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LHC実験でビッグバンが見えたのか?

2010年10月7日

先ごろスイス・ジュネーブにある欧州合同原子核研究機関(CERN)で稼動中の大型ハドロンコライダー(LHC:Large Hadron Collider)を使ったCMS(Compact Muon Solenoid)実験グループが、7兆電子ボルト(TeV)の陽子・陽子衝突で生成した粒子の間の相関関係の測定について発表をしました。LHCの陽子・陽子衝突では100個以上の粒子が生成することがあります(図1)。CMS実験グループは、そのような事象で衝突点から飛び出す粒子間の向きの相関を分析しました。その結果、従来の陽子・(反)陽子衝突では見られなかった相関を見出しました。今回は、高エネルギーのハドロン散乱などの研究が専門の理論センターの板倉数記研究機関講師にこの現象について聞きました。


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図1

画像提供:CERN/CMS

CMS実験グループが観測した100個以上の粒子が生成した事象例

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図2

画像提供:CERN/CMS

CMS測定器


-今回CMS実験グループは何を見たのでしょうか?

「その前に、高エネルギー散乱での陽子の状態についてお話しようと思います。教科書に出てくるクォーク模型では「陽子は3つのクォークでできている」と書かれていますが、LHC実験のように高い散乱エネルギーにおける陽子では、「グルーオン」というクォークとは異なる構成要素が重要な働きをします。このグルーオンは陽子の中にあるクォークを外へ飛び出させないように「強い力」で結びつけて「閉じ込める」というのが通常の役割です。しかし、散乱のエネルギーが非常に高くなると陽子内部で非常にたくさん生成されて、その結果、陽子はグルーオンが高密度で飽和した「カラーグラス凝縮」と呼ばれる状態になります(図3)。今回のCMS実験グループが観測したのは、この「カラーグラス凝縮」による効果を見た可能性があります。カラーとは日常の生活の色のことではなく、クォークやグルーオンが持っている強い力を感じる性質の「色荷(いろか)」のことを言います。また、高エネルギー散乱では陽子内部のクォークの分布は、スナップショットで撮ったように衝突が起こったときの状態を反映し、フリーズ(凍結)していると考えます。さらに、そのクォークの分布、つまり色荷の分布はランダムであると考えられています。この状況は、非結晶状態の「ガラス」に似ています。そして、生成されたグルーオンの数は非常に多いので、あたかも「凝縮」状態であるかのように見えます。以上により、「カラーグラス凝縮」という名前が付けられています。この状態は、最近の高エネルギー素粒子・原子核実験においてその存在が強く示唆されている、新しい概念です」


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図3

カラーグラス凝縮の出現


- CMS実験グループはどのような実験データを得たのか、説明していただけますか?

「はい。今回、CMS実験グループは、110個以上もの粒子が生成されている事象中で、かたまりになっている粒子群(ジェット)周辺の分布が疑似ラピディティ(注)方向に引き伸ばされるRidge(リッジ:尾根)と呼ばれる現象を観測しました。疑似ラピディティ(η:イェータ)とは、入射陽子が飛んでくる軸に対しての生成粒子が散乱する角度に対応する変数で、η=2.5は約10度、η=0は90度、η=-2.5は約170度に相当します(図4)。図5の左の図は生成された粒子の数について選別をせずに平均を取った「ミニマムバイアス事象」中の2粒子の相関図で、一方、右の図は、生成された粒子が110個以上という多数の粒子生成が起こった事象だけを集めた時の2粒子の相関関係を表しています。3次元の図において、高さが相関の強さに相当します。Δη(デルタイェータ)とは、2つの粒子の疑似ラピディティの差、つまり陽子が走る方向の軸(Z軸:陽子ビームの軸)に対しての散乱角の差を表しており、Δφ(デルタファイ)は、2つの粒子の陽子ビーム軸回りの回転角の差を表します。図5の右図は、左図に比べ、黒矢印のところで疑似ラピディティ方向に尾根のような連なりが見えます。これが今回新しく観測された現象です。これに類似の現象は重イオン衝突実験において観測されていましたが、陽子衝突では初めて観測されました」


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図4

疑似ラピディティ η(イェータ)と角度θ(シータ)との関係



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図5

横軸のΔη(デルタイェータ)とは、2つの粒子の疑似ラピディティの差、つまり陽子が走る方向(陽子ビーム)の軸に対しての散乱角の差、Δφ(デルタファイ)は、2つの粒子の陽子ビーム軸回りの回転角の差。Rは粒子の相関を表す。


- この尾根構造とカラーグラス凝縮が関係あるのですか?

「はい、少なくとも重イオン衝突でこの現象が見つかった際には最も自然な説明を与えるメカニズムとして考えられています。陽子衝突でも同様の説明が可能でしょう。この現象で最も重要なのは、疑似ラピディティが大きく離れた(Δη=4以上)2粒子間の相関が見つかっている点です。このような長い相関は、相対論的な因果律を考慮すると、衝突後非常に早い時期に存在した相関であると考えるのが自然です(図6左)。そして、まさにその相関を与える可能性があるのがカラーグラス凝縮なのです。カラーグラス凝縮は、衝突する前の陽子の状態を記述するものです。つまり、陽子衝突にとっての、衝突時の「初期条件」を与えるものになります。そして、衝突直後には、カラーグラス凝縮を形成している多数のグルーオンが作る「色」による非常に強い電磁場が入射陽子と同じ方向を向いて、あたかもフラックスチューブ(磁束管)のような構造を作り出します(図6右)。これは、別の言い方をすると、ラピディティ方向に強い相関を持つ構造が形成された事になります。尾根構造はこのフラックスチューブの名残であると考えられるのです。実は、既にこの描像に基づく理論計算が存在します。その結果は、概ねCMS実験の結果を再現するものでした」


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図6

画像提供:Francois Gelis氏

左図は重イオン衝突においてラピディティの離れた2粒子の相関がいつ与えられるのかを説明している。図の青い領域が相関を与えうる時空領域。右図は、カラーグラス凝縮が与えるカラーフラックス構造。両端の円盤が原子核を表す。色つきのチューブが、衝突軸方向に伸びたフラックスチューブで、ラピディティ方向の相関を与える。


- 一部では、LHC実験でクォーク・グルーオンプラズマ(QGP)状態が見えたのでは、との話が出ていますが、、、

「そのような報道もありますが、現時点でそう結論付けることはできません。QGPを研究する米国のブルックヘブン国立研究所(BNL)の加速器RICH(リック:相対論的重イオン衝突型加速器)で見えていた尾根構造と同様のものが陽子衝突でも見えたという事から、陽子衝突でもQGPが生成しているのではないか、ということになったのだと思います。しかし、今回の現象はまずはQGPと切り離して議論するべきものと考えています。実は、今回の観測に関してCMS実験グループ自体は論文でQGPの存在を示唆するような指摘をしているわけではありません。QGPとは、陽子などの内に閉じ込められているクォークやグルーオンが束縛から解放され、局所的に熱平衡状態に達した状態で、ある程度の広がりを持った状態です。そのようなQGPは、ビッグバンの直後、高温の火の玉状であった原始宇宙にも存在したと考えられています。しかし、陽子衝突などのごく小さな反応領域を持つ衝突で、果たしてQGPのように十分な広がりを持った状態を生成することが可能でしょうか?そもそも、重イオン衝突における尾根構造は、QGPの存在と関係づけて説明しようとする人もいますが、QGPの「証拠」として考える人はいません。QGPが存在することをより確かにするためには、例えば対となって生成したジェットの片方が媒質との相互作用で弱められるような現象を見つける必要があります。もし、陽子衝突でそれが確認できたなら、それは本当に驚きで、その時点でQGP生成の可能性を議論することには意味があると思います。ですが、今回見つかった尾根構造は、QGPの生成というよりも、カラーグラス凝縮に起因するフラックスチューブが生成したことによる現象であると考えることが適当でしょう」

- それでは、今回の実験結果が今後のLHCの方向性に与えるインパクトについてはどのようにお考えでしょうか?

「そうですね、まず、RHIC(リック)実験のエネルギー、核子・核子衝突あたりで200GeV(2千億電子ボルト)まででは、カラーグラス凝縮は原子核・原子核衝突事象の生成粒子数分布、断面積のエネルギー依存性といった大域的な性質を理解するのに必要で、重陽子・原子核衝突では衝突軸方向の粒子生成に重要でした。一方、陽子・陽子衝突ではカラーグラス凝縮の効果はないとされていました。しかし、今回の実験が本当にカラーグラス凝縮の存在を示唆するのであれば、LHCエネルギーでは陽子・陽子衝突でもカラーグラス凝縮現象が起こっている事になり、陽子衝突の大域的な性質や様々な物理量の計算にこの効果を取り入れる必要があります。そういう意味で今後の実験データの取り扱いに大きな影響を与える可能性があります。また、LHCでは11月から陽子の代わりに鉛の原子核同士を衝突させて、LHCエネルギーでのQGP生成を試みます。なかでもALICE(A Large Ion Collider Experiment:アリス)実験は、重イオン衝突に最適化された実験ですので、詳細にQGPの性質を調べてくれると思います。実は、鉛のように重い原子核を衝突させた時には、グルーオンの総量が多くなるためにカラーグラス凝縮が非常に良い描像になります。原子核衝突の場合には、やはりカラーフラックス構造が出現しますが、多数のフラックスチューブの複雑な時間発展ののちに、熱平衡状態としてQGPが出現すると考えます。つまり、フラックスチューブの力学の如何によってQGPになるかどうかが変わってくるはずなのです。この部分はまだ全く理解されていない面白くて重要な問題です。こういう点からみても、今回のCMS実験グループの観測した現象を正しく理解する事は非常に重要です」

- ありがとうございました。

注)粒子の散乱角から定義した「疑似ラピディティ」は、粒子の速度から定義される「ラピディティ」と呼ばれる変数の良い近似となっています。質量がゼロの粒子に対しては、両者は一致します。



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