【KEKエッセイ #10】百万聞は一見に如かず~光を作る工場

 
KEKつくばキャンパスにはフォトンファクトリー(光子工場)という実験施設があります。フォトン(光子)は光の粒のことで、電子を加速することで作られます。フォトンをモノに当てると、モノの真の姿が浮かび上がります。物質・生命科学における謎が光子によって解き明かされつつあります。この魔法のような光子工場の話をしましょう。(物質構造科学研究所 村上洋一)
ドローンによるKEKの空撮。左中央の白い卵形の建物がフォトンファクトリーで、その少し後方の地下にPF-AR(フォトンファクトリー・アドバンストリング)が設置されている。

私たちはモノを見るときは光を使います。真っ暗闇では何も見えません。人が得る情報の八、九割が視覚からくるといわれますが、果たして私たちは光で何を見ているのでしょう。モノの形、色、明暗ぐらいでしょう。それらはすべてモノの表面からの情報です。私たちは人の表情からその人が笑っているのか怒っているのかを瞬時に判断します。でも、笑っているように見えて、実は心の中で怒っているのかもしれません。

目で見える光(可視光)の波長は380〜770ナノメートル程度(1ナノメートルは10億分の1メートル)という狭い範囲に限られており、波長が短い方から青・緑・黄・赤と目は感じます。動物によって、見える光の領域は多少違うようですが、どんな動物でも見える光の領域は制限されています。ちなみに、色覚異常で知られる犬などは、波長が429〜435ナノメートル(紫青)と555ナノメートル(黄緑)付近の光しか感受できないそうです。

KEKつくばキャンパスのフォトンファクトリーでは、波長が数千ナノメートルの赤外線から百分の1ナノメートル程度の硬X線までの光を利用しています=図1参照。これだけ広い範囲の光を使うと、モノのさまざまな側面を見ることができます。波長の短いX線だとモノの内部構造が詳細に見えます。健康診断でX線写真を撮るのは体の中の様子を見るためです。逆に波長の長い光を使えば、そこの電子の状態が分かることで、モノの状態が分かります。物質の力学的・電気的・磁気的な性質などは、多く場合そこにある電子の状態で決まるからです。

図1 放射光のスペクトル 光の明るさ(輝度)のエネルギー依存性。フォトンファクトリーの偏向磁石からの光、短周期アンジュレーターからの光、太陽光、X線管からの光が示されている。偏向磁石とは電子ビームを曲げて放射光を取り出すときに使う電磁石、アンジュレーターは数十個の磁石を並べたもので放射光の輝度を強めるために使う。
フォトンファクトリーで作る光は、放射光と呼ばれます。可視光ではモノの表面の形や色、明暗しか分からなかったのが、放射光ではその内部構造や電子状態まで分かります。ここでいうモノとは、無機物だったり、有機高分子や蛋白質などの分子結晶だったりします。「百聞は一見に如かず」といいますが、放射光を使うことでその”一見”の価値の質も随分と変わってくるかもしれません。

放射光は1947年、米国ゼネラルエレクトリック社の小さな電子加速器で初めて観測されました。その後、技術が発展し、現在では世界で50以上の放射光施設が稼働しています。周長数キロメートルという巨大な放射光施設もあります。放射光にはいくつかの特徴があります。①光の強さがとても強い②幅広い波長を持つ③真っ直ぐに進む④ストロボ光である⑤光の偏光方向(電場ベクトルの振動方向)がそろっている‥など。世界で、これら光の特徴を活かした研究が昼夜行われています。

放射光実験施設ではさまざまな研究が行われています。物理学や化学の研究が行われているかと思えば、隣のビームラインでは医学の研究、その隣では企業の研究者が材料開発をしているという具合です。多様な学術・文化のメルティング・ポットとして最適の場所となっています。

放射光利用技術は加速度的に進歩しています。観測できる空間がどんどん小さくなり、精密な電子の状態も調べられます。原子や分子の運動を動画で見ることも可能になりつつあります。今後、人工知能やデータ駆動科学などの情報科学との連携で、放射光科学の画期的な発展が期待されます。放射光に新しい実験装置・手法・解析技術が組み合わさって、見ることの質が格段に向上し、モノの本質が次々と解明されていくでしょう。とは言っても、人の心の奥底まではなかなか明らかにできないでしょうね。

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