第1 回ビームダイナミクスと加速器技術に関する国際スクール (ISBA18) 開催される(栗木雅夫 広島大学教授)

コラム

ISBA18の参加者の集合写真

概要
2018年11月26日から30日の五日間にわたり, 第1回ビームダイナミクスと加速器技術に関する国際スクール(The 1st International School on Beam dynamicsand Accelerator technology:ISBA18) が, 広島県東広島市の広島国際プラザで開催された。本スクールはアジア地区を中心とした学生, 若手研究者に加速器の基礎となるダイナミクスと各技術を学ぶ機会を与え, 本格的な加速器研究への入り口となることを目指したものである。ISBA18について報告するとともに, 長年の課題である加速器研究者の人材育成について考える.

 

1 はじめに

日本学術会議の国際リニアコライダー(ILC)についての委員会が、2018年12月19日に最終答申を取りまとめた。その答申の概要は、ILC について素粒子物理学上の高い意義を認めた上で、計画の実現の上で多くの課題を残しているというものであった。その中では、国際的な組織や予算などの枠組みに加えて、加速器建設に必要な人材、とくにその核となる加速器研究者の不足が指摘された。ILC 建設期に必要な人材はそのピークにおいて1000人余りと試算されているが、この人数はいわゆるコントラクターを含んだ値であり、必要な加速器研究者の数はその1/5 から1/10 程度であろう。加速器研究者の所属する学協会である日本加速器学会の会員はおよそ800人であるから、それを日本における加速器研究者の数とすると、ILC で必要な研究者の数は日本の加速器研究者の1020%となる. 膨大ではないが, かなりの人数ということだ. 実際には、外国から相当数の研究者が加わるにしても、多くの研究者が取り組む必要がある。ILC をはじめとする大型計画以外にも、加速器利用はその分野を広げているから、加速器研究者の需要は徐々に増加していくものと思われる。加速器研究者を継続的に養成していく必要性がここにある.

 

現代における研究者の人材育成の核となるべき存在は大学および大学院である。大学において基礎的な学問についての素養を身につけ、大学院において具体的な研究に取り組み、博士の学位を取得する、というのが一般的であろう。実は博士の学位の位置付けというのは、時代、地域、学問分野において大きく異なる。ある学問分野では、博士号はその分野における権威であるが、他の分野では「運転免許」のようなものである。加速器の分野においては、多くの物理工学系の分野と同様に、博士号は「運転免許」である。運転してもいいが、必ずしも運転のプロ、という訳ではないということだ。

 

ところで、高エネルギー物理学や物性物理学などでは、各大学にその分野の研究室が存在しており、そこでの学位取得者が研究者としての道を歩むというのが一般的である。すなわち、大学院での学位取得の課程が研究者としての人材育成コースとなっている. しかし、加速器を系統的に学ぶ大学の研究室というのは非常に限られていて、加速器研究者の数は慢性的に不足状態にある。そのため、多分野の出身者、すなわち学位を加速器研究以外のテーマで取得したものが加速器研究者となる、というのが一般的である。筆者も博士論文は高エネルギー物理で取得したので、この範疇に分類される。このような人材育成のあり方は、加速器研究の歴史と深い関係にある。

 

日本の加速器研究は理研の仁科芳雄や台湾帝国大学の荒勝文策など戦前まで遡ることができる。これらの研究室は原子核物理をテーマとしており、加速器開発は原子核物理研究の一環として取り組まれたものである。しかし加速器が大型化し、一研究室の枠を超えるに従い、原子核物理学者が加速器開発も行うというスタイルに変化が生じる。すなわち、加速器の研究開発を専門とする研究者集団が発生するのである。その発生次期について諸説あるようだが、おそらく1960年代から1970年代あたりであろう。日本で言えば、東京大学原子核物理研究所(核研)の電子シンクロトロン、あるいは高エネルギー物理学研究所(当時)の陽子シンクロトロンの建設期あたりであろう。その後,日本の加速器のレベルは急速に発展し, 1986年には電子陽電子コライダーのエネルギーフロンティアであるトリスタンが稼働を開始し, 文字通り世界の最先端に立ったのである.

 

このように急速に発展した日本の加速器研究であるが、人材育成という観点からみると、原子核物理あるいは高エネルギー物理の研究室が担うという, 黎明期の状態が続いてると言える. 本来なら, 原子核物理研究室がになっていた分野から新たな分野が派生したわけであるから, 原子核物理の研究室のうちのいくつかは、加速器研究に取り組むものに変わってもいいものであるが、そのような例は多くない。加速器研究者の人材教育は典型的なOJT (On the Job Training) である。OJT とは現場で仕事を行いながら教育訓練を行うという方法である。OJTは徒弟制度としばしば混同され「現場での叩き上げ」と同一視されるが, 両者は似ているようで大きく異る. 徒弟制度は師匠(熟練者)と弟子(未熟者)という非対称性の大きな人間関係を基盤としており, その育成プロセスは, 人格形成(たとえば仕事に対する心構え)のための業務と無関係な雑用から始まり,補助的業務を経て, 最終的に技能を受け継ぐという長いプロセスを経る. OJT は一般的な教育は修了している者に対する職業訓練の方法である. 加速器の例で言えば, 学位は原子核・高エネルギー物理で取得した者を採用し, 加速器研究に取り組ませる中で教育訓練を行うのである. OJT は一般企業でも導入されている概念で, 人材教育の重要な要素であり, それを全く否定するものではない. 一方で, 大学院レベルで加速器の専門教育を受けられるコースがほとんど存在せず, 体系的な教育が行われていないという点は, 学問分野としては問題が大きい. なぜなら、学問分野の発展には, 学問体系の成熟, 行き詰まり, 原点への回帰, 他分野との相互作用, などの様々なプロセスが必要であり, 目の前の課題に取り組むとともに, 長期的な視点による研究活動というのが必要だからである. OJT の場合, 確立されたスキルを短時間で習得することには適しているが, 上で挙げたような学問分野そのもののダイナミクスには対応できない.

 

ちなみに, このような事情は海外では一般的ではない. 加速器の発展を牽引してきた欧米はもとより, 近年では中国やインドなどにおいて, 大学院レベルで加速器の教育を積極的に進めている. 今回のスクールにおいては, アジア地域から学生を募集したが, 中国とインドからの応募者が傑出して多く, 予定人員の数倍にもなった. 一方で, 日本からの参加者は限定的で,数回にわたり呼びかけを行ったが予定数を大きく下回ってしまい, 最終的にはその枠を海外からの参加者に回すこととなった. 加速器の人材育成の体制という意味では, 日本は中国やインドに大きく引き離されているのが実情である.

 

2 ISBA18

以上のような問題意識のもとに, 第1回ビームダイナミクスと加速器技術に関する国際スクール(The International School on Beam dynamics and Accelerator technology, ISBA18)は「大学加速器連携ネットワークによる人材育成等プログラム」(高エネルギー加速器研究機構:KEK)の事業として実施された. 本プログラムの趣旨には「日本が加速器科学における国際競争力を維持し続けるためには, 高い専門性と広い視野並びに国際的通用性を持つ若手研究者を育成することが急務であり, KEKは加速器科学分野のCOE として, 当該分野の発展と人材育成に主導的役割を果たす」と記されており, 人材育成が加速器科学の維持・発展に必要不可欠であるとここでも強調されている. ISBA18 は高エネルギー加速器研究機構および日本加速器学会の協賛を得て, 広島大学の主催で開催された.狙いとしては, 加速器を構成する重要な要素であるビームダイナミクス(しばしば縦糸と表現される)と, 各要素技術(しばしば横糸と表現される)の基礎的な部分を講義の主眼として, 国際的な環境のもとで集中して学ぶ機会を学生に提供することにより, 加速器研究を開始するきっかけとなることを意図している. 多くのスクールがそうであるように, 知識やスキルの習得とともに, 人的なネットワークの形成も重要な目的の一つである. 若手にとって海外や国際的な環境で講義などを受ける機会はそう多くはないそのような環境で新しい知識を得て, 新しい友人や講師などと知り合うことは, 多くの学生にとって将来の進路に影響すると期待される. また, 大学の教員としては, やる気満々の海外の大学院生に刺激を受けて, 日本の大学院生が少しでも将来の進路について野心的に考えるきっかけになるかもしれない,という思惑もある.

 

当初の予定としては, 海外からの参加者として, 中国, 韓国, 台湾, インドから各4 名の学生,各1 名の講師, 広島大学を除く日本国内から16名の学生, 広島大学から16名の学生, そして国内から5~6 名の講師を予定していたが, 予算的制限から日本国内から12名の学生, 広島大学から12名の学生として公募を7月から開始した. 会期は当初4日間としていたが, 少しでも内容を充実させようと5日間として実施した. 図1 に配布したスクールのポスターを示す. 背景には広島県を象徴する宮島の大鳥居を配して, そこに原爆ドーム, 西条の酒蔵群の写真を加えた. 伝統文化, 平和, そして産業は社会を構成する重要な要素であり, 科学研究もそれらを基盤として成立するものである, という寓意を込めたつもりである.

図1: ISBA18 のポスター. 宮島の大鳥居を背景に, 原爆ドームと西条の酒蔵を配した.

 

図2 に参加学生のパイチャートを示す. 地域の表示は住所によるものである. 当初の予定では日本からの参加者を24名を見込んでいたが,学生の応募は低調で, 結果として14名となった. それでもかなりやる気に満ちた, 加速器プロパー以外の多くの学生が集まったのは救いであった. それに続いて中国からの参加者は10名を占める. 当初の予定は4名であったが, 中国側からの予算の追加と日本枠からこちらに回して, 全体で10名とした. このように中国からの参加者を増やしたのは, 30 名近い大量の応募者があったためである. 中国は加速器科学にかなり政策的に取り組んでいるのは周知のことかと思うが, それに連動する形で各地の研究所, 大学で加速器研究者の養成に組織的に取り組んでいる. IHEP (Institute of High Energy Physics) やIMP(Institute of Modern Physics)などの大型の加速器を抱える研究所は, 学年あたり数十名から数百名の規模で加速器専攻の大学院生の教育に取り組んでいる. また各地の有力大学でも加速器を学ぶ講座が設定されている. 何事も現場合わせで, 組織的あるいは戦略的取り組み不在の日本社会との差をまざまざと見せつけられた気分である. それに続いてインドから5名, 韓国と台湾は4名, ロシアから2名であった. インド, 韓国, 台湾には枠として当初4 名を割り当てていたが, J-PARCに学生として滞在していたインド人から参加申し込みがあり, ビザ延長が可能となったことから, 予算的には日本からの参加と同じということで, 採択することとなった. ロシアからの2名もKEKに滞在していた学生であり, 同様の措置により採択された.

図2: 参加学生のパイチャート. 日本からの参加者は14名で最大であった. 中国の10名がこれに続き, インド5名, 韓国と台湾4名, ロシア2名であった. 地域は永住先の住所による.

 

会場となったのは, 広島県東広島市の広島国際プラザ(Hiroshima International Plaza,HIP)である. 国際協力事業団(JICA) と広島県国際センターが共同で運営する施設であり,国際交流事業などで来日する外国人や行事に参加する日本人のための宿泊施設である. 「国際人材の養成を目的とする研修の場合」(HIPのホームページより)宿泊料金は一泊朝食付きで3841円で, 国籍を問わずこの割引料金が適用される. 併設されたレストランで昼食と夕食もとることができ, 料金も1000円弱と手頃なため, 実質的に一泊三食付きで6000円である. また, 講義室なども1 時間あたり1000円弱で使用できる. 本スクールでは講義室となった大研修室とともに, スクール事務局として小規模の研修室も使用した. 一般ホテルなどを会場としてスクールを運営する場合に比べて,かなり予算を節減できた. 当初の予算案では,50万円から100万円程度の赤字となることを覚悟していたが, 均衡収支となった。HIP の外観を図3に示す.

 

図3: 広島国際プラザ(HIP) の外観. 広島国際プラザは東広島のサイエンスパークの一角の高台にある. JICA と広島県が共同で運営している施設で, 各種研修施設, 宿泊施設, 運動施設, などを備えている.

 

本スクールには, 組織委員長として広島大学の栗木雅夫, KEK側のパートナーとしてAlexander Arishev 氏(KEK), さらに各国, 地域のパートナーとしてGao, Jie 氏(IHEP,China), Abhay Deshpande 氏(SAMEER, In-dia), Yujong Kim 氏(KAERI, Korea), そしてHwang, Ching-Shian 氏(NSRRC, Taiwan) という体制で臨んだ. 私自身, このようなスクールに講師としての参加は数多いが, 運営側, それも委員長として取り組むのは全くの初めての経験であった. また, 採択が6 月半ばで, ビザの発行, 学生の公募と採択など逆算すると, スクールの準備を実質的に1ヶ月程度で行わなければならず, きちんとした組織委員会をつくり, スクールの概要, カリキュラム, 講師の選定, などを行うことができずに終わった. 結果としては, カリキュラムは私の独断でほぼ決定し, 個人的知り合いに講師, あるいは講師の紹介を依頼して, スクールの概要を決定した. 来年からは, 組織委員会を形成し, きちんとした議論に基づいた運営を行うべきである.

 

このような急ごしらえの実施体制でもなんとか運営ができたのは, 優秀な事務局を形成できたからである. 事務局の実働は5 名で, KEKの国際協力課からハイス由乃氏, KEK の加速器から石川銀, 岡美智代, 草間仁美の各氏, そして広島大学先端研から土居寿美江氏である.ハイス氏には主に旅費の手続きを, 石川, 岡, 草間の各氏にはビザの手続き, 休憩時の飲料やスナック, 懇親会や遠足の手配, HIP との折衝, 現地事務局業務, そして土居氏には, 広島大学側との連絡, ノベルティグッズの提供, などを担当してもらった. 各自が各々の仕事を自覚し,全体として組織的にしていたと思う. おかげで, 委員長は実務をほとんど行わず, なんらかの判断が必要な事態が発生するたびに, 交通整理に専念することができ, 学生側にも無駄な不快感を与えずにすんだのではないかと思う.

 

3 カリキュラム

表にカリキュラムを示す. 講義は4 日間に渡って行われ, 全体で16 コマの講義が提供された. カリキュラムは単線の構造である. 加速器科学の全体像(栗木), 加速器の歴史(横谷), ビーム力学や素課程の基礎(岡本, 田中,L. Sukhikh), 個々の加速器の動作原理(A.Deshpande, J. Gao, 横谷), 要素技術(栗木,Y. Kim, J. Gao, A. Arishev, J. Chen), 加速器の応用(本田, L. Sukhikh)という内容であった. 入り口として加速器科学の全体像を示し,その構成要素であるビーム力学や各種の要素技術, そして加速器の動作原理を説明し, 応用としての幾つかの興味有る例を挙げるという構成を意図した. ビームダイナミクスや要素技術という基礎的な部分と, コライダー, FEL/シンクロトロン放射光, レーザーコンプトン光源,医療加速器などの加速器利用のハイライトを両方示すことで, 基礎と応用という両面から興味を喚起することを意図している. 講師はひとつ, あるいは二つの講義を担当した. 個々の講義の詳細な内容については, ISBA18のウェブページから資料が入手可能であるので, そちらを参照していただきたい.

 

カリキュラムについては, スクール期間中,あるいはスクール後に学生から幾つかの意見をもらっている. 簡単すぎる, あるいは難しすぎる, という意見はバックグラウンドも習熟度も異るスペクトラムの広い学生を対象とするこのようなスクールでは当然予想された意見である. 一方で, 入門コース, 上級者コースなどの複数コースの設置, ソフトウエアや技術などの何らかの実習などを希望するもの, などより具体的な提案もあった. これらについてはこちらの実施体制, 実習においては資金など問題もあり実現は簡単ではないが, 貴重な意見としておおいに検討に値するものと考えている.

講義とは別に, 学生に自らの研究活動や興味ある課題について発表する機会を学生セッションとして設けた. 学生セッションではひとりあた15分程度として, 夕食後や昼休みの一部の時間にセッションを行った. 学生からは学生セッションを設けるよりも, 講義の予習や復習に時間を使いたいので不要, という意見ももらったが学生同士が研究について話すきっかけにはなったのではないだろうか.

表1: ISBA18 のカリキュラム. 1 日あたり4つ, 全体で16の講義が行われた. 加速器科学の全体像, 加速器の歴史, 個々の加速器の動作原理, ビーム力学, RF や加速管などの重要コンポーネントについて基礎的部分を重点的に網羅するように意図した.

4 Social Events

ISBA18 ではSocial events として, バンケットおよび遠足を行った. バンケットは27 日の火曜日の夕食として, 併設されているレストランでおこなった. 予算も限られているため, 山海の珍味, 地元広島のご馳走が山盛り, という訳には行かないが, 事務局の努力により必要充分な食物と飲み物が提供され, 大いに話に花が咲いた既に述べたように, このようなスクールにおける目的の半分程度は人的なネットワークの形成にある. 学生達は他の国の学生達や講師達と話すことで, おおいにその目的を達成することができたのでは無いだろうか. 沢山咲いている話の輪の中で, 写真を取り合う姿を沢山みることが出来た. 図4 は乾杯の様子, 図5は歓談する参加者である. 因みに乾杯は中国語でも乾杯(ganbei) であるが, 中国の乾杯は文字通り杯を乾すことで、飲み干さなければならない. 同様の習慣はロシアでもみられる. 中国での乾杯は白酒などのハードリカーで行われる. ロシアでは無論ウォトカを用いる. ウォトカはロシア語で水という意味で、なぜウォトカが水なのかは理解に苦しむところであるが,命の水とういところか. ハードリカーは英語でスピリッツと呼ばれるように, 醸造酒とは異り, 特別の霊的な力が備わっていると考えている節があり, 乾杯には特別の出会いを祝すという意味があるだろう. 日本における霊的な飲料は日本酒であるから, 乾杯も本来なら日本酒で行うのが正しそうである. そういえば, 中国やロシアで乾杯に使用する器はコップではなく,かなり小さめのガラスの器であるが、その容量は日本の盃に近そうだ.

 

図4: 懇親会での乾杯の様子.                                                   図5: 懇親会で歓談する参加者.

 

ISBA18 の企画ではないが, HIP の催しとして三日目の水曜日の19時30分からひょっとこ踊りの鑑賞会があった. ひょっとこ踊りとは, ご存知のひょっとこのお話を題材とした踊りで,宮崎県で盛んな芸能らしい. ひょっとこのお話に登場するお稲荷様の使いである狐, 村で評判の美人のおかめちゃん, 炊事の神様であるひょっとこ, その他大勢の村人達が登場して, ひたすら単調な踊りを繰り返すというものである. 筆舌に尽くし難いとはこのことで, 私の貧弱な表現力にはあまりある面白さで, ISBA18 の参加者を含めHIP に滞在している日本人, 外国人に大受けであった. 最初は尻込みしていた参加者もひょっとこ連に促され, 最後は総踊りであったらしい. らしいというのは, 前述の学生セッションのため, イベントの後半は講義室に戻る必要があったためだ. 図6 はひょっとこの総踊りの様子である.

図6: ひょっとこ総踊りの様子. ISBA18 のスタッフによると, あまりに笑いすぎて, これを毎日見ていたら腹筋がシックスパックになるだろうとのことであった.

 

ISBA18 最終日の金曜日には, 広島市平和記念公園および廿日市市宮島への遠足が企画された. 8時30分にバスでHIP を出発した一行は, 9時40分過ぎに平和公園に到着した. 平和公園では平和記念資料館の見学, そして平和ボランティアガイドによる平和記念講演のガイドツアーを行った. 資料館は現在改修工事中で,展示スペースは限られているが, 広島への原爆の投下, 戦後の冷戦期, そして冷戦後も遅々として進まない核兵器廃絶, などの経緯が説明されている. そして遺品の数々が展示され, それがどのような人物の遺品で, どのような人生があり, そしてその日に終わったのかが淡々と説明されている.

図7: 原爆ドーム前での記念撮影. 原爆ドームは「嫌な記憶を想起させる」として取り壊される計画まであったが, 関係者の努力により保存され, 現在はユネスコにより世界遺産として登録されている.

 

平和記念公園では毎年の原爆忌(8月6日)に開催される平和記念式典が行われる慰霊碑と原爆ドームが有名なモニュメントである. 図7は原爆ドーム前での記念撮影である. 原爆ドームは「嫌な記憶を想起させる」として取り壊される計画まであったが, 関係者の努力により保存され, 現在はユネスコにより世界遺産として登録されている. 私事で恐縮だが, 私の母の家族は戦時中広島市に在住しており, いわゆる入市被爆者である. 太田川放水路の対岸にあたり, 爆心地から距離が3.5km あったこと, 神社のある小さい丘の裏手に家があったことで,直接の被害を免れたに過ぎない. 皮膚が垂れ下がった被爆者で近所は溢れかえっていたこと,薬もないので胡麻油を塗ってむしろに寝かせていたこと, その被爆者達が次々死んでいったことなどを聞いたものである. そんな母や祖父母も鬼籍の人となっている. 叔父はいまでも胡麻油を食べない. 犠牲者にとって最大の供養は忘却しないということである. 平和記念公園は人類にとって大事件である原子爆弾の使用という記憶を忘れないためにある. 科学という営みは近代という時代無くしては存在し得ないものであるが, 近代の特徴の一つがエネルギーの開放であり, その特質として必然的に暴力性を備えてしまう. その近代という時代の持つ暴力性をもっとも極端な形であらわしているのが原子爆弾であろう. レフトルストイは, アンナカレーニナを鉄道自殺させることにより, 近代という時代の中で, 隷従的な結婚から逃れるために苦悶する女性と, 近代という新しい時代の暴力性をを表現した. トルストイが生きていたならば原爆をどう描くのであろうか. ちなみに, 鉄道反対運動というのは近代における典型的な住民運動である. 日本各地では, とくに養蚕が盛んな地域において絹の質への影響を心配して鉄道敷設への反対運動が起きている. 福島県の阿武隈川の流域もそのような反対運動がおきた地域の一つである。東北本線は本来、福島から阿武隈川に沿って伊達、丸森、角田などを通り仙台に至る経路を予定していたが, 強い反対運動のため, 国見峠を越えて白石, 大河原を経る経路へと変更された. おかげで, この地点はきつい勾配のために長らく輸送力のボトルネックとなった. 丸森角田経由の路線はいろいろな紆余曲折を経て、第三セクター阿武隈急行線として運営されている. 話が東北本線から阿武隈急行線にそれたが、槻木駅から東北本線に戻ろう. 未来は常に過去の蓄積の上に築かれ, 新しい地平を開くものである. 平和記念公園を訪れたことは, 科学という営みの根本について思いを巡らせ, さらに科学を含む全ての社会の営みの基盤としての平和の尊さを認識することになったのではないだろうか.

 

昼食を挟み, 遠足の後半では宮島を訪れた宮島は厳島神社という, やはりユネスコの世界遺産に認定された神社があり, 観光地としても有名な場所である. 大学者である林羅山の三男である林鵞峰により, 松島, 天橋立とならび日本三景と称される. 入江の海上に社殿が築かれ,大鳥居はその入り口となる海中に置かれている. 図8 は大鳥居を背景にした集合写真. 干潮時には大鳥居周辺まで干潟となり, 歩いていくことができる. 平清盛の庇護により現在のような壮大な規模の社屋を備えるようになったと言われる. もともとは島自体が禁足地とされていて, いつしか禁が破られて人が住むようになっているが、現在でも墓所が存在しないことで知られる. 宮島とは神社のある島という俗称であり、元々は厳島というのが島の名称である。現在は祭神を三柱祀っているが, 第一の祭神は市杵島姫命であり, 水神として知られる. アマテラスとスサノオの高天原での誓約のさい, アマテラスがスサノオが持つ十拳剣を噛み砕き,吹き出した息から生まれたとされる. のち、神仏習合の後は、弁財天の本地垂迹したものとされている. 厳島神社は現在でも日本三大弁天とされる. 隣りにある江田島には明治維新後に海軍兵学校が設けられ, 宮島は神聖なる島として信仰を集めたという記述がある. それと関係あるのか無いのか, 江田島にある少年自然の家では, 研修のプログラムとしてカッター(大型の手漕ぎボート)により江田島から宮島への航海訓練が行われている. およそ一日をかけての往復である. 私も広島大学の新入生研修の一環として, 短時間のカッター訓練に参加したことがある. いつかは, 宮島まで行ってみたいものである.

図8: 大鳥居の前での集合写真. 画面の背景左側は厳島, 右側は本州である.

 

5 これからの課題

以上のように, ISBA18 は加速器科学における入り口としての役割を意図して行われた. 日本人の参加者は残念ながら予定数を下回ってしまったが, それでも日本を含むアジアから39 名の学生の参加を得て成功裏に終わることができた. 時間も限られていたことから, プログラムの検討も十分に議論をつくして決定したとは言えないが, 参加学生には概ね好評であった.

今回のスクールの教訓として一つ言えることは, 今後のより効果的なスクールの実施について, 対象とする学生についての分析を, きちんと行うべきである, ということである. 今回の経験から, おそらく学生は二つ, あるいは三つ程度に分類できると思う.

一つ目のグループは, 高エネルギー物理, 原子核物理, 放射光物理などの加速器を利用した研究分野の大学院生, あるいは若手の研究者である. このグループをグループRと呼ぼう. グループRの学生は, 周辺分野とは言え加速器そのものを対象とした研究に取り組んでいる訳ではない. 一方で, 隣接する分野のスクールに参加を希望しているせいか, 知的好奇心が極めて強いように見受けられた. 一部の学生は, 加速器にかなり近い内容を研究テーマとしていたのかもしれない. その分野の人数を考えれば割合としてはそう多くは無いが, 応募してくる学生は好奇心が強く, 学習意欲も高いので, 将来有望な人材と成り得るだろう. 来年度に開催する際には, 周辺分野への呼びかけをより強めるべきである.

残るグループは, すでに加速器を研究対象として取り組んでいる大学院生, 若手研究者である. このグループが人数として多くを占めていた. このグループは非常に意欲的な者とそうでないものがおり, 2 つのグループとして取り扱うべきである. 仮にグループA1, グループA2と呼ぼう.

グループA1 の学生は, 加速器に興味があり,加速器研究を行っている者達であり, 将来の加速器科学の中核となるべき者達である. 加速器科学へ取り組む人材を増やすという意味では,すでに取り組んでいるのであるから, 直接の対象ではないとも言えるが, グループA2 の学生達にとってのロールモデル(憧れの存在)として応援する必要がある. また将来的には講師候補と成り得る素質を持っており, そのような観点からの養成も重要である. グループA1 の学生にとっては, 知識やスキルの習得も含めたキャリアアップが重要であるから, そのような要望に応えるように講義に上級者コースを設け, そして研究者としての講師達と人的な繋がりを持つ場として利用してもらうのがいいだろう. そしてグループA2 の学生達のロールモデルとしての役割を発揮してもらうため, チューターや, 学習グループのリーダーとしての役割を担ってもらうのがいいだろう.

グループA2 の学生は, 加速器研究に取り組み始めているがまだのめり込んでいない者達である. 全体的な傾向として, 日本人にこのグループが多いように感じられたのは筆者には残念であったが, 修士まで加速器研究に取り組み, その面白さを理解しないまま加速器とは関係の無い一般企業に就職してしまう学生が多い現状があり, またそのような学生への働き掛けの一つとしてISBA18 を企画したのであるから, 予想通りとも言える. 現状ではまだ博士課程への潜在的な進学希望者の掘り起こしに効果があるのかは不明であるが, 今後学生への聞き取りなどを行い, 分析をすすめ, より効果的なスクールの形態などについて考察を進めたい. 上述したグループA1 およびグループRの学生達と何らかの共同作業を行うような形をとり, このグループA2 の学生達をグループA1 に引き上げることを目指すべきである. これらのイメージを図示すると図9 の様になるだろう.

図9: ISBA における研究者育成の概念図. グループA1およびグループA2の働き掛けによってグループA2 の向上, グループA1 化を図る.講師の役割はほぼグループA1 と同一視できる. グループRに対してはグループA2 に対する働き掛けと同時に, グループA1 や講師陣との交流により加速器業界へ誘引する.

 

将来的に, 本スクールが大学院生や若手研究者が本格的な加速器研究に取り組むきっかけと成り得るかどうかは, 今後の運営にかかっていると言える今回の教訓を生かして, 今後のより良いスクールの実現に向けてカリキュラムの内容, ロケーションやスクール全体のプログラムの魅力, そして周知の方法の検討などが必要であろう.

最後に「大学加速器連携ネットワークによる人材育成等プログラム」の実現に努力された方々に感謝を申し上げる. 本事業は適切な課題に対して適切に対応するための枠組みとして非常に有益である. 来年度以降も継続を期待する. 今回, スクールの実施にあたり, 関係各方面の協力を頂いた. KEKの山口誠哉加速器施設長, 道園真一郎主幹には, ISBA への人的・予算的支援に協力いただいた. 同国際企画課からは人的貢献により協力頂いた. 高エネルギー加速器科学奨励会からは若手育成のための予算的支援をいただいた. 広島大学からは人的および物資の提供による協力をいただいた. また, 講師の皆様には謝金を支給せずに無償で講義をしていただいた.来年度やるとしたら, 少しばかりは謝金を出したいものである. そして全ての協力して頂いた方々に感謝する.

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