【KEKエッセイ #28】電子の不思議 〜遍歴と局在の狭間で〜

 

身の回りにある物質はとても小さな原子からできていて、原子は原子核と複数の電子から構成されています。したがって、物質から成る私たちは、たくさんの電子からできています。皆さんは、電子のことをよく知っていると思っているかもしれませんが、実は今でも分からないことだらけなのです。そんな物質中の電子の知られざる素顔についてお話しましょう。(物質構造科学研究所 村上洋一)

電子のd軌道には5つの異なる軌道がある。

すべての物質は、もうこれ以上分割できない粒子「素粒子」からできていると考えられています。電子は最初に発見された素粒子です。19世紀末から20世紀初頭にかけて、様々な実験によって電子の性質が明らかになりました。小さな質量を持ち、マイナスの電荷を持っていること、さらに「スピン」という不思議な性質を持っていることも分かってきました。20世紀中ごろになると、物質中の電子の振る舞いについても多くのことが明らかになりました。例えば、物質は電気の流れる「金属」、流れない「絶縁体」、その中間で少しだけ電気が流れる「半導体」に分けられます。これら物質中での電子の振る舞いは、「バンド理論」と呼ばれる固体電子論でたいへんよく理解できるようになりました。その理論によると、電子は波のように振る舞いながら物質の中を動き回ることができると考えます。一つの電子に注目すると、その電子は周りのプラス電荷を持つ原子核や、マイナス電荷を持つ他の電子からの影響を受けながら運動します。また別の電子に注目すると、先程の電子とは異なる場所にいるので、周りの原子核や電子からの影響が違ってきます。でも、この理論では周りの原子核や他の電子からの影響をえいっと平均化して、すべての電子は全く同じ環境のもとで運動しているという近似(平均場近似と言います)をしたのです。これがバンド理論の大胆で素晴らしいところです。この理論は大成功をおさめ、大方の物質の電気・磁気的性質を説明することができました。バンド理論は固体物理学の基礎中の基礎で、現在でも電子材料や磁性材料を作るための堅固な理論的土台を提供しています。

しかし1970年代ごろになると、この理論では説明できない現象を示す物質群が次々と発見されます。重い電子系と呼ばれている一群の金属的な物質もその一つです。その名のとおり、電子がその物質の中ではとても重くなるのです。通常の電子に比べ、1,000倍以上も重くなるような物質も発見されました。この重い電子は、新奇な電気・磁気状態を創り出すので、大いに注目を集めました。特に、これまでに観測されたことのない新しい超伝導状態が低温で発見され、現在でも活発に機構解明の研究が進められています。それにしても、なぜそんなに重くなるのでしょう。その根本的な原因は、マイナス電荷を持つ電子間に働く強い電気的な斥力にあります。このような物質群は、電子間に強い相関があるという言い方をして、「強相関電子系」と呼ばれます。電子間に強い相関があると、電子は自由に動き回れなくなります。電子が動こうとすると、他の電子と鉢合わせし強い斥力を感じて、がんじがらめになってしまうからです。こうなると電子は原子の殻の中に閉じこもり気味になります。このような状況を、電子が「局在している」と言い、電子のイメージは波というよりは粒子に近くなります。

波のように自由に動き回っていた電子(遍歴電子)が、電子間の強い電気的な斥力で局在状態(局在電子)に近くなったとき、電子の持つ別の顔が浮かび上がります。それはスピンと呼ばれる電子の性質で、物質中に磁石のような状態を創り出します。このような物質群のもう一つの代表選手が、1986年に発見された銅酸化物高温超伝導体です。この超伝導体は、銅原子と酸素原子などのありふれた原子からなるのですが、液体窒素温度(-196 ℃)よりも高い温度で、電気抵抗がゼロ(超伝導状態)になります。現在の物性物理学の研究の流れは、この発見から始まったといっても過言ではないと思います。電子が局在した銅酸化物という磁性絶縁体から一部の電子を引き抜くと、残った電子は少しだけ動き易くなります。このどうにか動ける電子が、”高温”での超伝導状態を創ったのです。現在でもこの超伝導発現機構の研究は盛んに行われていますが、少なくとも電子スピンの揺らぎが重要な役割を果たしていることは間違いありません。

電子の局在性が高まったとき、電子はさらにもう一つの顔を現します。それは「軌道」という性質です。電子が原子核の周りに局在するとき、さまざま形をした軌道に入ることが知られています。その時、どの軌道に入るかという自由度が生じます。電子がいっぱい詰まっている物質は、スピンが揃うと磁石という性質を示すように、軌道という電子の形が揃うと新奇な性質を示すようになります。スピンと軌道という二つの顔を持つ電子系で、最近大ヒットした物質群は、2008年に東京工業大学の細野秀雄先生が発見した鉄系高温超伝導体です。銅酸化物高温超伝導体のときと同様、この鉄系化合物の電子濃度を少し変えて、電子を少しだけ動きやすくすると、これまた高い温度で超伝導状態が出現するのです。超伝導と相性が悪いとされてきた鉄が高温超伝導体になるというので、大きな話題になりました。しかし、この系の本当に面白いところは、電子スピンの揺らぎだけでなく電子軌道の揺らぎが、超伝導状態の形成に一役買っていると思われる点です。

このように電子の局在と遍歴の狭間では、電子の持つ電荷・スピン・軌道という3つの顔が現れ、思ってもみない多彩な物性が創発する強相関電子系は、新しい物性の金鉱であるだけでなく、その物性を利用した材料開発の宝庫でもあります。ここでは超伝導という現象を紹介しましたが、それ以外に、巨大磁気抵抗やマルチフェロイクスなど、電子材料・磁性材料開発に必須の現象にあふれています。KEKの量子ビームを使った物性研究で、電子の不思議が少しずつ解明されつつあります。これらを利用することで、豊かで持続可能な未来社会が創り出せるのだと私は信じています。

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