【KEKエッセイ #27】加速器研究と新型コロナウイルスの交差点で
#KEKエッセイ今、世界中を大混乱に陥れている新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、加速器研究に没頭して現役時代を過ごした私にとって、遠く離れた未知の領域の話題のはずでした。しかし、日々洪水のようにあふれるメディアの報道に触発され、ネット上の情報を漁って勉強しているうちに、加速器研究とウイルスとの間にささやかな繋がりがあったことに気が付きました。そう、私は知らないうちに、加速器を通じてウイルス学研究の一端を支えていたのです。(名誉教授 鎌田進)
私は20代終わりに差し掛かった、1970年代後半の約3年間、後にKEK-PF(フォトンファクトリー)とよばれる円形加速器の電子ビーム光学系の設計に取り組んでいました。この加速器は、光速に近いスピードまで加速した電子から放射される光を、さまざまな分野の研究に役立てる放射光源加速器です。1979年の建設開始に先立って基礎設計を完了した私はその後、高エネルギー物理の将来計画「トリスタン加速器」へと研究の軸足を移していきます。
建設起工式から3年余り経過した1982年3月6日未明、KEK-PFは電子ビーム蓄積に初めて成功しました。すべての人が待ち焦がれていた一里塚です。奇しくもこの日は私の結婚式。徹夜明けの疲労と眠気を押して出席してくれたPF関係者の輝く笑顔は今でも忘れません。1月後には、来日中のフランソワ・ミッテラン仏大統領が本人の希望でKEK-PF視察に来訪、続いて鈴木善幸総理も視察に訪れ、KEK-PFは国内外の注目を集めました。それからのKEK-PFは、高品質な放射光源として、世界中から多くの研究者を集め、多くの研究成果を上げてゆきます。1980年代は世界各所で放射光専用の加速器が稼働し始め、放射光科学が誕生し発展を開始した時代です。
さらに時を遡ること30年、1952年5月、キングス・カレッジ・ロンドンではロザリンド・フランクリン博士の指導の下、大学院生レイモンド・ゴスリングが露光に62時間かけて1枚の写真を撮影しました。Photo 51とよばれるこのX線回折写真は、その後の生物学の革命的展開の引き金を引くことになります。Photo 51は、DNAが二重らせん構造をしていることを、世界に初めて明らかにした写真だったのです。
DNAについて、少しおさらいしましょう。生物と無生物の中間に在るウイルスを除く全生物は、その遺伝情報をDNAに記録します。一方、タンパク質合成工場であるリボソームに遺伝情報を伝達するのはメッセンジャーRNA(mRNA)です。生物は、まずDNA上の遺伝情報をmRNAに書き写し、リボソームでmRNAに記載された順にアミノ酸を並べ繋いでタンパク質を合成します。このことから、地球生命の誕生時にRNAが重要な役を担ったことが示唆されます。地上に初めて出現した自己複製系はRNAという「RNAワールド仮説」につながります。この仮説によれば、最初期に遺伝情報を記録していたRNAは、その後の生命進化の過程で、より安定な記録媒体であるDNAに役割を譲ることになります。
Photo 51の撮影で使われたX線源はX線管と推察されます。真空管の一種のX線管は立派な加速器でもあり、電子ビームを作って加速、金属標的にぶつける装置です。標的にぶつかった電子は、金属原子の電子と衝突してスペクトルピークの鋭い特性X線を発生し、さらに原子核との衝突から連続スペクトルの制動放射X線を発生します。X線管は現在でも医療分野などで活躍しているX線源です。
X線回折で物質の構造を調べる仕組みを説明しましょう。一定波長のX線を生体高分子などに照射すると、高分子の個々の原子で散乱を受け、無数の散乱波の集団として大きく角度を拡げて伝わります。静かな水面に石を投げ込んで生まれる波紋を思い浮かべてください。着水点から発生した波は、円弧を描いて水面を広がります。同時に複数の石を投げ込めば、石の数だけ波紋が生まれ、互いに重なり合って複雑な模様が描かれます。この模様には、投げ込んだ石の着水位置、タイミング、そして大きさが反映されます。同様に、無数の原子で散乱されたX線は、散乱波同士が重なり合うことで進行方向毎に強弱が生じ、そこに写真フィルムを置けば回折像と呼ぶ濃淡模様が写ります。試料の結晶化などで周期性があれば、それが強調された明瞭な回折像を作ります。この画像を解析すると、生体高分子の立体構造が分かる仕組みです。
ウイルスの遺伝情報を記録するのは必ずしも二重らせん構造DNAだけではありません。デビッド・ボルティモアは、mRNAを作る手順に従ってウイルスを7つの群に分類する提案をしています。コロナウイルスは第4群で、遺伝情報を一本鎖RNAが記録し、その情報の仕様はmRNAと同じプラス鎖タイプです。ウイルスは自力で自己複製ができないので、感染先宿主細胞のリボソームに自身を複製するmRNAを紛れこませて増殖します。
リボソームはタンパク質とRNAの複合体で、大変に複雑な構造の生体高分子です。この立体構造も加速器で作ったX線で明らかにされました。2009年のノーベル化学賞は、「リボソームの構造と機能の研究」に対してイスラエルの結晶学者アダ・ヨナット博士ら3人に与えられました。ヨナット博士は1980年にバクテリアのリボソームの結晶化に成功し、その後20年にわたる改良と実験を積み重ね、ノーベル賞に到達しました。実は、ヨナット博士は共同利用研究者として1980年代のKEK-PFで熱心に自身の研究を推進すると同時に、KEK-PFを世界的な活躍の場へと導いてくれたのです。次の記事がKEKにおけるヨナット博士の活躍を伝えています。
X線回折で構造解析するには、良質の単結晶と高輝度X線、高性能撮像装置、そして精妙な解析アルゴリズムが必要です。現代の科学研究は、専門分野毎に分業化して進められる研究と専門分野を統合するチームワーク的研究から成り立っています。多くの分野を巻き込む壮大な構想のチームワーク的研究が始動する時は、学問の集積度が高まった時や技術が大きく進歩した時、そして社会的要請が高まった時などに同期しているようです。このようなチームワーク的研究推進では、研究者個人の情熱や信念がとても大切と思われます。KEK-PFの建設も、壮大な構想のチームワーク的研究の一例でしょう。KEK-PFのおかげで、私は生物学発展史の一隅に加速器研究者として参加できました。今回の新型コロナウイルス問題でも、新たなチームワーク的研究が求められているのかも知れません。
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