純粋な理想系から実在の複雑系や不均一系に拡大している現代の物質科学は、物質の表層部分や物質を破壊して取り出した試料を分析する時代から、目に見えない物質内部をあるがままにプローブする時代に突入しています。この新たな時代を支えるのはX線や中性子・ミュオンのような非破壊で物質内部に侵入できる量子ビームであり、新たな学問体系として統合型量子ビーム科学の構築が求められます。
自然界に存在する生命体や無機物、人間によって人工的に生み出された機能性材料や文化財など、広い意味の"物質"には総合知としての様々な情報が内在しています。このような情報を統合的に引き出すことで、"物質"の様々な機能の起源を知り、人間社会を豊かにするため、より高性能な機能や新たな機能を生み出していく一方、カーボンニュートラルなどの社会課題を解決していくことが可能です。その最初のステップは可視光の下での我々の目を通した"物質"の理解ですが、それらは物質の表層が中心です。従来、目に見えない物質内部の情報を得るため、物質を破壊して試料(サンプル)を取り出して調べる要素還元型アプローチがとられてきました。
しかし、物質の機能発現を理解するには要素還元だけでは充分ではなく、物質内部で階層化・ネットワーク化して相互に相関しているような生きた情報を得る必要があります。そのため、物質を破壊せず、あるがままに観測する新たな目が21世紀になって必要とされるようになりました。特に物質科学、材料科学、生命科学など広い意味の物質構造科学(ここで「構造」は、原子の並び方である3次元構造と電子の状態である電子構造の二つの意味を持つ)においては、人工的にX線や中性子線のような物質内部に侵入できる量子ビームという新たな"光源"を作りだし、あるがままの物質から生きた情報を得る手法が使われるようになってきました。そこで開発された非破壊観測法は文理融合分野にも拡大し、今や歴史学や考古学にも貢献しています。
量子ビームを作り出す方法はいくつかありますが、特に近年の加速器技術の発展によって、より強度が大きく指向性の高い量子ビームが電子加速器や陽子加速器を利用して得ることが可能になりました。それによって、あるがままの物質の内部構造の情報をナノスケールで得ることが可能になってきています。これまで、このような非破壊観測法、顕微イメージング法などの新たな実験手法や人材育成(施設系人材と利用者人材)などは、量子ビーム別に分かれて発展してきましたが、物質の3次元構造と電子構造・機能の多次元相関構造を明らかにするには、単なる連携ではなく同時利用マルチビーム・施設統合マルチプローブによる情報の統合的取り出しが不可欠です。このような統合型量子ビーム科学が扱う物理現象は、量子ビームの種類によらず回折・散乱、吸収・反射、それらの二次過程と、共通であることから、相互作用パラメータが違うだけでデータ解析を統合することも容易であり、データ科学との相性も優れたものになっています。今後、新領域開拓室においては量子ビームの種類に依存しない統合的な手法開発・人材育成を進め、統合型量子ビーム科学を推進します。統合型量子ビーム科学においては、物質に内在する階層化・ネットワーク化した情報をあるがままに引き出し、統合的に多次元相関構造を明らかにすることにより、新たな物質観を生み出すことが可能となります。