先週の2015年ノーベル物理学賞の発表は受賞者である梶田隆章とアーサー・マクドナルドにとってのみならず、スーパー・カミオカンデとサドバリー・ニュートリノ観測所(SNO)共同研究の内外の多くの友人や仲間にとっても大きな満足感をもたらした。当初からオクスフォードがSNOで指導的役割を担っていたこともあり、偏狭ではあるがオクスフォードハットを被った私にとってもこの受賞は大きな喜びである。 受賞は多くの面でニュートリノ物理学における我々の現在の理解の要となる。2002年のレイモンド・デービスと小柴昌俊への(物理学賞の)授与は、太陽ニュートリノの検出とそれらニュートリノが太陽内部の核融合により生み出されたものであるという証明とあわせ、ニュートリノ天文学分野の序章として特筆すべきものとなった。あらゆる最高の発見と同様、この発見は新しい疑問と難問への扉を開けることとなった。ほぼすぐに明らかになったのは、太陽が輝く仕組みについての我々の理解に基づけばどうも太陽ニュートリノの数が足りないようだということであった。この難問への解は長年の間、私のような専門家ではないものにとっては明白であるように感じられた。我々の太陽についての理解は極現条件における宇宙物理学、プラズマ物理学、そして核物理学に関わるものであったが故、オッカムの剃刀の考え方を適用すると、これら分野の1つで計算上の明らかな誤りがあるに違いないということを示唆していた。
検出器を配置した地表下深部で観測されるニュートリノ不足を説明するにはいわゆる標準太陽模型(SSM)が全く間違っているということは先ず以てありそうもないということが最終的に示されたことは、ジョン・バーコールの非凡な才能、努力と執念の偉大なる証左である。ノーベル賞を受賞すべきであったが実際には受賞しなかった人物の悪しき例としてはおそらくジョン・バーコール以外はないであろう―イタリアのニコラ・カビボ(カビボ混合行列に関わる業績)や、英国のジョージ・ロチェスターとクリフォード・バトラー(ストレンジ粒子の発見に関わる業績)を除けば。ノーベル委員会は時折いろいろと自然そのものよりも不可解な振る舞いをみせる。
標準太陽模型に誤りが無ければ、我々はオッカムのウィリアムより寧ろアーサー・コナン・ドイルに頼らざるを得ない。「不可能を消去していけば、最後に残ったものが如何にあり得そうにないことであっても、それが真実に違いない、このことを私[シャーロック・ホームズ]は何度君[ワトソン博士]に言っただろうか。」(『四つの署名』、1890年)。明白なニュートリノ不足を説明し得るそれ以外の可能性は、ニュートリノが別の種類の粒子に『振動し(変わってしまい)』地球への道筋の途中で失われているということに他ならなかった。何がどうやって起こっているのかを見つけ出すレースが始まった。攻略については次の二つの別々の道筋が実験者へのヒントとなった。ニュートリノ不足を正確に計測するためにできるだけ多くの数のニュートリノ相互作用を捉えること。そして、『弾性散乱』と『荷電カレント』の相互作用を検出し(これらは殆どが、実際後者の荷電カレントは電子ニュートリノにのみ感度がある)、三つ全てのタイプのニュートリノに感度のある『中性カレント』の相互作用を同時に検出し得る装置を考案すること。まさにこれらの二つの取り組みを組み合わせたものが、それぞれスーパー・カミオカンデとSNOにおいて、標準太陽模型の正しさを証明し、如何にあり得そうにないことであっても、不可能と考えられたことが実際に起こっているということに疑いの余地はないということを示した。ニュートリノは振動する、そのことは基本的な量子力学の適用によりニュートリノには質量がなければならないという帰結をもたらす。このことは、完全にではないが、私がほぼ思い出せる限りの長きに渡って君臨し、我々物理学者の他のあらゆる挑戦を跳ね返してきた素粒子物理学の標準模型における初めての、そして今のところは唯一の綻びである。この結果だけで、梶田とマクドナルドの指導のもとでの両共同研究の非常に美しい実験作業を考慮に入れずとも、2015年ノーベル物理学賞受賞には十分に正当な理由となる
このことが国際リニアコライダー(ILC)とどの程度関わってくるのか。直接的にはそれほど大きくはない。しかしながら間接的には、ニュートリノ物理学分野ではない我々のようなものにとっては、素粒子物理学の力を改めて更に証明し尊敬の念を与えてくれるものとなる。2000年以降の過去15年間の内5年は素粒子物理学での発見にノーベル賞が与えられたが、それは他のどの分野よりも多い。更には、このことは精密で注意深い実験作業があれば『エネルギーのフロンティア』に行かずとも自然への新しい洞察をもたらすことができるということを想起させてくれる。
ILCの提案の際に、我々は歴史の教訓から学んだ。ちょうどCERNの大型電子・陽電子衝突型加速器(LEP)が量子補正の精密な探索を通じトップクォークの発見に向かう道筋をはっきりと指し示したように、ILCは新しい現象を発見することができよう。実際、状況はLEPの場合よりもずっと期待が持てるものとなっている。というのは、WとZの素粒子(ボソン)は既に理論的にはよく理解された素粒子となっているのに対し、ヒッグス粒子はその発見が2013年のノーベル賞授与ということに結実したものの、その粒子特性は殆ど全くわかっていない。まさにその存在が、我々に知るただ一つの根本的スカラーであり、その唯一の存在理由が場の量子論に深く埋め込まれた必須のものであるということ、それ自体が謎である。新しい加速器を作るにこれ以上の良い理由はこれまで無かったし、 ILCよりも先進的又は技術的に優れた新しいコライダーの提案もこれまで無かった。2015年のノーベル賞受賞者の一人として日本人科学者がノミネートされたことは全体的には日本における基礎科学の地位を強化し、とりわけ素粒子物理学の地位を強化する。日本にとってはILCプロジェクトの次の段階へと進む機がまさに熟している。
いつものように、コナン・ドイルから我々の熱望するものを際立たせる引用を。「長年僕の持論としてきたことですが、小さなことは何よりもきわめて重要なんです。」(『事件の正体』又は翻訳によっては『花婿失踪事件』)、「『材料だ!材料だ!材料だ』ホームズはじれったそうに叫んだ。『粘土がなければ、れんがは作れやしない』」(『ぶな屋敷』)、「資料もないのに理論的な説明をつけようとするのは大きな間違いだよ。人は事実に合う論理的な説明を求めず、理論的な説明に合うように事実のほうを知らず知らず曲げがちになる。」(『ボヘミアの醜聞』)。ILCと大型ハドロン衝突型加速器(LHC)は共に、梶田とマクドナルドに並ぶために必要なデータを提供し、未来のノーベル賞の材料を確実に提供する標準模型を超える世界まで我々を連れて行ってくれることができる。
英文 Brian Foster
[図のキャプション]
サドバリー・ニュートリノ観測所(SNO)の検出器の様子(配線前)
イメージ:アーネスト・オーランド、ローレンス・バークレー国立研究所