ノーベル賞でたどる素粒子の発見物語:4 チャームクォーク

コラム

1974年の11月9日から10日にかけて、米国スタンフォード大学の電子・陽電子の衝突型加速器SPEARを使って実験をしていたバートン・リヒター教授の研究グループが、衝突のエネルギーが3.1GeV(31億電子ボルト)付近で素粒子反応の頻度が増加する現象を捉えました。研究グループは衝突のエネルギーを少しずつ変えて、その頻度の変化を仔細に調べた結果、3.090GeVと3.095GeVの間で衝突頻度が100倍に増え、3.100GeVでは急激に減ることを観測しました。これは約3.095GeVの質量を持つ新粒子を見つけたことを意味します。リヒター教授は記録された素粒子の軌跡の形からこの新粒子にψ(プサイ)という名前をつけました。

同じ頃、ちょうど北アメリカ大陸の反対側にある大西洋に面したニューヨークのブルックヘブン研究所で陽子を他の原子核にぶつけ、電子と陽電子が作られる反応を調べていたマサチューセッツ工科大学のサミュエル・ティン教授の研究グループも、新粒子を発見していました。ティン教授たちは実験で得られた電子と陽電子のペアが、親となる粒子から変化したものだと仮定して親粒子の質量を計算し、それをグラフにしたのです。すると、3.1GeV付近の狭い範囲にピークが記録されました。ティン教授は新粒子ができた証拠とし、その新粒子に自分の名前の漢字「丁」にちなんで、J(ジェイ)粒子と名前をつけました。

これはリヒター教授たちが見つけた、電子と陽電子が衝突して新粒子ができた現象と逆の現象になっていて、陽子がぶつかってできた新粒子が電子と陽電子に変化した現象を捉えたのでした。今では二つの名前を合わせ、その新粒子をJ/ψ(ジェイ・プサイ)粒子と呼んでいます。

このJ/ψ粒子の発見は、のちに「11月革命」と呼ばれます。それは、この新粒子がそれまで知られていたクォーク(アップ、ダウン、ストレンジ)からできているのではなく、新しい4番目のクォークからできていることが判明したからです。

J/ψ粒子は、複合粒子(複数の素粒子から構成される粒子)である陽子の約3倍の質量をもっており、それまでに発見されていた粒子に比べ非常に重たい粒子です。質量の大きな粒子は、他の質量の小さな粒子へと変化(崩壊)します。量子力学では、粒子が崩壊する時間が長ければ長いほど(これを「寿命が長い」といいます)、より正確に質量を定義することができます。J/ψ粒子は、「3.095GeVのあたり」と、比較的正確に質量を求めることができたので、「寿命が長い粒子」だということができます。

一般的に、粒子の質量が大きくなると、崩壊する行き先が増えてどんどんと崩壊するので寿命が短くなります。しかし、J/ψ粒子は「質量が大きく、寿命の長い粒子」。それまでに見つかっていた粒子と異なる性質を持っています。つまり、J/ψ粒子には、崩壊を妨げる何か重大な理由がある、ということです。その理由として考えられたのが、J/ψ粒子がこれまでに知られていない新しいクォークでできていて、そのためにこれまでに知られていたクォークに変化しにくい、ということでした。この考えはとても魅力的で素敵なものだったので、この新しいクォークにチャーム(魅力ある)クォークとの名前がつけられました。

その後、J/ψ粒子はチャームクォークと反チャームクォークでできた中間子であることが確かめられ、チャームクォークと反アップクォークでできた中間子やチャームクォークと反ダウンクォークでできた中間子も見つかりました。そして、そうしたチャーム中間子の性質も「クォークの理論」の予測する性質と一致しました。

こうして加速器を使った実験で新しい素粒子・チャームクォークが見つかり、1976年、リヒター教授とティン教授はJ/ψ粒子の発見によりノーベル物理学賞を受賞しました。