私は、江崎玲於奈です。
私は大阪で生まれまして、学校は京都の旧制の同志社中学、旧制の第三高等学校、それから、大学は東京大学でした。私がはいるときにはちょうど、1944年、戦争が終わる一年前で東京帝国大学にはいったのですが、私が大学を卒業しましたのは、1947年で、東京大学という名前でした。

私が物理学を選んだ動機というのは、科学の考え方というものに共鳴したからといえるかもしれません。私の学生時代というのは今では考えられないですが、戦争中でございまして、破壊と死というものが身近に感じられました。そういう状況になりますと、人間というのは、基本的な知識を得たいという哲学に走るかもしれません。サイエンス、これは、非常に普遍的で画一的な知識、しかも物理というものはナチュラルフィロソフィー(Natural Philosophy)ですから一番のサイエンスの基本です。そういうことを勉強しようと思いました。

大学の時には、嵯峨根遼吉先生という先生がおられまして、今でいう原子核物理という分野をやりたいと思っていたのですが、原子爆弾に関係するということで、進駐軍といいますか、入ってきたアメリカ軍から、そういう研究はだめだということを言われました。私は、自分が食っていけることも重要だが、日本は、精神的にも物質的にも、どん底にあったわけですから、日本というものを、なんとかしなくちゃいけない、というような気持ちもあったと思います。企業の研究所に入って、エレクトロニクスをやる研究所で、真空管の研究にはいりました。私が卒業したのは、1947年、この年に半導体、トランジスタが発明されました。半導体の発明というのは、今世紀後半最大の発明といわれます。これなしには、現在の情報通信の時代はないといわれるわけですが、その半導体の研究というのをはじめました。

研究というのは、自然科学とかサイエンスというものには、サイエンティストだけじゃないかも知れませんが、自然を愛する人たちに非常にアピールすることが二つある。ひとつは、宇宙ということです。コスモスとかユニバースとか。もうひとつは、生命ということです。宇宙というのは、宇宙の起源、あるいは物質の起源、生命の起源に対する興味は非常に大きいものがある。宇宙の基本的なからくりを研究するのが、現在、高エネルギー加速器研究機構だと思います。 サイエンスというものは一体どんなものかということについて、アインシュタインがこんなことを言っています。科学者の仕事ぶりを知るには、言っていることに耳を傾けても仕方がない。何をやっているかということを実際見なさい、というわけです。サイエンスには二つの面がある。一つの面は、非常にロゴス的で、客観的で、理性的で、冷徹で、厳密な論理的な面、教科書に書いてあるような面です。要は、仕上げられた結果で、学者としては講演会などで胸を張って発表するものです。もう一つの面、別の面は、新しい成果が生まれる、創造のプロセスです。サイエンスは創造である、というのは非常に重要なことです。創造のプロセスとは、主観的で、個性的で、イマジネーションが豊かで、パトス的な側面です。

科学はもちろん、非常に鋭い、知性のもとで、研究を進めるわけですが、やはり、直感と、霊感をたよりに暗中模索、悪戦苦闘、試行錯誤を繰り返す、たまにやってくる幸運、チャンスがある、そういうものに恵まれて、闇の中に光彩を放つような解答を見いだす。こういう科学が新しく生まれる側面をみてほしいです。 この研究所、高エネルギー加速器研究機構をご覧になると、実際新しいものが創造されるプロセスが、いっぱいあります。生きてる科学というものを皆さんがご覧になるということは、若い人に大変重要ではないかと思います。




素粒子原子核研究所 藤井 恵介博士
大強度陽子加速器計画推進部 J-PARCセンター長 永宮 正治博士
物質構造科学研究所 五十嵐 教之博士
元機構評議員会会長 江崎玲於奈博士

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