世界最大の円形加速器、LHC始動

アーカイブ

LHC加速器は、スイス・ジュネーブ郊外、フランスとの国境をまたいだCERNの地下100メートルに設置されている。赤い大きな円は LHC 加速器、小さい円は LHC に陽子を入射する為の加速器の位置を表わしている。どちらも地下深くに建設されているため、写真には写っていない。写真の最上部に見えるのは、モンブランを含むヨーロッパアルプスの山々。大きな円の上にはレマン湖が、レマン湖と大きな円の間にはジュネーブ空港が位置する。レマン湖の右端に接してジュネーブの市街も見える。(画像提供:CERN)

「ダビンチ・コード」の大ヒットで世界にその名を知らしめたサスペンス小説作家ダン・ブラウン。日本では2003年に出版されたブラウン作品「天使と悪魔」では、素粒子物理の研究所が殺人の舞台として描かれています。その研究所とは、欧州合同原子核研究機構(CERN)。小説では、冒頭でCERNの科学者、ヴェトラ博士が研究室で惨殺されます。殺人の動機はその科学者がつくった「反物質」。核爆弾をしのぐ爆発力を持つという、反物質を盗んだ犯人は何を企んでいるのか。ダビンチ・コードで活躍したラングドン教授が、やはりCERNの科学者であるヴェトラ博士の娘、ヴィットリアと共に謎に挑みます。さて、このCERN、ジュネーブ近郊にある実在の研究所です。実際に「反物質」も作っていますが、もちろん爆弾を製造している研究所ではありません。CERNが今建設を進めている加速器が、大型ハドロンコライダー(LargeHadronCollider:LHC)。周長27キロメートル、山手線と同じくらいの、世界最大の円形加速器です。

LHCは、円形の衝突型加速器です。衝突させるのは、陽子と陽子のビーム。逆方向に周回する2つのビームが正面衝突します。陽子は、ハドロン族の重たい粒子です。ハドロンとは、素粒子であるクォーク2個からなる粒子と、クォーク3個からなる粒子の総称のこと。つまり、素粒子ではありません。円形の加速器では、ビームの軌道を磁石で曲げて周回させます。ビームが曲がると、放射光が放出され、エネルギーが失われてしまいます。電子のような素粒子のビームだと、質量が小さいため、放射光によるエネルギーの損失が大きくなってしまいます。そこで、LHCでは質量の大きい陽子のビームを使っているのです。質量の大きな陽子のビーム同士が衝突するので、衝突エネルギーも大きくなり、最大14兆ボルト(14テラボルト)にも達することが期待されています。

ところで、LHCはなぜそんなに大きな衝突エネルギーを目指しているのでしょうか?私たちの宇宙が生まれた直後は、ビッグバンと呼ばれる高エネルギー状態の熱い火の玉であったといわれています。LHCが大きな衝突エネルギーを目指すのは、そのビッグバンの直後の宇宙を再現しようとしているからなのです。ビッグバンの熱く小さな状態から、どんどん膨張して冷えてきた宇宙は、137億年かけて今の形になったと考えられています。初期の宇宙の姿を見ることで、私たちの宇宙がどうしてこんな姿なのかがわかる、というわけです。

また、LHCの実験は、物理学の教科書を書き換えることにもなりそうです。これまでの物理の研究から、物理学者たちは「標準理論」と呼ばれる、私たちの宇宙の仕組みの説明書を作り上げてきました。しかし、この理論はまだ完成していません。理論を完成させるというこの作業は、いわば巨大なジグソーパズルを解いていくようなもの。研究の結果「あるに違いない」と思われる粒子を実験で見つけたり、または実験で見つかった未知の粒子を、理論のどの部分にはめ込むとうまく説明できるのか研究したり、自然現象のひとつひとつをうまく組み合わせていくのです。「標準理論」を完成させるためには、未発見の素粒子が存在する証拠をつかむ必要があります。LHCは、パズルの最後のピースになる未発見の素粒子を、その大きなエネルギーで人工的に作ることができる、と考えられているのです。その粒子とは「ヒッグス粒子」※。「質量」の元になっていると考えられている粒子です。ヒッグス粒子以外にも、たくさんの未発見の粒子の証拠を、LHCが突き止めることができる、と期待がかかっています。そして新しいジグソーパズルが始まります。

国際リニアコライダー(ILC)の研究者たちも、LHCが見つける物理学の結果を心待ちにしています。ILCでは、電子と陽電子、という素粒子同士が直接ぶつかり合います。一方、LHCは、前に述べたように、素粒子同士を衝突させる加速器ではありません。この衝突する粒子の種類の違いは、何が起きているのかをどれだけ詳細に調べることができるのか、という違いになります。つまり、LHCで見つけた新しい現象を、より詳細に、より鮮明に映し出すことができる加速器がILCなのです。LHCが何を見つけるか、それによってILCがその先にあるどんな謎に迫ることができるのかが明確になるというわけです。

LHCはこの夏、いよいよ稼働を開始します。10月には各国首脳を招いて、盛大に式典が執り行われる予定になっています。早ければ、来年にも実験結果がわかり始めるとのことです。
※詳しくは「謎にせまる・重さの始まり」をご参照ください。