【KEKエッセイ #25】ミューオンはどっち向きに回ってるの?~素粒子の歳差運動~

 

子どものころ、遊びの一つにコマ回しがありました。勢いよく回っている間は真っ直ぐ立っていますが、回転速度が遅くなると軸が傾き、ゆらゆらし始めます。この動きを歳差(さいさ)運動と言います。実は、大きさも形もわからないほどの小さな素粒子も歳差運動をしています。私たちは、この素粒子の歳差運動を超精密に測ることで、宇宙創成の謎を解く“手がかり”を得ようとしているのです。(素粒子原子核研究所 三原智)

みなさんは「地球ゴマ」ってご存知ですか?普通のコマと違って、回転部分が枠にはまって中心部だけ回るコマです。軸受の部分が精密に作られ摩擦が小さいので、地球ゴマを使った”綱渡り”や、外側のフレームをひょいと摘んで他の場所に移すこともできます。

回転している地球ゴマをそっと机に置くと、その場で回り続けます。が、しばらく経って軸が少し傾くと、歳差運動を始めます。コマ自体が回転を続けつつも、傾いた軸が大きくすりこぎを擦るように円錐形を描きます。普通のコマでも歳差運動を起こしますがすぐに止まってしまいます。地球ゴマだと歳差運動をしたまま長く回り続けます。

この歳差運動は重力が原因で起こります。宇宙空間だと、重力がとても小さいので歳差運動を始めることなくコマはいつまでも回り続けます。

素粒子もコマの歳差運動と似たような動きをします。それは「スピン」という素粒子の性質によって起こります。スピンは「素粒子の自転のようなもの」とも考えることができますが、不思議なもので(オセロの石が向きによって白か黒の状態になるように)一つの素粒子のスピンは上向きか下向きかのどちらかの状態をとることができます。

スピンをもった素粒子は、スピンの向きに沿って「小さな磁石」を形成します。このため、スピンを持った素粒子を磁場の中に入れると、素粒子は歳差運動を始めます。コマをまわすと重力の影響で歳差運動を始めるのと同じです。

図 1 スピンを持った素粒子は磁石のような振る舞いをする

電子の仲間で、質量が電子の約200倍もある「ミューオン」という素粒子があります。このミューオンを使うと、この歳差運動の様子を精密に測ることができるのです。ミューオンは静止していると2.2マイクロ秒の寿命で1個の電子と2個のニュートリノという素粒子に壊れます。それが磁場の中だと、壊れるまでの時間に歳差運動でスピンの向きがくるくる変わります。スピンが回転する様子を観察することはできませんが、壊れた時に出てくる電子の方向を測れば、壊れた時にスピンがどっちを向いていたかわかります。歳差運動の測定にはこの性質を利用します。スピンの向きを揃えてミューオンを磁石の中に放り込み、電子が出てくるまでの時間と出てくる方向を測るのです。1マイクロ秒後に出てきた電子は60度の向き、1.1マイクロ秒後に出てきた電子は120度の向き、といった具合です。これをたくさん続けると、コマ送りの画像が繋がってスピンの歳差運動の様子が分かります。

図 2 スピンを持ったミューオンが磁場の中で歳差運動をする様子。ミューオンが壊れたときに出てくる電子の向きを測れば元のミューオンのスピンの向きを推測できる。歳差運動のスピードは磁場の強さで調整できる。

とても小さく、球形なのか線なのか、あるいは単なる「点」に過ぎないのか分からない素粒子ですが、実はこんな風にくるくると回っているのです。1997年から2001年にかけて、歳差運動の精密測定がアメリカのブルックヘブン国立研究所で行われました。それによると「ミューオン自身が持つ磁石の強さ」が、理論に基づく計算と測定結果との間では誤差の範囲を大きく超えて違いが見えているのです。

何が原因でずれてしまうのでしょう?

一つの可能性は、素粒子物理学者がまだ知らない反応があって、それが正しく理論計算に取り入れられていないということです。理論計算には宇宙の初期から今までに起こりうる素粒子の反応を全て取り入れて計算する必要があるのですが、もしかしたらまだ未知の反応があるのかもしれません。ほかにも、実験で何らかの見落としがあるとか、統計的なゆらぎで実験結果が真の値から外れてしまった可能性もあります。

それにはもっと高精度で実験する必要があります。現在、アメリカのフェルミ国立研究所で新しい実験が行われており、また、東海村のJ-PARCでも独自の実験の準備が進んでいます。世界中の研究者がこれらの結果を心待ちにしているのです。

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