ATLAS日本グループに聞く

 


アトラス日本グループ代表 徳宿克夫 素粒子原子核研究所教授

2012年7月4日にスイス・ジュネーブの欧州合同原子核研究機関(CERN)は公開セミナーを行い、大型ハドロンコライダー(LHC)を使って実験をしているATLAS(アトラス)グループとCMS(シーエムエス)グループは新粒子を発見したと発表しました。そして、両グループは7月31日付けで、論文を投稿しました。それぞれの論文の表題は、「LHCのATLAS測定器による標準理論ヒッグスボソンの探索における新粒子の観測」と「LHCのCMS実験による125GeVの質量を持つ新粒子の観測」です。そこで、アトラス日本グループの代表者の一人である徳宿克夫素粒子原子核研究所教授に聞きました。

「これらの論文は、7月4日のCERNセミナーで暫定的に発表された新粒子に関するもので、その後の解析の進捗状況も含めた正式な発表となります。ATLASの論文には、新粒子が2つのWボソンに変化する現象に関して、新たなデータが加わっています。ここでも信号が見えていますので、新粒子が存在しないのにそれを存在すると間違える確率は、6億分の1以下となりました。新粒子が存在することはほぼ確実といえます。特に、このW粒子への変化の事象が加わったことは、この新粒子がヒッグス粒子と解釈する上でも重要なポイントとなります。ヒッグス粒子は、もともとZ粒子とW粒子に質量を与える仕組みの導入に関係しているので、新粒子がヒッグス粒子であるとの可能性もますます高まりました。」と徳宿氏。7月4日の発表では、2012年のデータに関しては光子に崩壊する場合とZ粒子に崩壊する場合の解析で、あとの崩壊モードは2011年のデータだけからの結果でした。2012年のデータを使ったW粒子への崩壊の解析を加えることで、新粒子の有意度が5シグマから5.9シグマまで上がりました。これが徳宿氏のいう「6億分の1」に対応します。

アトラスの論文から。新粒子がない場合の予想と比べて、アトラスのデータがどれだけずれているかの有意度(縦軸:単位はシグマ)を、新粒子の質量の毎に見たもの。ほとんどの質量領域では±1シグマに入っているが、新粒子の質量が126GeVの場合に5.9シグマに跳ね上がっている。点線は、それぞれの質量でヒッグス粒子があった場合に、ピークの頂上がどのぐらい高くなるかの予想図。観測されたピークの高さは、ヒッグス粒子の場合の予想値とほぼ合っている。

「しかし、この粒子がヒッグス粒子であるかを確定するためには、もっともっとデータを収集する必要があり、現在も24時間体制で実験が進められています。年末までには、この論文で使用されたデータ量の3〜4倍のデータを集める予定です。今後は、新粒子がボトム・クォークや、τ粒子に変化する現象の解析を加えるなど、新粒子がヒッグス粒子としての性質を満たしているかを追求します。また、予想とのずれがないかにも注目し、今の素粒子に対する考えの先にある宇宙の謎に迫っていきます。これから10年以上をかけていろいろな現象を調べていくことが重要と考えています。」


今回発表された論文。原文はこちら。

今回の論文において、日本の果たした役割はどこなのでしょう、との質問には「ヒッグス粒子が2つの光子に変化する現象を解析するグループは100人近い大所帯ですがリーダー役となる「コンビーナ」は東京大学の研究者です。また、2つのWボソンへ変化する現象の解析やτ粒子へ変化する現象の解析でも重要な部分を日本の研究者・学生が担っています。ですが、強調したいのは、ATLAS実験グループの国際共同実験体制の重要性です。どの物理解析グル―プでもいろいろな国の研究者が集まって一緒に解析を進めています。

ヒッグス粒子の探索では、陽子と陽子を約一兆回衝突させて、ようやく1個のヒッグス粒子を観測できるぐらいです。そのように稀な現象を選り分けるためには、高性能なATLAS測定器の建設が必要で、38カ国約3000人の研究者が関係しています。高さ22m、全長44m、重さ7000トンという巨大なATLAS測定器は、各国が責任を分担して調整、運転をしている多くのパーツから成り立っています。測定器のパーツの全ての情報が使われて、初めてヒッグス粒子の探索が可能となります。ATLAS実験の成功は、パーツを分担している全ての国の研究者、学生による協力の賜物であることをまずは知っていただきたいと思います。」


日本の研究者が設計、製作を担当した測定器、TGC(ティージーシー:Thin Gap Chamber、シン・ギャップ・チェンバー)

「日本が今回の解析に果たしている役割は、いろいろとあるのですが、例えば、一兆回の衝突から1個の素粒子反応を選び出すところに大きな貢献をしています。一兆回の衝突反応の全てをデータとして記録するわけにはいかないので、ビーム交差の直後ただちに選択をする必要があります。これを「データにトリガーをかける」と言います。このトリガーをかける測定器の一つ、TGC(ティージーシー)の建設はKEKや日本の大学が責任を負って行いました。必要な素粒子反応と不要なものを瞬時に判断し、選択していく仕組みは、運転中のデータ量の増加や、測定器からの信号を見ながらの調整になります。加速器の性能があがれば衝突回数が増えるので、選択を厳しくする必要があります。一方、ヒッグス粒子の性質を探るためには、選択が厳しすぎれば、見過ごしてしまうことになりかねません。そういったトリガーの調整に責任を持ち、数十人のグループのリーダー役を務めているのはKEKの研究者です。また、データを用いた実際のTGCのトリガーの効率の改善は、神戸大学や名古屋大学などの大学院生が中心になって進めています。」

「LHCの加速器の性能の向上により、1回のビームの交差で20個程度の陽子と陽子の衝突が起きるようになってきています。その多重の衝突で重なってしまった粒子が混ざり合ってしまう効果を補正するには、多くのアイデアを必要とします。日々の加速器の状況の情報を考慮したデータの細かい補正が必要で、これができて初めて新粒子の探索を進めることができます。この一翼を担っている日本の研究者もいます。」

「この多重衝突に限らず、運転に伴う定常的な積み重ねがとても重要なのです。物理結果を出すためには、24時間連続し、安定したデータの収集が重要です。日本が担当したもう一つの検出器シリコン飛跡検出器は、日本の企業と長年開発を進めてきましたが、LHCの放射線環境で性能がどう変化してくかは今後長期にわたって調査していかなくてはなりません。ここでも日本の多くの研究者・大学院生が大きく貢献しています。また、その膨大な電子情報から粒子の軌跡データへと変換する「再構成」という処理をすぐさまおこなうために、世界中のコンピュータが使われます。日本の研究者の中にはこのようなデータ処理の管理の責任を負っている人もいます。測定器の建設や物理の解析だけではなく、実験の様々な局面で日本の研究者が重要な役割を担っていることは、日本グループの強さになっています。」

最後に、徳宿氏にとっての物理学の魅力をお聞きしました。「物理学はこの世がどうやってできているのかを探る学問ですが、これまでに、この学問は何度となく物の見方のレベルアップを行ってきました。簡単な例では、運動法則F=maをあげることができます。これは、物を動かすための加速度(a)は、力(F)と質量(m)だけで決まっていることで、その他の材質とか、どこで行うとか、誰が行うとかには全く関係はない、とニュートンによりスッキリとまとめられた物の見方です。この考え方では質量はその物体の属性であって、どうしてそういう質量であるかは気にしません。今回の新粒子がヒッグス粒子であれば、質量がどうして生まれてくるかを説明できるようになるわけで、さらに深い物の見方ができてきます。LHC実験は今後もダークマターの正体を暴くなど、人類の物の見方のさらなるレベルアップとなる成果をあげていけると思っています。」

関連サイト

アトラス実験
LHCでのエネルギーフロンティア研究
LHC アトラス実験

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