長期滞在のススメ ~フィリップ・バンバデュ氏インタビュー~

アーカイブ
「日本に長期滞在して研究することをお薦めします」と語る、フィリップ・バンバデュ氏。ATF2 のビームラインにて。

大学共同利用機関法人である高エネルギー加速器研究機構(KEK)には、多くの共同利用者が訪れる。放射光施設の「ユーザー」と呼ばれる研究者たちは、それぞれの研究に必要な試料に加速器の作る放射光を当てて、その構造やしくみを明らかにする。大学院生たちは、第一線の研究者とともに実験に参加し、修士論文や博士論文をまとめあげる。KEK の施設を使って実験や研究をするために、日本そして世界各地の大学や研究所から、多くの研究者や学生たちがやってくるのだ。海外からの研究者の中には、短期間の訪問では飽き足らず、日本に長期滞在して実験や研究に勤しむ人たちもいる。フィリップ・バンバデュ氏もその1人だ。バンバデュ氏は、フランス線形加速器 研究所に所属する、加速器・測定器インターフェースの専門家である。

「私の妻も物理学者だったので、ATF※1 での研究の意義や面白さはよく理解してくれました。ですから日本への長期滞在という私の提案に、すぐに同意してくれました」とバンバデュ氏は話す。バンバデュ氏が日本への長期滞在を決めたのは、2008 年春。それまで幾度となくATFを訪問して実験を重ねて来た。「世界有数のビームを使って実験ができることがもちろんATF の一番の魅力です。国際協力で推進されているATFにはいろいろな国から研究 者が来ますが、いつも暖かく家庭的な雰囲気で迎えてくれます。腰を据えて、もっとじっくりと研究に取り組みたかったのです」。こうして夫婦と息子二人、バンバデュ家の日本での暮らしが始まった。息子二人が学校へ通いやすいようにと、フランス人学校のある浅草にマンションを借り、自身はつくばエクスプレスで電車通勤。まさに「日本のお父さん」のようだ。しかし、家族が日本に馴染むのに問題はなかったのだろうか。

「息子たちはあっというまに友達を作りました。フランス人学校と言っても、生徒の多くは日本で生まれ育ったフランス人やフランス人と日本人のハーフ。子どもにフランス語を学ばせたい日本人もたくさんいます。すぐに日本語を話すようになりました」。特に次男のアントワンくん(16 才)は日本滞在をエンジョイしたという。「学校の友達と、深夜バスでのスキー旅行に行ったのです。フランスでは子どもだけで旅行に出すなんて、危険でとても考えられません!」フランス最高峰のパブリックスクールへ推薦入学が決まったアントワンくんは、昨年6月末一足先にフランスへと戻ったが、日本での生活が名残惜しく、入学願書を提出したことを後悔したほどだったという。

一方、妻のアンナさんは、最初の半年ほど辛い日々を送ったという。買い物や乗り物に乗る、近所の人と話すといった、日々の暮らしの「当たり前のこと」がままならない状況がストレスになったのだ。これは海外に暮らしたことのある人誰しもが経験することであろう。ストレスの元は他にもある。なんと「電車が時間通りに来る」ことがストレスになるというのだ。「日本に来て感じるのは、なんでも完璧であろうとする文化です。電車は当たり前のように時間通りに来る。列を作って並ぶ。みんな持ち物や身なりに気を使っているし、女性はきれいに化粧をしている。でもそのような完璧さが、私たちフランス人には機械的に感じられて、まるでロボットのような自由のない世界に思えたのです」。あまり感情を表に出さない、間接的な言い回しをする、といった日本人独特のコミュニケーションの方法にも最初は戸惑いを感じた。「でも、そこに住んでいる人にとってナチュラルな姿であれば、それはマイナス面ではないと思います。単に慣れれば良いだけの話です。今では、家族全員が日本の特色—信頼できる、正直、フレンドシップやパートナーシップを大切にするーに感謝しています。これは、生活の上でも、仕事の上でも同様です」。

バンバデュ氏の滞在期間は、今年8 月で一旦終了する。2 年間住んだ日本への注文は?「実は不満らしき不満は無いのです。強いて言うなら住む場所を見つけることの難しさですね」。賃貸住宅への外国人の受入れ状況は厳 しい。契約書は全て日本語、印鑑も必要だ。「KEK の秘書さんや研究者のサポートがあって、大きな問題にはなりませんでした。外国人研究者には、日本に長期滞在すること、特に学生にはATF での研究に携わることを大いにお薦めします」とバンバデュ氏。ATF での研究に関わっていたフランス人の学生3 名、ポスドク※2 2 名の全員が帰国後すぐに職を見つけたという。そのうちの2 名は欧州合同原子核研究機構(CERN)に就職した。中国からATFに来ていた大学院生たちも、中国高能科学院への就職を決めている。「日本のATF での経験は、彼らの職務経歴書をとても魅力的なものにするという証拠です」。日本文化の理解や職務経歴書のアピールポイント。世界有数の実験の場の提供以外にも、ATF は活躍しているようだ。

※ 1) ATF:先端加速器試験施設。国際リニアコライダー等の次世代加速器で必要となる、非常に高品質なビームの生成・制御技術を研究している。
※ 2) 博士号取得直後に就く、短期の任期付きの職。