【KEKエッセイ #14】未知の反応を探れ!研究者が「100兆分の1」に挑む!!
#KEKエッセイ #素核研渋野日向子選手が8月、全英女子オープンゴルフで優勝し、日本人としては42年ぶりに海外メジャーを制覇しました。メジャー初挑戦で初優勝の20歳。終盤の猛烈な追い上げで成し遂げた快挙にはだれもが驚かされたことでしょう。これは渋野選手の運がたまたまよかったからでしょうか?いや、彼女の小学生のころからの地道な準備と努力があったからこそ、つかみ取った栄冠だと思います。サイエンスの世界も同様です。きわめてまれにしか起こらない未知の物理現象が発見された時、それは研究者の運がよいからではなく、その背景にはいつも自然がその頻度でその現象を生じさせる理由があるのです。(素粒子原子核研究所 三原智)
素粒子物理学は、目で見ることができない究極のミクロな世界を解明する学問です。素粒子の世界では、膨大な「平凡な物理現象」が起こる中でほんの一瞬だけ、私たちの常識を超えた「奇妙な物理現象」が顔を見せる場合があります。私が進めているMEG ll実験とCOMET実験は、まさにそのような奇妙な物理現象を探索しています。この手の実験、どれくらいの数の平凡な現象の中からどれくらいの奇妙な現象を探そうとしているかというと、だいたい100兆個の平凡な現象の中に奇妙な現象が1個あるかないかというレベルです。ざっくり言うと、海岸の砂浜の砂を幅50m、長さ1000m、深さ2mの箱に詰めてその中に奇妙な砂粒があるかどうか調べるようなイメージです。
では、こんな実験でいったい物理学の何がわかるのでしょう?
現在知られている素粒子の反応の大半は素粒子物理学の教科書「標準模型」と呼ばれる理論で記述されます。しかし、わずかながら標準模型では記述できない現象が見つかっており、教科書を書き換える必要があると考えられています。
現代の加速器では作り出せない高いエネルギー状態に、人類がまだ知らない未知の素粒子があって、その影響でごくまれに素粒子が普段とは違った反応を起こす可能性があるのです。つまり、通常と異なった反応を見つけ出すことができれば、そんな未知の素粒子の存在を間接的に証明することができるのです。
こういった未知の素粒子は、宇宙の始まりのエネルギーがとても高かった時期に宇宙を飛び交っていた可能性があります。標準模型では許されないまれな現象を探ることで、宇宙の始まりのいつごろにそういった未知の素粒子が存在したのかを推測することができます。あたかも、実験室で宇宙の始まりの様子を垣間見ようとする「タイムマシン」のようです。
私の実験では電荷をもったミューオンという素粒子を使います。ミューオンは素粒子の中では比較的安定なうえ、加速器で大量に生成できるので、このような「未知の反応」探しにはうってつけの素粒子なのです。
通常、ミューオンは電子と2種類のニュートリノという素粒子に壊れるのですが、上記の標準模型では許されない現象がもしあるとすれば、ニュートリノを出さずに壊れる可能性があります。その場合、壊れた後に電子と光子(ガンマ線)が出現します。この反応を探す実験がスイス・ポール・シェラー研究所で行われているMEG II実験です。また、ミューオンを原子核に捕まえさせて、そこから電子だけが出てくる、ニュートリノが出ない反応を探す実験がJ-PARCのCOMET実験です。
2つの実験とも、100兆回に1回程度で起こる反応を捕まえられるよう様々な工夫をこらしています。準備段階も含めると最終結果が出るまでの実験期間は約10年。まずは4〜5年の間、入念な準備をして装置を製作(図2)し、ようやく実験を開始します。その際1秒間に使えるミューオンの数はたかだか1億個程度(それでもかなり多いですが)。1年間ずっとデータを取り続けて、やっと1000兆個くらいのミューオンのデータをとれるのですが、装置がカバーする面積と装置の検出効率、解析の効率を考慮すると3~4年間データを取り続け、やっと100兆回に1回程度の未知の反応探しができるようになります。その後はさらに1〜2年の間、慎重なデータ解析を行ってようやく最終結果を得ることができるのです。
100兆回に1回というと、宝くじで1等が当たるよりも遥かに低い確率ですが、これはミューオンのまれな反応を見つける研究者の運だめしではありません。宇宙の歴史の中で実際に起ったことの痕跡をたどろうとする壮大な探索実験です。見つければノーベル賞級の発見ですが、もし見つからなかったとしても運が悪いのではなく、自然がそんな反応を許さない確固たる証拠であり、人類の自然に対する理解を大きく一歩進めることに違いはないのです。
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