【KEKエッセイ #12】世界最高性能の電子・陽電子衝突型加速器 ~ILCを知ってますか~

 

宇宙は138億年前のビッグバンで生まれたと考えられています。この誕生時の宇宙の状況を再現するために、原子より小さい粒子に電磁波でエネルギーを与えて光速に近い速度で衝突させる実験装置が電子加速器です。世界最高性能を目指して国際協力で建設する大型電子・陽電子衝突型加速器「国際リニアコライダー(ILC)」の日本への誘致活動が続けられています。ILC計画を推進している中心組織の一つであるKEKの研究者として、その意義を解説したいと思います。(素粒子原子核研究所 藤本順平)

国際リニアコライダー(ILC)の完成予想図(画像Rey.Hori)

ILCの目的は138億年前に起きたことを知ることです。宇宙がどのように誕生したかを知ることには確かに興味がわきますが、それが私たちの生活とどう関係があるのでしょう。

目に見えないほど小さかった誕生したばかりの宇宙は、その後急激に膨張して巨大な宇宙となります。一方、宇宙のエネルギー密度は急激に下がります。エネルギー密度が低くなると、それまで真空から生み出されていた大きな質量の素粒子は生成されなくなります。しかも、大きな質量を持つ素粒子は直ちに小さな質量の素粒子に変化するので、やがて宇宙の初期にあった大きな質量の素粒子たちは観測できなくなります。こうして現在の宇宙では、数種類の小さな質量の素粒子しか見ることができません。「能ある宇宙は多くの爪を隠してしまった」のです。

物理学は「宇宙の秩序」の解明を目指します。宇宙が冷えて隠されてしまった「素粒子たちの秩序」は解明のしようがありません。しかし、人類は加速器を使って空間の一点にエネルギー密度の高い状態を作ることで、宇宙初期に活躍していた大きな質量の素粒子を生み出して宇宙の初期を再現できることに気づきました。加速器を大型化すればするほど高いエネルギー状態を作り出せるので、宇宙のより初期の状態に迫ることができます。人類はこれまで、大きな加速器を次々と建設して、隠れていた大きな質量の素粒子を発見し、隠されてしまった宇宙の秩序を明らかにしてきました。

電子の例を挙げます。人類は電気や電流がさまざまな現象を起こすことを知っていましたが、その正体が電子という小さな粒の流れであると気づいたのはようやく19世紀の終わりになってからです。その後、電子と光の秩序は量子電気力学として20世紀の半ばにまとめられました。そして人類は電子を自在に操ることができるようになり、パソコンや携帯電話などの電子機器時代が到来しました。電子は隠されてしまった素粒子ではありませんが、自然の秩序の解明が人類にもたらす素晴らしい例のひとつで、これこそがILCの目的なのです。

しかし、宇宙が隠してしまった「秩序」を見ようとするわけですから、どのエネルギー領域を探せばよいかを予測することは難しいのです。より高いエネルギーで実験をすれば、宇宙が隠している秩序や能力を見ることができることはわかっています。でも、いたずらに高いエネルギーを目指して加速器を際限なく大きくすることもできません。ILCの衝突エネルギーは、250GeV(ギガ電子ボルト)、2500億電子ボルトに設定されています。この設定には根拠があります。

スイス・ジュネーブにあるCERN(欧州合同原子核研究機関)には、山手線の大きさに相当する陽子・陽子円形衝突型加速器、LHC(ラージハドロンコライダー)があります。ここで2012年にヒッグス粒子が発見されました。これにより、100年近くかけて人類が構築してきた「素粒子の標準理論」に登場する17種類すべての素粒子が出そろったことになります。

ヒッグス粒子は物質に質量を与えるとされる粒子です。宇宙誕生の138年億年前にヒッグス粒子も作られ、頻繁に反応していましたが、宇宙が冷えるとともにヒッグス粒子は粒子として現れなくなりました。別の言葉で表現すると、LHCが実に138億年ぶりにヒッグス粒子をこの宇宙に出現させたのです。

ヒッグス粒子存在の基盤となる「素粒子の標準理論」は、これまでの加速器実験の結果から正しいことがわかっています。しかし同時に、標準理論には現実の宇宙の秩序の全てを説明できない不備があることもわかっています。

例えば、宇宙にはダークマター(暗黒物質)と呼ばれる未知の存在があることがわかっています。ダークマターは原子と異なり、光と反応しません。そのため、その存在を直接観測することはできませんが、宇宙全体に存在する原子の約5倍にわたって宇宙に蔓延しているらしいこともわかっています。

宇宙に蔓延する存在なら、正体は素粒子であるのが自然ですが、標準理論にはダークマターの性質を持つ素粒子はありません。これが「不備のその1」です。

「不備のその2」は KEKの研究成果に関係します。東海村のJ-PARCから岐阜県の神岡町にあるスーパーカミオカンデにニュートリノを射出するT2K実験で、「ニュートリノには質量がある」ことが分かりました。標準理論ではニュートリノの質量はゼロとされており、実験結果と合いません。3種類あるニュートリノの個々の質量の値もまだわかっていません。

このように色々と「不備」がある標準理論ですが、さらに「不満」もあります。宇宙には「重力」を含む4種類の力が働くことが知られていますが、標準理論はそのうちの「電磁気力」「弱い力」「強い力」の3つしか扱っていません。「重力」も素粒子という考えで同時に理解する秩序はまだわかっていません。宇宙のたいへん初期の段階で4つの力が一つにまとめられていた、と考えたいのですが、その考えの基盤となる実験結果がはっきりしていません。

現在考えられている力の統一像としては、大きく3つの解決策が提案されています。宇宙は超対称性という秩序を持っていたとする「超対称性派」、素粒子にはさらに中身があるという「複合粒子派」、4次元時空の他に次元があると考える「余剰次元派」です。3派閥がいくら論戦を繰り広げたとしても、根拠となる実験結果がなければどれが正しいのかわかりません。標準理論はその名の通り素粒子反応の観測値の「標準値」を与えてくれます。そして、標準理論の教える標準値から外れた結果が観測されれば、どの派閥が正しいのか、正しくないのか、ようやく結論が出る、と言うわけです。ところがこれまでのところ、頼みの綱のLHC実験でも「超対称性」も、素粒子の「複合性」も、「余剰次元」の兆候も、また、測定値の誤差の範囲を超えて標準理論の予測から外れた現象も見えていません。

ここで期待を集めているのがILCです。ヒッグス粒子を大量に作って観察する「ヒッグスファクトリー」を作り、標準理論からのズレが観測できれば、何が起こっているのかわかります。世界の研究者の間で、「ヒッグスファクトリー」は人類が避けて通れない実験であるとのコンセンサスが形成されています。

電子と陽電子の衝突でヒッグス粒子を生成するには、Zボソンとヒッグス粒子の同時生成過程を使います。そのためにはZボソンの質量91GeV/c2((910億電子ボルト)とヒッグス粒子の質量125GeV/c2(1250億電子ボルト)を合わせた、216GeV(2160億電子ボルト)の衝突エネルギーが少なくとも必要です。更に216GeVに近いほど生成確率が大きいことも知られています。そこで、216GeVより若干高い250GeVにエネルギー設定をしたのがILCです。このエネルギーでの衝突を行うために、ILCは直線距離20キロメートルの地下トンネルを掘削し、10年ほどかけて完成させる予定です。加速器と素粒子反応の測定器2台の建設費、建設時の人件費を合わせ、7700億円程度の予算規模です。国際実験ですので経費は国際的に分担することが見込まれています。

ヒッグス粒子を発見したのはLHC実験ですから、LHC実験でヒッグス粒子を大量に作ればいいのではないか、と思うかもしれません。ヒッグス粒子を詳しく調べる上で知りたいのは、観測値と標準理論の予測値との明確なズレです。でも観測値には誤差がつきものです。実は、LHC実験では測定誤差を十分に小さくすることができず、測定誤差の範囲を超えた食い違いは見つかっていません。

これは、より高いエネルギーを得るためにLHCが複合粒子である陽子を衝突させていることに起因します。陽子の中のグルーオンやクォークの衝突でヒッグス粒子が生成される時、陽子の残りの部分が「強い力」を受けて、余分な反応を起こし多数の粒子ができるため、ヒッグス粒子を判別することが困難になります。だから、素粒子である電子と陽電子を使うILC実験はとても有利なのです。

これまで具体的な「ヒッグスファクトリー」の計画はILCだけでした。しかし、日本誘致の決断がされない現状に危機感を抱く海外の研究者がさまざまな「ヒッグスファクトリー」を提案し始めています。中国は周長が50キロメートルから70キロメートルに及ぶ「CEPC」(円形電子陽電子衝突型加速器)の提案を始めています。CERNも次世代加速器として、LHCのトンネルをより大きくしたり、電磁石の能力を増強したりして、今のLHCより高いエネルギーに到達できる将来陽子陽子円形衝突型加速器「FCC」(Future Circular Collider)を建設し、それを初期には電子陽電子衝突に使う「FCCee」でヒッグスファクトリー実験を行うとか、あるいはILCとは異なる技術で直線型加速器「CLIC」(コンパクトリニアコライダー)を作る提案をしています。

これらの新しい計画案に比べてILCの技術は格段に検討・準備が進んでいます。日本のILC誘致の決断はまだなされていませんが、ILCを誘致する青信号がでれば他の新計画を主導している研究者たちもILCに合流することでしょう。

「隠された宇宙の秩序・法則」を知るための「ヒッグスファクトリー」としてのILC実験は、世界中の研究者から早期実現が切望されており、いまがILCの日本誘致の大きなチャンスなのです。

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