※この記事は、2025年6月25日に発行されたILC Newslineディレクターズ・コーナーの翻訳記事です。
2006年にCERN理事会で初めて採択されて以来、「素粒子物理学将来欧州戦略(ESPP)」は、欧州における素粒子物理学分野の指針となる方向性を示すビジョンとロードマップとして機能してきました。ESPPは科学技術の進歩を反映するために定期的にアップデートされており、これまでに2013年と2020年に改訂が行われました。現在、第3回目となるアップデート(ESPPU2026)が進行中です。
昨年3月には、科学コミュニティからの提言文が提出されました。今年6月に開催される「コミュニティ・シンポジウム」では、素粒子物理学界の現状をレビューし、将来の方向性について議論が行われます。その後、CERN理事会により任命された専門チームが12月に戦略草案を作成し、2026年5月のCERN理事会特別会合で最終的に採択される予定となっています。
この戦略は欧州の取り組みに焦点を当てていますが、素粒子物理学という分野の国際的な性格を踏まえ、常にグローバルな文脈の中で策定されてきました。例えば、2013年のアップデートでは、欧州独自のプロジェクトを推進するだけでなく,米国と日本で行われている長基線ニュートリノ実験に欧州も積極的に参加することが奨励されました。
同様に、欧州戦略では以前から国際リニアコライダー(ILC)への欧州の参加を認めてきましたが、ILCを欧州に建設する可能性については検討されていませんでした。2012年に日本の高エネルギー物理学界が国際プロジェクトとしてのILCを日本に建設することを提案し主導権利を取ったことを受け、2013年にアップデートされた欧州戦略では、「日本からの提案を待って欧州の参加を検討する」という方針が明確に打ち出されました。当時のCERNは欧州における将来の衝突型加速器プロジェクトとして、LHCの高輝度アップグレード(HL-LHC)の実現に注力していました。
2020年のアップデートでも、ILCへの欧州の参加の可能性は引き続き強調されました。その時点では、HL-LHCは既に本格稼働しており、HL-LHCを超える欧州における次の大型衝突型加速器についての議論が始まっていました。このような状況において、ILCのタイミングよい実現が重要視されたのです
それ以降、高エネルギー物理学を取り巻く状況は大きく進化してきました。HL-LHCのアップグレードが最終段階を迎える今、欧州は次のフラッグシッププロジェクトを見定める局面にあります。
CERNのFCC(Future Circular Collider)や中国のCEPC(Circular Electron Positron Collider)のような提案は、ILCと類似した物理学的目標を掲げており、着実に開発が進んでいます。こうした中で、ILCが欧州の将来戦略にどのように位置づけられるべきかは、複雑な問題となっています。
ESPPU2026への提案文書の中で、日本の高エネルギー物理学界は、次期主要プロジェクトとしてのILCについて、「特定のホスト国をあらかじめ定めることなく、国際協力のもとで建設する」という方針のもと、まずは国際的な合意を得ることが必要だと強調しています。
国際開発チーム(IDT)が設置した国際専門家パネルによる議論では、潜在的なパートナー間に誤解があり、国際的な基本合意を得る前にILC計画が進展してしまったことが課題として指摘されました。この段階に立ち戻ることは野心的な試みであり、ESPPU2026のタイムラインが許容する以上の時間を要する可能性があります。それでも、今後の素粒子物理学プロジェクトが一国や一地域だけでは対応できない規模やコストになっている現実を考えると、こうした国際調整の重要性はますます高まっています。
過去数年にわたり、IDTはILC技術ネットワーク(ITN)を通じてILCのエンジニアリング研究を進め、2024年の価格に基づくILCのコスト再評価をも行いました。これらの成果は、現状報告として、3月にESPPU2026に提出しています。
超伝導高周波(SRF)技術に基づくリニアコライダーを次世代の高エネルギー加速器として建設しようとする強い国際的関心は、今も根強く存在しています。このような加速器をCERNに建設するという提案も、ESPPU2026に提出されています。別の提案では、将来的なエネルギーとルミノシティの向上を見据え、現在開発中の先進的な加速技術の導入を視野に入れた、リニアコライダーの物理的可能性に関する長期的なビジョンが示されています。ILCがこれまでに築いてきた広範な基盤は、このような進化的アプローチに対して強固な土台を提供しています。
執筆者:ILC国際推進チーム(IDT)中田達也議長
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