ナノ秒でビームを蹴る

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中央部に見える銀色の円筒状の装置が撤去された既存のキッカー。その前にある、赤い電磁石間をわたる銀色の細長いパイプ状のものが新たに開発した高速キッカー。

一流のサッカー選手の場合、蹴ったボールが最大速度である秒速30メートルに達するまで、わずか0.01秒という速さらしい。今回の話題は「高速キッカー」だ。とはいえ、これはテレビ中継でサッカー選手につけられるキャッチフレーズではなくて、加速器の話。そして、その速さは「ナノ秒」レベル。1秒の10億分の1という超高速なのである。

国際リニアコライダー(ILC)は超伝導技術でビームを加速する直線型衝突加速器。加速されるビームは「バンチトレイン」と呼ばれ、その名前のとおり数十億個の粒子のかたまり(バンチ)が列車のように連なっている。ILCでは超伝導技術の特徴を活かして、大量の粒子を一気に加速するため、バンチの数は2600個超。それらが330ナノ秒間隔で連なり、その長さはなんと200~300キロメートルにも及ぶ。加速されたバンチトレインは、衝突頻度を上げるために「ダンピングリング」へと送り込まれる。しかし、200キロを超えるバンチトレインを丸ごと送り込むことのできるダンピングリングを作ろうとすると、単純に考えて、周長200キロという巨大建造物が必要となる。これは技術的にもコスト的にも非現実的。そこでカギとなるのが高速キッカーの技術なのである。

現在想定されているILCのダンピングリングは、周長3~6キロメートル。ここに、バンチとバンチの間隔を3~6ナノ秒まで縮めたバンチトレインを「詰め込む」のだ。ダンピングリングを周回して、粒子が揃ったきれいなビームが、取り出しラインから取り出されるのだが、この時、元の330ナノ秒間隔のビームに戻される。キッカーが高速でなければいけない理由はここにある。330ナノ秒間隔に戻すために、キッカーは、3~6ナノ秒間隔で飛んでいるバンチと次のバンチの間のわずかな時間で起動し、特定の1個を狙って取り出す。そして、バンチを取り出したら、3~6ナノ秒後にやってくる次のバンチに影響を与えないように、素早く立ち下がる。このように、330ナノ秒間隔になるように、オンオフをくり返してバンチを取り出し続けるのである。目にも留まらぬ速さどころか、思考が追いついて行かない速さである。

内藤氏

キッカーは、どの加速器にも使われている装置で、主にビームを「蹴る」ことで角度を変える役割を担っている。「しかし、これまでの技術でILCの要求を満たす速さのキッカーを開発することは困難でした」、と語るのは、高エネルギー加速器研究機構(KEK)の技師、内藤孝氏だ。これまで先端加速器試験装置(ATF)で使われてきたキッカーは「パルスマグネット」という磁石と、「サイラトロン」と呼ばれる大きな真空管スイッチのような電源とで構成されている。しかし、パルスマグネットは、ビームを蹴るのに十分な磁気を帯びるまでに60ナノ秒程度かかってしまい、サイラトロンは素早いスイッチ切り替えが苦手。この組み合わせでは、ILCの厳しい要求を満たすことができない。そこで開発されたのが、「ストリップライン」技術を用いた高速キッカーだ。パルスマグネットの代わりに「ストリップライン」を、電源には「半導体スイッチ」を採用している。ストリップライン自体は新しい技術ではなく、KEKB加速器でも、バンチごとの振動を蹴り戻すフィードバック用に使われている。「これまでに蓄積されたデータから、ストリップラインをつかって3ナノ秒程度の高速での応答が可能という結果はでており、2007年に論文も発表しています。でも、データで証明するのと実証するのとでは話が違いました」と内藤氏は2年間を振り返る。「バンチ振動のフィードバックでは小さな蹴り角しか必要とされません。しかし、ダンピングリングでの入射、取り出しでは大きな角度が必要となり、高電圧をかけなければなりません」。ATFで目指したのが1メートルあたり5ミリメートルの蹴り角だったのだが、実験で得られた数字は3ミリメートル。あと2ミリ足りない。現在2台設置されているストリップラインをもう2台増設すれば問題は解決する。しかしここで問題になったのがATFの物理的スペース。すでに様々な機材などで混み合っており、ストリップラインを増設することができないのだ。「そこで、リングを周回しているビームの軌道をすこしずらすとともに、磁石を使って、蹴ったビームだけを曲げるような設計にしました。条件の決まった中であてはめていくのは非常にたいへんでしたね」。

10月下旬に行われた試験では、5.6ナノ秒間隔のビームを17個連続で取り出すことに成功した。「データ上では2.2ナノ秒まで応答することがわかっており、ILCの要求である3ナノ秒間隔への対応は十分可能です」(内藤氏)。次回の試験は来年3月に予定されている。それまでに、さらに安定した動作技術の開発が進められる予定だ。「デバイスが変わると、これまでの常識が全く変わってしまう。この高速キッカーは、その良い例だと思います」、と内藤氏は語る。