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陽子の崩壊を探し求めて 2007.3.22 |
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〜 カミオカンデの建設とKEK 〜 |
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岐阜県飛騨市神岡町にある池の山の地下1000メートル、神岡鉱山の跡地にカミオカンデが建設されたのは1983年のことでした。今年は超新星爆発で生まれたニュートリノが世界で初めてカミオカンデによって観測されてから20周年になります。東京大学の小柴昌俊特別栄誉教授が2002年のノーベル物理学賞を受賞したことで、ニュートリノの観測装置としてすっかり有名になったカミオカンデですが、その建設にはKEKの研究者も計画の最初から深く関わっていました。「陽子崩壊検出実験」としてスタートしたカミオカンデの建設の様子についてご紹介しましょう。 力(ちから)を統一するには 自然界には重力、電磁気力、強い力、弱い力、の4種類の力があります。以前の記事でもお伝えしましたが、グラショウ、ワインバーグ、サラムらが提唱する電磁気力と弱い力を統一的に理解する理論が1970年代のCERN研究所の実験などで実際に確かめられました。そこで、原子核の陽子や中性子、さらにその内部のクォークを結びつける強い力も同じような考え方で統一できるのではないかという考えが生まれ、「大統一理論(GUT: Grand Unified Theory)」と呼ばれるようになりました。 この大統一理論では、陽子や中性子を構成するクォークと、電子やニュートリノなどのレプトンが相互に入れ替わる反応が予言されます。つまり、陽子や中性子が電子やニュートリノなどに崩壊する現象が見つかるはずですが、もしそんな反応があると、この宇宙から陽子や中性子が、いずれ全て消えてしまうことになります?! 実際の宇宙では陽子も中性子もたくさん存在しますので、もし崩壊反応が起きるとしても、崩壊するまでの陽子の寿命は宇宙の年齢よりもずっと長いのではないかと考えられています。 稀に起こる現象をとらえる もし大統一理論が正しければ、陽子の寿命は10の30乗年(1のあとに0が30個並ぶ)ほどではないか、と、計算で予測されました。当時は宇宙の年齢が150〜200億年(現在は137億年)と考えられていましたので、陽子の寿命は宇宙よりも1兆倍のさらに1億倍も長生きであるはず、ということになります。 宇宙よりも1兆倍のさらに1億倍も長生きの陽子が実際に崩壊するかどうか、なんて、そんな実験ができるのでしょうか? 以前の記事でご紹介したように、素粒子の寿命は確率で決まります。陽子の寿命が10の30乗年ということはつまり、1個の陽子が10の30乗年後に崩壊する確率と、10の30乗個の陽子の中の1個が1年後に崩壊する確率は同じ、ということです。極めて大量の陽子をずっと見張り続けて、その中の1個が崩壊したときに、その信号を検出できればよいことになります。 3000トンの水を見張る 陽子崩壊を検出する実験を行うことの重要性に気づいたKEKの菅原寛孝教授(当時:その後、KEK機構長)は、国内外の研究者に呼びかけ、1979年2月に「統一理論と宇宙のバリオン数」という国際会議をKEKで開催しました。この席上で当時東京大学の小柴昌俊教授が考案した「水チェレンコフ検出器」について、小柴教授のグループにいた渡辺靖志氏が実験提案を行いました。大量の水を光電子増倍管で観測しようとする計画です。 水の分子1個には10個の陽子が含まれています。直径16メートル、高さ16メートルほどの円筒形のタンクに水を満たせば、3000トンほどの重さになり、その中には陽子が10の32乗個ほど含まれます。陽子が崩壊すれば、崩壊した粒子が水の中で出すチェレンコフ光を壁面全体に取り付けた光電子増倍管で観測できるはずです。大統一理論が正しければ、1年に数百回は陽子の崩壊をとらえられることになります。 東京大学とKEKの作業分担 当時、アメリカでも同様の陽子崩壊探索実験が計画されていましたので、実験装置の開発と建設のための予算獲得は急を要していました。小柴教授の提案で、直径50cmという、世界最大の光電子増倍管を開発することが計画の重要なポイントとなりましたが、他にも、宇宙線に含まれるミュー粒子が背景雑音となることをできるだけ避けるために、地中深くに実験装置を設置できる場所を探す必要がありました。 高橋嘉右(たかはしかすけ)KEK名誉教授(当時は教授)と故・須田英博東京大学助教授(当時)らが中心となって岐阜県の神岡茂住鉱業所を視察したのは1980年1月から2月のことでした。 「神岡鉱山では小柴先生がすでに新粒子探索の実験をしていましたので、土被り(山による宇宙線の遮蔽)の条件など、実験装置の設置場所として適していました」と高橋氏は語ります。 50cmの光電子増倍管の検査は広い敷地を必要とするので、KEKの空地で行われました。KEKでは鈴木厚人助手(現KEK機構長)らが陽子崩壊研究に興味を抱き、地道な準備作業を黙々とこなしていきました。 計画が認められるまでの間の装置の開発予算の確保も東京大学とKEKが分担しながら行いました。「東京大学宇宙線研究所の三宅三郎教授を代表とする昭和57年度の科学研究費特定研究領域申請が認められるまで、研究者は大変な苦労を重ねました」と高橋氏は当時を振り返ります。 陽子崩壊からニュートリノの観測へ 関係者の大変な苦労の後、カミオカンデは1983年7月6日に運転を開始しました。2ケ月ほど経ってから、陽子崩壊の特徴に似た現象が観測されましたが、その後はいくら待っても同じような現象が現れず、そのかわり、カミオカンデは太陽からのニュートリノの観測に優れた特徴を持っていることが次第に明らかになってきました。 カミオカンデがニュートリノ観測のための改修作業を終えた直後の1987年2月23日午後4時35分、大マゼラン星雲の中で爆発した超新星SN1987Aからのニュートリノの群れを観測することに成功したのです。小柴教授がノーベル賞を受賞したのはこの超新星ニュートリノの観測によってでした。 その後、カミオカンデで観測された大気ニュートリノの異常は、スーパーカミオカンデによって1998年に「ニュートリノの振動現象」として確認されました。実験を指揮した戸塚洋二KEK前機構長(当時:東大宇宙線研究所所長)は、2007年のアメリカのベンジャミン・フランクリン・メダルを受賞することが先日発表されました。 また、カミオカンデの跡地は以前の記事でもお伝えしたカムランンドとして生まれ変わり、原子炉からのニュートリノの振動現象や、地球内部からのニュートリノを初めてとらえるなどの功績を上げ、当時、東北大学にいた鈴木厚人氏は学士院賞や、ロシアのブルーノ・ポンテコルボ賞などを受賞しています。 「見つけられなかった」という貢献 陽子崩壊現象は、その後のスーパーカミオカンデによるデータからも見つかりませんでした。では、陽子崩壊検出の実験は失敗だったのでしょうか? そんなことはありません。大統一理論では、様々な制約条件から、陽子の寿命が10の30乗年ほどであると予言されます。カミオカンデやスーパーカミオカンデが精密な実験を行ったことで、陽子の寿命は実際にはそれよりももっと(測定できないほど)長いことが判明し、大統一理論の考え方は修正を余儀なくされました。現在、世界中の理論素粒子物理学者が超対称性理論やスーパーストリング理論、余剰次元の理論などの研究を進めているのは、カミオカンデの研究によって大統一理論の考え方に修正が必要であることがわかったことが大きく貢献しているのです。 KEKが世界の頂点を目指す巨大プロジェクトの推進に総力を挙げる中、数名の研究者が熱意を持ってスタートした陽子崩壊実験が、日本のお家芸ともいえるその後のニュートリノ研究に結びついたことは、科学史的に見ても興味深い出来事であったと言うことができるでしょう。
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