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フォトンファクトリー30周年 これまでとこれから

物構研ハイライト
2012年4月24日
図1 PFシンポジウム 集合写真

フォトンファクトリー(PF)が誕生してから、今年で30年。X線領域の放射光を発生する放射光源としては日本で最初のものでした。初めて放射光を取り出すことに成功したのは1982年3月。以来、加速器の技術進歩と共に放射光の質も向上し、今では物質科学・生命科学の幅広い分野の研究者が世界中から毎年3,000名以上訪れています。3月15日、つくば国際会議場にて行われた第29回PFシンポジウムにて、PF初代施設長の高良和武(こうらかずたけ)KEK名誉教授、PF測定器研究系(現在の放射光科学研究系)初代主幹であり2代目 PF施設長の佐々木泰三(ささき たいぞう)KEK名誉教授らによる30周年記念講演が行われました。

フォトンファクトリー(PF)ができるまで

図2  高良和武(こうら かずたけ)KEK名誉教授

PFの構想が生まれたのは1972年の暮れのこと。日本にはまだ放射光専用施設が存在せず、ヨーロッパでは中性子の研究所計画や強力X線発生装置の検討が進められていました。国内の研究者は「これくらい大規模な計画なら、超強力なX線源ができるはず」と話し合っていたそうです。当時、海外にあった放射光施設は、素粒子物理学などを目的とした高エネルギー物理用の衝突型加速器を寄生的に利用したものだけでした。高良教授は「とにかく強い光を」ということを念頭に放射光専用の加速器を日本に作りたいと考えていました。

図3 佐々木泰三(ささき たいぞう)KEK名誉教授

それから1973年の春にかけて、急速に計画は進みました。日本物理学会、国際結晶学会で検討が進められ、フォトンファクトリー計画の実現に向け、研究者たちの熱気に溢れていたそうです。国家プロジェクトとして進めるべく、学術会議で発表すると、巨大科学に対する抵抗や、共同利用への不信があり、一部には強く反対されました。そこで高良教授は、年40回以上も文部省(現・文部科学省)へ足を運び、説明を繰り返し、1978年4月ようやく建設が認められました。

図4 建設されるフォトンファクトリー

建設候補地は、東京大学原子核研究所のあった田無(たなし、現在の西東京市)、東京大学物性研究所のあった六本木、分子科学研究所のあった岡崎、そして筑波でした。当時の筑波は未開の地、3種の神器「こん棒・懐中電灯・長靴」が不可欠だったそうです。現在のつくば市を縦断する大動脈である東大通りも当時は泥んこ道、もちろん街灯もありません。時には野犬をこん棒で追い払い、泥まみれになって通勤したそうです。候補地の中で、筑波は最もゆるい地盤でした。関東大震災にも耐えられる構造を求め、地下に何本もの支柱を立てました。その甲斐あってか、30年経って東日本大震災に見舞われたPFですが、建物に致命的な損傷はありませんでした。

1978年に入射器である線形加速器の建設が開始され、加速器系の強力なチームワークにより1982年の春には予定通り放射光施設が完成、放射光の取り出しに成功しました(図4)。もちろん、トラブルもたくさんありました。蓄積リングが完成し、
いざ電子ビームを回そうとしたところ、全く回りません。調べてみると、なんと全軌道の4分の1にわたって、加速するための磁石の符号が反対になっていたそうです。また、運転し始めてしばらくすると、変な事象が起きていることに気がつきました。天気の良い日に、ビームの軌道が揺れるのです。原因は天井が温められることによる熱膨張でした。このことは、以降の世界中の放射光施設の建設に大きな影響を与えました。これ以降に建設された放射光施設では、天井は建設土台や壁と切り離して作られるようになりました。

加速器屋VS放射光ユーザー

加速器から生み出される放射光はこれまで実験室で使われていたX線とは桁違いに強く、明るく、指向性の高い光です。これまで10時間かけて撮影して いたラウエ写真が、たった1秒で撮れた時には大変驚いたそうです(図5)。しかし、人は「より良く」を求めるものです。放射光ユーザーはもっと強く、明るい光を求めます。それを実現するのがアンジュレーターという、ピアノの鍵盤のようにN・S極を交互に並べた磁石を電子軌道の上下から挟んだ形の挿入光源です。しかし、これは運転を担う加速器屋にとってはやっかいなものでした。加速器中の電子は暴れ馬のようなもので、加速空洞や磁石を通るたびにバラバラになります。それを抑え込むのが加速器屋の腕の見せ所。アンジュレーターを入れれば、電子は左右に激しく振られ、より明るい光を出すことができますが、電子のコントロールが難しくなるのです。

「わしの目の黒い内は加速器リング内に挿入光源を入れることは許さん。」当時、光源加速器の研究者の中にはそんな意見もあったそうです。放射光ユーザーの要求、運転する側のリスク、時には対立しつつも協調して歩んでいかなければ成り立ちません。この講演で佐々木教授は「ユーザーからの要求はどんなに厳しいものであっても、応えることが加速器技術の向上につながる」と語っていました。実際、PFで開発された真空封止型アンジュレーターは、高輝度の放射光X線を得る装置として今では世界中の放射光施設で使われています。PFは2005年にアンジュレーターを挿入できる直線部を増強し、30年経った今でも、研究の第一線で活躍しています。

図5 フォトンファクトリー最初のラウエ写真
図6 アンジュレーター・テストの写真
図7 コンパクトERL(cERL)概念図
PFの次世代放射光源として計画されているERL(エネルギー回収型リニアック)の実証器コンパクトERL(cERL)。
現在建設中、2012年度末に運転開始する予定です。

対立する時期も経て今日では、加速器屋と放射光ユーザーの間には良いコラボレーションが構築されています。そして、PFの次世代光源としてエネルギー回収型ライナック(ERL)の検討が進められています。この計画は、加速器屋も放射光ユーザーも隔てなく、議論を交わし、一丸となって進められています。その実証器である、コンパクトERL(図7)の建設がついに始まりました。加速器屋と放射光ユーザーは両輪となって、物質科学・生命科学を推進しています。

関連サイト

放射光科学実験施設 フォトンファクトリー
PFシンポジウム

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