ヘンリー・ケンドール、ジェローム・アイザック・フリードマン、リチャード・エドワード・テイラーの3人は、スタンフォード線型加速器センター(SLAC)で実験を行い、1969年に陽子は内部構造を持たない粒子ではなく、それよりも下の階層をなす点状の粒子から成り立っているという論文を発表しました。この3人はその功績により1990年にノーベル物理学賞を受賞しました。
1960年代に入ると、新型の加速器と粒子測定器により、次々と粒子が発見されました。その数は100種にも達するほどで、これらは電磁気力に比べより強い、「強い力」と呼ばれる力の働きにより生成される粒子たちだったので、ギリシア語の「強い」という言葉にちなんで、「ハドロン」と呼ばれていました。陽子や中性子もハドロンの仲間です。
1964年にマレー・ゲルマン博士はハドロンを、その性質により8と10種のグループに分類できることを発見しました。その分類から、ゲルマン博士とジョージ・ツバイク博士は、ハドロンの背後に3つの基本粒子が存在し、100種におよぶハドロンは全てそれらから構成されているとの理論を、独立に提唱しました。ゲルマン博士はその3つの基本粒子を「クォーク」と呼び、ツバイク博士は「エース」と呼びましたが、「クォーク」という呼び名が残りました。
当初はゲルマン博士自体も、「クォーク」はあくまで数学的な仮説であり、実在ではないと考えていたようです。それは、クォークの電荷は、陽子の電荷を1とすると、2/3や−1/3という電荷を持つことになり、そのような粒子は発見されない、ということがありました。
そこで、電子を陽子ぶつけその散乱の様子を見ることで、陽子の中身を探る実験が行われたのです。そのためには電子に高いエネルギーを与える必要がありました。しかし、電子の質量は陽子の2000分の1と小さく、円軌道の加速器では電子はエネルギーを光として放出してしまうため、その放出分のエネルギーを常に供給しつつ、エネルギーを高める必要がありました。
SLACでは電子にエネルギーを効率的に与えるために、3キロメートにわたって電子を直線的に加速し、20ギガ電子ボルまで加速する加速器が建設されました。その加速器を使ってケンドール博士たちが、電子を陽子に衝突させたのです。その結果、陽子の中には電子を散乱させる複数の芯が存在することがわかりました。カリフォルニア工科大学にいたリチャード・ファインマン博士は、この実験結果は陽子が小さい部分から成り立っていることを意味すると解釈し、その陽子の中身を「パートン(部分子)」と名付けました。
こうして陽子は点状の粒子からなっていることが実験的に証明されました。では、パートンはクォークだったのでしょうか。その後の実験で、パートンとは、ゲルマンの提唱したクォークと、陽子の中でクォークとクォークを強い力で結びつける素粒子・グルーオンであったことが今ではわかっています。