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トリスタン計画報告書TOP
 高エネルギー物理学研究所長挨拶
 高エネルギー委員会委員長挨拶
 1. は じ め に
 トリスタン計画までの状況
トリスタン計画の経緯
 2. トリスタン計画の概要
 3. 研 究 成 果
 4. トリスタンと加速器科学
 5. 周辺分野との関わり
 6. ま と め
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 List of Tables
 グラビア写真集
 
1. はじめに

1.2 トリスタン計画の経緯


素粒子理論研究では一流だったわが国も、実験的研究においては後進国だったが、「高エネルギー物理学」という名にふさわしい第一線の研究を自ら推進する意欲が高まり、研究者集団による検討が続いた。この努力は、高エネルギー物理学研究所(KEK)設立の当初にさかのぼる。60年代後半に、研究者間の激論の末、欧米を越える40GeV 陽子シンクロトロンを持つ新しい共同利用研究所の設立を提案した。しかし現実には財政事情などのため、まずは 8GeV 加速器で歩き出すことになり、1971年に KEK が発足した。その際、研究者の夢と現実との大きなギャップへの配慮から、研究所に当時としては広い敷地が確保された。

陽子加速器の建設が進む中で、第一線をめざす研究者の意欲は衰えず、その先の加速器が検討されていた。当然、最初からコライダーが対象となり、1973年に最初のトリスタン計画構想が発表された。そして世界最高エネルギーでの電子・陽子コライダー実験計画を軸として、全国の研究者による検討が精力的に進んだ。ちょうど1. 1で述べた素粒子物理学の変革期であったため、世界の動向を考慮しつつ、議論は幾多の変遷を経た。高エネルギー物理学界のコンセンサスが得られたのは1979年で、「第1期に(30+30)GeVの電子・陽電子コライダーを建設し、第2期に超伝導電磁石化によって、陽子を 350GeV まで加速し、電子・陽子コライダーとする」、という最終のトリスタン計画案がまとまった。(この間の事情は、高エネルギー物理学・次期計画検討小委員会の中間報告書(1985. 8. 22)に詳しく述べてある)。

電子・陽電子コライダーのエネルギーについては、(約 90GeV と予想されていた)Zボゾン質量に達すると研究の巾がさらに拡がると予想され、検討が重ねられた。しかし、敷地による制限、対称性の低い加速器への不安、欧米で LEP や SLC 計画が提案されたことなどを考慮した結果、PETRAを大きく越えてトップクォーク対生成の可能性を十分に秘めた新しい領域を狙い、敷地が許す最大のエネルギーでできるだけ迅速に計画を進めることになった。具体的には、
  • 予想される低い反応断面積に対応した高いルミノシティー(1×1031/cm2/s 以上)を実現すること、
  • 超伝導加速空洞も併用し、60GeV以上※1に到達すること、
  • 計画中だった巨大加速器(LEP)より十分早く実験を開始できること、
とした。電子・陽電子コライダー建設が認められたのは、1981年である。国外からの実験提案も予想されたため、4つの実験室を用意することになった。この時期にスタートするトリスタンへの世界的な期待は、
  • 標準モデルが予言するトップクォークなどの新粒子の探索、
  • 標準モデルを拡張する第4世代粒子や超対称性粒子などの新粒子の探索、
  • 電弱相互作用、量子色力学の特異な性質の検証、
などの課題に取り組むことであった。

加速器建設は 5 年計画で進められ、1981年に世界に向けて実験提案を公募した。国内外の研究者からなる物理審査委員会(TPAC)は、1982年から1984年にかけて、2. 2で述べる3つの多目的大型実験と1つの特殊実験を採択した。1986年11月には計画通り主リングでの電子・陽電子ビーム衝突に成功し、1987年5月からは、世界最高のビームエネルギー 25 GeV で本格的な実験が開始された。

実験は2. 4節のようなプログラムに沿って実施され、今までに3章で紹介する物理成果を上げてきた。データ収集は約9年の長きにわたり1995年度に終了した。トリスタンでしか得られない貴重なデータを大量に蓄積した実験グループは、総合的な物理解析を精力的に進めている。このように、我国で初めてのエネルギーフロンティアでの実験を可能にしたのは、4章で述べる加速器科学の大きな進展であり、その成果は引き続くKEKB建設計画、リニアコライダー技術開発計画に引き継がれている。
 

1973年  トリスタン計画構想の発表。
1976年7月 文部省・加速器科学特別委員会でのヒアリング。
1977年11月 学術審議会が「加速器科学の研究推進方策のあり方について」を文部大臣に建議。
1979年  高エネルギー物理学界によるトリスタン計画最終案。
1980年6月 トリスタン電子・陽電子コライダー建設計画を概算要求。
1981年4月 トリスタン計画の国会承認。
1981年11月 建設開始。
1982年1月 実験審査・助言のための物理審査委員会(TPAC)の発足。
1982年〜1984年 TPACによるVENUS, TOPAZ, AMY, SHIP 実験提案の採択。
1986年11月 主リングで電子、陽電子ビームを25GeVまで加速・蓄積し、VENUSでビーム衝突を確認。
1986年12月 AMY 実験装置の設置(大穂実験室)。
1987年3月 TOPAZ 実験装置の設置(筑波実験室)。
1987年5月 主リングで電子・陽電子ビーム衝突実験の開始。
1989年11月 主リングに超伝導加速空洞を設置、ビームを32GeVまで加速。
1993年3月 年間100pb-1のルミノシティーを達成。
学術審議会・加速器科学部会によるトリスタン実験中間評価。
1995年7月 素粒子実験でのデータ収集を終了。以後、物理解析を続行。

  Table 1: 歴史的経過
 

※1本文中のエネルギー値は、特に断わりのない限り電子・陽電子の重心系エネルギーを表わし、ビームエネルギーの2倍である。

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