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世界最高性能の中性子回折 2008.7.24 |
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〜 記録を塗りかえた6年間の技術開発 〜 |
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もうすぐ、北京オリンピックの開幕です。8月8日の開会式を目前に、たゆまぬ努力と情熱でメダルを目指す選手たちの姿が、テレビや新聞などさまざまなメディアで紹介されています。世界で一番速く、世界で一番遠く、世界で一番強く・・・その思いを胸に、4年に1度のチャンスに賭ける選手たちのドラマに心奪われるとともに、100分の1秒、1ミリメートルの世界を競い合う熾烈な世界に驚かされます。世界の頂点に立つために先人の記録をほんのわずかに超えることが、いかに困難なことか。塗りかえられる記録を通して私たちが見ているのは、未だ果てなき人間の可能性なのです。 科学の世界も同じです。 6月末、12月からの一部利用開始を目指して現在調整運転を進めている大強度陽子加速器施設J-PARCの超高分解能粉末中性子回折装置SuperHRPD(図1)が、世界最高の分解能を記録しました。これまでの最高記録、英国ラザフォード・アップルトン研究所が持つ同種装置の分解能0.05%を上回る、0.037%の値を達成したのです。 数字で見れば、たった0.01%の違いにすぎません。しかしこの僅差は、実は大きな意味をもっています。 わずかな変化も見逃さない "どこまで見極めることができるか"という測定・識別の能力を表す「分解能」と、人間の"その先を見たい"という「願い」は、右足と左足のように互いを追い越し追いかけながら進歩して来ました。より遠くを見たいという思いが望遠鏡を進歩させ、進歩した望遠鏡を覗きながら更にその外の宇宙を見たいと願う。より極小の世界を見たいと願って顕微鏡の精度を上げ、最先端の顕微鏡の視野を覗きつつ、さらに奥には何があるかと思いを巡らせる。こうして人間は、見る、知ることのできる世界を少しずつ広げてきたのです。 中性子回折装置は、物質の構造を原子レベルで調べることのできる装置です。中性子という粒子を使うので、光で物の細部を「見る」顕微鏡とは仕組みが異なりますが、その性能は顕微鏡と同じく分解能で表されます。 0.037%という数字は、物質の原子と原子の間の距離に対する値です。例えば原子が1Åの間隔で並んでいる結晶の場合、原子の位置の変化を0.00037Å程度のずれまで突き止められることになります(図2)。 大まかなたとえですが、原子がガスタンクの大きさ(直径45m程度)だとして、ガスタンクが積み上がってできている物質を想像してみて下さい。ガスタンクとガスタンクの間は15mほど離れています。加熱したり、磁場をかけることで、物質は膨張したりゆがんだりします。つまり原子と原子の間の距離が微妙に変化するわけです。SuperHRPDを使えば、なんとガスタンク同士の距離の2cmの変化を突き止めることができるのです。現在の電子顕微鏡で見ることのできる大きさは、どんなに高性能でも2Å程度、つまりガスタンク一つ一つをようやく識別できる程度です。電子顕微鏡のように直接”見る”わけではありませんが、中性子回折装置がいかに微細な世界を相手にしているかがわかります。 ちなみに、英国ラザフォード・アップルトン研究所では3cm程度の変化まで突き止めることができたことになります。分解能の0.01%の向上は、概ね原子核一つ分に相当する向上であり、原子の位置の微細な変化をそれだけ細かく見極めることができるようになったということです。温度、磁場、圧力、電場、応力、化学的環境等の変化により、物性や機能が複雑に変化する物質は多く知られています。わずかな条件変化に応じて原子同士の位置関係がどう変化するかを調べることは、物質の原子レベルの物性とその変化を知る重要な手段であり、マクロな物性の解明への第一歩なのです。世界最高レベルの性能が確認されたSuperHRPDには、今後、特に日本が世界を先導してきた磁性体や誘電体の分野での活躍が期待されています。 技術開発の道のり 今回の成果の背景には、研究チームの6年間にわたる技術開発がありました。 KEKと日本原子力研究開発機構の共同運営組織であるJ-PARCには、中性子を用いた最先端の物質構造科学研究を推進することを目的とする物質・生命科学実験施設(MLF)が設置され(図3)、12月からの一部施設稼働に向けて、日々開発が進められています。 SuperHRPDは、MLFの中性子利用ビームラインBL-08に設置された実験装置です。核破砕により発生したパルス状中性子(図4)を高分解能減速材で減速させ、「中性子導管(ガイド管)」と呼ばれるガラス製の管の中に誘導し、約100メートル先の装置に導いて、粉末にした物質に様々な角度から照射します。物質を通過した中性子線の強さを解析することにより、物質中の原子の位置や並びなどを知ることができるのです(図5)。 陽子ビームがパルス状に液体水銀のターゲットに照射されると、水銀の核破砕反応で発生した中性子が四方八方に飛び散ります。方向や速度、タイミングがそろった中性子をたくさん収束させることが、実験の精度を高めることにつながります。また、世界最長の長尺ビームラインは、中性子が走る距離が長いほど中性子の速度を精密に計測できるためのものです。今回の世界最高の分解能は、KEKと原子力機構における高性能パルス中性子源の開発と、100メートルに及ぶ長尺ビームラインで中性子を輸送する技術、そして高性能計測技術等を結集して達成されたものなのです(図6)。 MLFでは今年12月からの中性子利用実験開始を前に、さらなる高解像度達成を目指した開発研究・設計が進められています。現在の0.037%という記録を超える日もきっと間近でしょう。 そうして塗りかえられる記録がほんのわずかな差だとしても、その差によって解明される謎・前進する科学があります。研究者らの手によって超えられ続ける記録を通して私たちが見ているのは、やはり人間の果てなき可能性なのかもしれません。
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