*この記事は2025年12月18日に発行されたILC Newsline特集記事の翻訳記事です。
最近公表された欧州戦略グループの勧告では、リニアコライダー(線形衝突型加速器)を、ヒッグス粒子やトップクォークの物理において競争力を持つ科学プログラムを提供できる技術的に成熟したフラッグシップ級のプロジェクトとして位置付けました。しかし、FCC-ee(将来型円形電子・陽電子衝突加速器)以外の代替プロジェクトについては、優先順位付けは行われませんでした。リニアコライダーの今後の方向性については、1月初旬に開催予定の「LinearCollider@CERN ワークショップ」にて議論される見込みです。
12月12日、CERNは欧州素粒子物理戦略アップデート(ESPPU)に向けて、欧州戦略グループ(ESG)がまとめた勧告を公開しました。この戦略策定プロセスは、2024年3月にCERN評議会によって開始されたものです。これまでの主要なマイルストーンとしては、2025年3月末までのコミュニティからの意見募集、2025年6月にヴェネツィアで開催されたオープン・シンポジウム、2025年9月の「物理学ブリーフィング・ブック」の 刊行、そしてESGによるCERNに提案された大規模プロジェクトの評価などが挙げられます。直近では、12月1日から5日にかけてスイス・アスコーナでESGの起草セッションが開催され、そこでまとめられた勧告が先週CERN評議会に提出されました。評議会は現時点ではこれを「留意事項」として受け止めており、今後数ヶ月をかけて評価を行ったうえで、2026年5月にブダペストで開催予定の特別会合において最終的な決定を目指しています。
HL-LHC (高輝度大型ハドロン衝突型加速器) 以降の CERN における将来の大規模計画に関して、ESG は、「CERN の次期加速器として最優先とすべき選択肢を特定するとともに、その案が実現不可能または競争力に欠ける場合に検討すべき代替案の優先順位を定めること」を任務としていました。予想されていたとおり、今回公表された勧告では、建設費約150億スイスフラン(約3兆円)の円形電子・陽電子衝突加速器 FCC-ee が、CERN の次期加速器としての最優先案であることが明確に示されています。
また、優先的な代替案として、FCC-ee の規模を縮小したバージョンが提案されています。これは、実験の数を4基から2基に減らし、重心エネルギーを240 GeVに制限し、さらに高周波(RF)電力を一定程度削減することで、全体コストを約15%削減することを目指すものです。
一方で、勧告ではその他の選択肢について順位付けは行っていません。しかし、LEP3 および LHeC はいずれも単独ではフラッグシップとなる加速器にはなり得ず、ハドロン衝突型加速器のようなエネルギー・フロンティア装置による補完が必要であると指摘しています。
リニアコライダー(直線型衝突加速器)に関しては、ESGは、2段階のエネルギー設定で、最大550 GeVの重心エネルギーまで運転された場合、ヒッグス粒子およびトップクォークの物理においてFCC-eeに匹敵するプログラムを提供できると評価する一方で、課題として、競争力のあるフレーバー物理プログラムが欠如していると強調しています。リニアコライダーの加速技術については、CLIC(CERNが開発している常伝導直線型加速器)技術が、より高い費用対効果をもって実装できる可能性があるとする一方で、超伝導高周波(SCRF)技術の方が技術的成熟度は高いと指摘しています。また、リニアコライダーを出発点とした場合、10 TeV級のパートン重心エネルギー領域を探る手段としては、プラズマ・ウェイクフィールド加速が唯一の選択肢であると彼らは考えています。これは、リニアコライダーを将来の多様な発展経路と両立可能なものと捉え、今後数十年にわたる科学的・技術的進展に対する柔軟性を大きな強みとして強調してきた、LCVisionチームの戦略提案とは明確に異なる見解です。
ESGはこれまでの大規模計画の検討を踏まえ、次期加速器の主案としては、ハドロン衝突型加速器や、米国の研究者の間で将来有力視されているミューオン衝突型加速器を採用しないとしています。一方で、先進的な超伝導・常伝導高周波加速構造や高効率な高周波電源、高磁場磁石の研究開発に加え、エネルギー回収型線形加速器(ERL)や、高勾配ウェイクフィールド加速、明るいミューオンビームの実現につながる技術などについては、適切な規模で支援を続けるべきだと勧告しています。
ESGはまた、HL-LHC(高輝度LHC)の研究成果を最大限に引き出すことが引き続き最優先事項であると強調しています。そのうえで、非加速器実験の幅広い取り組みや、検出器の研究開発、理論研究、計算基盤、技術移転への支援の重要性を指摘しています。さらに、欧州内の他の素粒子物理研究機関との連携、他分野との協力、持続可能性への配慮に加え、アウトリーチや広報活動、若手研究者の育成についても言及しています。
これらの勧告は、リニアコライダー研究コミュニティにとって何を意味するのでしょうか。その明確な答えが出るまでには、まだ時間が必要です。1月初旬に開催される「LinearCollider@CERN ワークショップ」は、今後の方向性を議論する重要な機会となります。また、CERN理事会や新体制のCERN執行部が、これらの勧告をどのように具体化していくのかを見極めるには、今後数か月を要する見通しです。とはいえ、現時点でもいくつか注目すべき点があるので、考察を共有したいと思います。
- ESGは、FCC-eeの規模縮小案を「優先的な代替案」として選びましたが、この案はESPPUへの提出資料には含まれておらず、「物理ブリーフィング・ブック」にも記載されていないほか、ESGの作業部会による十分な検討や評価も行われていません。提案されている内容は、トップクォーク対生成のしきい値以下への重心エネルギー制限、実験数の削減による積算ルミノシティの約半減、さらに高周波(RF)電力の削減による瞬間ルミノシティの低下などを含んでいます。これらの措置が科学的成果にどのような影響を与えるのかについては、今後詳しい説明が必要ですが、ヒッグス物理、トップ物理、多重ゲージボソン生成といった、長年にわたり素粒子物理学の最重要課題とされてきた研究分野に大きな影響を及ぼすことは明らかです。
財政面から見ると、提示されている約15%のコスト削減は、FCC-eeの現在の建設費見積もりに含まれる不確実性の幅(誤差)のおよそ半分程度にすぎません。そのため、物理プログラムを大きく縮小しているにもかかわらず、「より大幅に安価な計画が必要な場合の現実的な代替案」とは言い難いのが実情です。むしろ、将来的にコストが上振れした場合には、本来フル仕様で計画されていたFCC-eeであっても、結果的にこの縮小版に移行せざるを得なくなる可能性があります。 - また、規模縮小版FCC-eeと同等の予算があれば、リニアコライダーは優れたトップ物理プログラムを遂行し、さらにダイヒッグス生成(ヒッグス粒子の対生成)に到達するのに十分なエネルギーを実現できます。これにより、HL-LHCから得られる知見を大幅に超えて、ヒッグス・ポテンシャルの理解を深めることが可能になります。ESGの選択においては、将来的にハドロン衝突型加速器に転用できるトンネルインフラを建設したいという意向が、大きな比重を占めているようです。
- リニアコライダーの初期段階は、最も低コストな想定では約70億スイスフラン(約1兆4千億円)、より成熟した技術を採用し、高いルミノシティや将来の拡張性を確保した場合でも約90億スイスフラン程度(約1兆8千億円)と見積もられています。これは、縮小版FCC-eeが目指すヒッグス物理プログラムを少なくとも同程度に実現できる、より現実的な選択肢となり得ます。
さらに、縮小版FCC-eeと同程度の予算があれば、リニアコライダーではトップクォーク物理に本格的に取り組める十分なエネルギーに到達できるほか、ヒッグス粒子の自己結合を調べる「二重ヒッグス生成」も可能となり、HL-LHCを超えてヒッグスの性質理解を大きく前進させることが期待されます。
一方で、ESGの選択においては、将来的にハドロン衝突型加速器に転用できるトンネルインフラを建設したいという意向が、強く反映されているように見受けられます。 - CERNのプレスリリースによれば、FCC(将来円形衝突型加速器)の建設可否については、2028年にCERN理事会が判断する見通しです。これは、HL-LHCの運転終了から次世代加速器の稼働までに「空白期間(ダークタイム)」が生じることを避けたいという、素粒子物理コミュニティ、とりわけ若手研究者の強い要望を反映したものといえます。こうした遅れを防ぐためには、それまでの間、最優先とされる計画だけでなく、実質的な代替案についても、意思決定が可能な段階まで並行して準備を進めることが不可欠です。今回の勧告の実施にあたっては、この点が十分に考慮されることが強く期待されます。。
要約すると、ESGが「優先的な代替案」として示したものは、実際には独立した別案というよりも、FCC-eeを段階的に実現していくための初期段階に近く、初期段階でのコスト削減も比較的限定的です。一方で、FCC-eeとは異なる選択肢として検討された計画については、明確な順位付けこそ行われていないものの、リニアコライダーが技術的に成熟しており、ヒッグス粒子やトップクォーク物理において競争力のある研究プログラムを提供できることが示されています。
今後、この重要な認識が、CERN理事会での議論や、CERN執行部による戦略実施の初期段階にどのように反映されていくのかが注目されます。
LCVisionチーム、ならびにCLICおよびILCの国際推進チーム(IDT)は、リニアコライダーの実現が素粒子物理学の将来にとって極めて重要であると考えています。私たちは、1月に開催される「LinearCollider@CERN ワークショップ」(現地およびオンライン)への参加を呼びかけ、将来の発展的アップグレードを見据えた複数の技術選択肢を含む、リニアコライダー施設の具体的なロードマップづくりにぜひ加わっていただきたいと考えています。
年末のお忙しい時期ではありますが、どうか穏やかな年末年始をお過ごしください。そして新しい年に、リニアコライダーの将来について前向きな議論ができることを楽しみにしています。
執筆者:Jenny List, Tatsuya Nakada and Steinar Stapnes
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