H.Tada

所要時間:約6分

図1. カナダのTRIUMF研究所に向けて搬出された冷凍機の一部(写真右側)と、KEK UCNグループ代表の川崎真介 准教授。 /<i class='fa fa-copyright' aria-hidden='true'></i> KEK IPNS

図1. カナダのTRIUMF研究所に向けて搬出された冷凍機の一部(写真右側)と、KEK UCNグループ代表の川崎真介 准教授。 / KEK IPNS

極低エネルギーの中性子、「超冷中性子(UCN: Ultra Cold Neutron)」を用いて、中性子電気双極子モーメント(中性子EDM: Electric Dipole Moment)の探索を目指すUCNグループが実験用に開発した大型ヘリウム冷凍機が、KEKでの冷却試験を終え、先日カナダのTRIUMF研究所に向けて搬出されました。

中性子は電気的に中性な粒子ですが、非常に小さなスケールで見れば内部に電荷の偏りがあるかもしれません。この電荷の偏りがあれば「電気双極子モーメント(EDM)」が生じます。KEK UCNグループではTUCAN国際共同実験(注1)に参加しており、中性子EDMを測定することで時間反転対称性の破れの研究を行っています。

現在までにEDMの確定的な値は決まっておらず、これまでのところ時間反転対称性は保たれているようです。しかし、UCNを大量発生させ実験の感度をあげて、中性子EDMにゼロではない有限の値があることを証明できれば、時間反転対称性の破れの存在を証明することができます。TUCAN国際共同実験では、この中性子EDMを10-27 ecm(ecmは電気双極子モーメントの大きさを表す単位)の測定感度で観測することを目指しています。

TUCAN国際共同実験では、原子核から取り出した中性子を冷却し、UCNを生成する図2の装置をカナダのTRIUMF研究所内に建設しています。その内KEKでは、UCNを効率的に生成するためのヘリウム冷凍機を開発しています。UCNを生成するには、加速した陽子を重金属で出来た標的にぶつけて原子核を割り(核破砕反応)、中性子を取り出し、その中性子を段階的に冷却します。冷却過程の最後で「UCNコンバーター(変換するもの)」と呼ばれる1 K(1 K=−272.15 ℃)の液体ヘリウムの中に中性子を入れます。しかし、そのままでは核破砕反応で生じる熱の影響で、UCNコンバーター温度が上昇しUCNの生成効率が下がってしまいます。そこでUCNコンバーターの熱を取り去り続ける冷凍機が重要となるのです。KEK UCNグループが開発した冷凍機では、UCNコンバーターとは別のヘリウム3(注2)を用いて、UCNコンバーターの温度を1 Kに保ちます。

図2. 中性子からUCNを生成する装置のイメージ図。UCNグループが開発したヘリウム冷凍機は、このうちUCNコンバーター(紫の部分)を1 Kに冷却し続けるためのものです。

図2. 中性子からUCNを生成する装置のイメージ図。UCNグループが開発したヘリウム冷凍機は、このうちUCNコンバーター(紫の部分)を1 Kに冷却し続けるためのものです。

昨年、このヘリウム冷凍機が完成し、KEKに搬入されました(https://www2.kek.jp/ipns/ja/post/2020/09/20200901/ )。その後、非常に高額なヘリウム3を使用する前段階として、ヘリウム4を使用した冷却試験をKEKで実施しました(図3)。試験の結果、ヒーター過熱を行わない無負荷状態で、約1.23 Kまで冷却できることが確かめられました(図4)。これは、ヘリウム3を使用した場合に、約0.65 Kまで冷却できることに相当します。

図3. 冷却試験の様子。予冷段階では、冷気は装置外部にまで伝わり、装置周囲の空気中の水分が冷えて霜がついていますが(写真左)、予冷が完了し、冷却能力が全て装置内部で使われると、冷気は装置外部には漏れ出さず、霜は溶けて行きます(写真右)。

図3. 冷却試験の様子。予冷段階では、冷気は装置外部にまで伝わり、装置周囲の空気中の水分が冷えて霜がついていますが(写真左)、予冷が完了し、冷却能力が全て装置内部で使われると、冷気は装置外部には漏れ出さず、霜は溶けて行きます(写真右)。

図4. ヘリウム4を使用した試験時の温度計表示。一番上の青い画面右下に表示されている1.2291 Kという数字が、今回の試験で最も下がった時の温度です。

図4. ヘリウム4を使用した試験時の温度計表示。一番上の青い画面右下に表示されている1.2291 Kという数字が、今回の試験で最も下がった時の温度です。

今回の冷却試験では、ヒーターを用いた熱負荷試験も行いました。無負荷の状態、熱負荷状態、両方の状態で設計通りの性能を発揮していることを確認できました。

KEK UCNグループ代表の川崎真介 准教授はこれまでを振り返り、
「素核研の低温グループ、KEK共通基盤研究施設 超伝導低温工学センター、KEK共通基盤研究施設 機械工学センター、日本の実験コラボレーションチームといった様々な人達のおかげでヘリウム冷凍機の開発・冷却試験を行うことができました。色々な人に支えられてありがたい限りです。さらに、研究者同士が自由に行き来できない昨今の状況でも、予定通りTRIUMF研究所にヘリウム冷凍機を設置できるのは、コロナ渦でも頑張って実験の各パートを国際分担で準備して下さっている人達のおかげです。彼らにも感謝の気持ちでいっぱいです。」

と、開発や実験に携わる人達への感謝を述べた上で、

「設計から性能試験まで4年かかりました。このような大きな冷凍機を作るのは初めてでした。世界に一つしかない冷凍機の開発に成功して感慨深いです。ここで、また一つ大きなマイルストーンを達成できました。この冷凍機がヘリウム3を使って1 K以下まで冷却できるのか興味があります。TRIUMFの皆さんの協力によって達成できると期待しています。」

と、巨大なヘリウム冷凍機開発を振り返りつつ、今後に期待を寄せていました。

ヘリウム冷凍機はTRIUMF研究所に到着後、組み立てた上で実験施設に設置され、2021年初秋からヘリウム3を用いて最終冷却試験を行う予定です。その後、2022年にUCN生成を開始し、2023年に中性子EDMの測定を開始する予定です。

川崎准教授「今後1〜2年で新たな結果が出せると思います。私自身、楽しみにしています。」

用語解説

注1. TUCAN国際共同実験
TUCANはTRIUMF Ultra Cold Advanced Neutronの略。日本とカナダの大学・研究機関から約40名が参加する実験プロジェクト。カナダのTRIUMF研究所でUCNを大量に生成し、中性子EDMを10-27 ecmの感度で観測することで時間対称性の破れを探索しています。

注2. ヘリウム3
ヘリウムの同位体の一つ。ヘリウムの大部分(99.9999%)は陽子2個と中性子2個で構成されるヘリウム4ですが、ごくわずかに存在するヘリウム3は陽子2個と中性子1個で構成されています。ヘリウム4は大気圧(約101,300 Pa)のとき4.2 K(約-269 ℃)で沸騰しますが、ヘリウム3は同じ圧力下でさらに低温の3.2 K(約-270 ℃)で沸騰します。


関連リンク

最近の主なニュース・特集など

関連する研究グループ