ノーベル賞でたどる素粒子の発見物語:7 ミューオンニュートリノの発見

コラム

現在ではニュートリノと呼ばれる素粒子には3種類があることが知られています。最初に2種類目のニュートリノがあることを確かめたのは、1962年、当時コロンビア大学の教授だったジャック・スタインバーガー博士とメルビン・シュワルツ博士、レオン・レーダーマン博士でした。ニューヨーク近郊にあるブルックヘブン研究所のAGS加速器を用いて行った「2種ニュートリノ実験」とよばれた実験の成果でした。3人はその功績により、1988年にノーベル物理賞を受賞しました。

その実験では、まずAGS加速器により150億電子ボルトに加速された陽子の塊を、ベリリウムの標的に打ち込みます。打ち込まれた陽子は、ベリリウム原子核をバラバラにし、それを構成していた陽子や中性子を飛び出させるだけでなく、パイ中間子も作り出します。パイ中間子は高エネルギーで飛びながらミューオンとニュートリノに崩壊します。このパイ中間子からのニュートリノの性質を調べるために、暑さ10メートルに及ぶ鋼鉄の塊を置いておきました。ベリリウムからできた陽子、中性子、ベリリウムの原子核のかけらや、崩壊しなかったパイ中間子などは、この鋼鉄の壁の中でブロックされてしまいますが、弱い力しか感じないニュートリノだけは、鋼鉄の壁をすり抜けることができます。

こうしてコロンビア大学のチームは初めて高エネルギーで大強度のニュートリノビームを作ることに成功しました。さらに、鋼鉄の壁を超えたところにスパークチェンバー(放電箱)をおきました。反応を起こすニュートリノはまれですが、ごくたまにスパークチェンバーとスパークチェンバー間に挟んだアルミニウムの板と反応したニュートリノが、スパークチェンバーに記録されます。この実験では、8か月でニュートリノが起こした56個の反応が記録されました。

もともとパウリ博士が発見したニュートリノはベータ崩壊により電子または陽電子とともに生じたものでした。このニュートリノからは逆に電子や陽電子がつくられることも知られていました。AGS加速器によるニュートリノビームからはアルミの原子核と反応した時に、ミューオンあるいは反ミューオンが作られるだろうことが分かりますが、電子や陽電子は作られるのでしょうか?ニュートリノが一種類であるならば電子や陽電子が作られるかもしれません。しかしこの実験で記録されたのはミューオンと反ミューオンだけでした。

この実験からミューオンからつくられたニュートリノはベータ崩壊でつくられるニュートリとは種類が異なることがわかりました。