合、非対称性に揃う機構は、対称部分を消すバリオン数の場合とは異なり、非対称性を増幅させる増幅型です。

他にも生物の中で対称性が著しく破れている例があります。カタツムリにも右巻きと左巻きがあるのですが、その分布状態の対称性が破れていることが知られています。日本に分布するカタツムリは、ほとんどが右巻きです(上から見て渦が広がる方向が右巻き)。一方、左巻きのカタツムリ(ヒダリマキマイマイなど)の分布は島嶼部など一部に限られていて、生息数自体も少ないことが知られています。

なぜ左巻きのカタツムリが少ないのか、最近、その研究に進展があったそうです。西表島などでは、カタツムリの天敵となっているヘビが右巻きのカタツムリを食べやすいように右側の歯の数が左側よりも多くなっていたというのです。この場合、左巻きが多く生き残る可能性があり、孤立した環境におけるヒダリマキマイマイの数の多さが説明できます。

もしかしたら、カタツムリとその天敵との間の生き残り合戦は世界中でこれからも続いていくのかもしれません。島嶼部よりずっと大きな環境では、右巻きと左巻きの支配する時期が交互に訪れていて、現在、日本で右巻きのカタツムリが優勢なのは、左巻きを食べる天敵が丁度絶滅した、もしくは絶滅寸前で、我々は右巻きが多い時代に生きているのかもしれません。このような非対称性の揃い方は、先の二例のどちらとも違う、天敵との相互作用による振動型と呼べるかもしれません。

体内においても対称性の破れは起こっています。内臓の配置は鏡像対称からは程遠いですね。人間社会の社会的な対称性の破れはどうでしょう。身近なところでは車の渋滞は、物理学における対称性の破れを使って説明できます。理論物理学者も研究していて、ここでいう増幅型に分類されると思います。他にも、多数決を取る場合に賛成と反対との間で一方的になる場合や、極端な思想に傾倒していくプロセスは、もしかしたら、ある種の対称性の破れに加えて、上記の増幅の機構、もしくは振動の機構のようなものが効いているのかもしれません。

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